東京オリンピック名勝負③ 柔道史にその名を刻んだ阿部兄妹




柔道2日目は、女子52㎏級と男子66㎏級が行われた。
そして、この日のことはオリンピックの柔道史に永遠に刻まれる。
なぜならば、阿部一二三、阿部詩の兄妹が同じ日に優勝したからだ!

同一大会で男女の兄妹が金メダルを獲得したのは、オリンピックの長い歴史でも史上初の快挙である。
実力だけでなく華もある兄妹は、まぎれもなく天才という言葉がふさわしい。

柔道女子52㎏級

決勝戦に勝ち上がって来たのは、予想通り阿部詩とフランスのブシャールであった。
比較的じっくりと試合を進めてきた阿部詩に対し、ブシャールはここまでの3試合でいずれも一本勝ちを収めただけでなく、合計の試合時間が2分18秒という驚異的な戦いを見せていた。
しかも、かつて阿部詩の連勝記録を48で止めたのが、何を隠そうブシャールなのである。

試合の前半は、奥襟を叩きながら果敢に攻めるブシャールが押していた。
上からの攻撃だけでなく、相手の懐に飛び込んでの肩車も脅威であり、全く油断ならない。
事実、準決勝では開始わずか16秒、この肩車で一本をとっている。
スピードと瞬発力が凄まじく、恐ろしいまでのポテンシャルを感じさせる。
阿部詩にとって、ブシャールは間違いなく最強の刺客である。

しかし、中盤から後半にかけて阿部詩もペースを掴んでいく。
時間が経つにつれ、ブシャールのスピードが徐々に落ちてきた。

この階級では突出した実力を持つ両者だけに4分間では決着がつかず、ゴールデンスコアに突入する。
スタミナに翳りが見えるブシャールをよそに、阿部詩は変わらず足が動いており、前へ前へとプレッシャーをかけていく。
ブシャールの技のキレが、序盤ほど無くなってきた。

完全に阿部詩が試合をコントロールした開始8分過ぎ、ブシャールの柔道着をガッチリと掴んで抑え込む。
精も根も尽き果てたブシャールは抵抗することができず、そのまま試合終了となった。

それにしても、8分にもわたる長き時間、前に出続けた阿部詩には頭が下がる。
通常、これだけの時間を戦い抜くと疲労困憊になって動きが鈍くなる。
想像もつかぬほど、凄まじい稽古量を積んできたのだろう。

最後は、天才の名をほしいままにし、華麗な投げ技に定評がある阿部詩が地味な寝技で勝利を収めた。
なぜか、そのことがとても心に残った。

柔道男子66㎏級

本階級は阿部一二三、イタリアのロンバルド、韓国のアン・バウルが3強といわれ、優勝候補に挙げられていた。
しかし、さすがは世界の強豪が集まるオリンピックである。
3強以外にも精鋭たちが活躍した。

阿部一二三の戦い

初戦、2戦目とも、なかなか襟を持たせてもらえない中、袖を引き付けての大外刈りを豪快に決めて勝ち進む。
他の選手とは一味も二味も次元が違う技のキレ。

そして、準決勝も十分に組めない展開ながら、一瞬のチャンスを捉えて得意の背負い投げで一本を取り、決勝進出を決める。

若くして世界を制した阿部一二三は、海外選手に研究し尽くされている。
ゆえに、十分な態勢にさせてもらえない。
そんな中で、ワンチャンスを生かす集中力が素晴らしい。

ライバルたちの戦い

イタリアのロンバルドは世界選手権で銀メダルをとった、まだ22歳のヨーロッパの強豪である。
分かっていても防げない肩車を武器としている。
しかし、準々決勝で伏兵に敗れてしまう。

韓国のアン・バウルは組手が強く、先手先手で攻撃し相手に技を出させない。
かといって、相手が焦って無理に前に出ると、得意の背負い投げが待っている。
そんな彼は、リオ五輪でも銀メダルを獲得した実績を持つ。
だが、準決勝でゴールデンスコアの末、ジョージアのマルグベラシュビリに敗退する。
試合巧者ぶりを遺憾なく発揮するも、最後は階級随一のパワーを誇るマルグベラシュビリの力技の前に屈してしまった。

その他にも、イスラエルのシュマイロフはメダルこそ逃したが、今後が楽しみな選手である。
彼は、しっかりと組んで技をかける本格派の柔道をする。
準々決勝では、マルグベラシュビリの剛腕にも力負けせず、互角に渡り合う。
惜しくも、ポイントを奪われ敗れたが、見応え十分の好勝負であった。
まだ23歳である。次の五輪には、ぜひ注目して欲しい。

決勝戦

決勝は、阿部一二三とマルグベラシュビリが相まみえた。
「技」の阿部一二三、「力」のマルグベラシュビリといったところか。

序盤から、厳しい組手で阿部一二三の立ち技を警戒するマルグベラシュビリ。

さしもの剛腕も、阿部に十分な組手を許すとひとたまりもないからだ。
それほどまでに、阿部の技のキレ味は別格なのである。

小康状態が続く中、阿部一二三は開始2分50秒、相手の袖口を掴むと電光石火の大外刈りで技ありを奪う。
これまでの戦いを彷彿とさせる、一瞬しか訪れないワンチャンスをものにした。

後がないマルグベラシュビリは猛攻撃をしかけてきた。
だが、阿部一二三は防戦一方になることなく、3分30秒にはあわや技ありかという背負い投げで反撃する。

残り1分、今度はマルグベラシュビリが驚異のパワーを生かした捨て身技を放つも、際どく難を逃れる阿部一二三。
ヒヤリとさせる危ないシーンであった。

その後も、マルグベラシュビリの追撃を振り切り、ついに史上初の兄妹での金メダルに輝いた。

まとめ

金メダルの瞬間、喜びを爆発させ畳の上で号泣する阿部詩。
この一瞬のために、人生の全てを捧げてきた彼女にとって、当然のリアクションであろう。

一方の阿部一二三は表情を変えることなく、その時を迎える。
唯一、畳を降りてコーチと抱擁を交わした瞬間のみ、表情を崩す。
しかし、直後のインタビューの際には、すでに柔道家の相貌に戻っていた。

オリンピックに出るほどの選手はみな、我々凡人とは比較にならない心の強さを持っている。
その選手たちが栄冠に輝いては嬉し泣きにむせび、一敗地に塗れては悔し涙を流す。
そこに立つまでの厳しき道程が、彼らをしてそうさせるのだろう。

翻って、阿部一二三である。
なぜ、彼は涙を堪えることができるのだろう。

一時は、ライバルの丸山城志郎に後れをとり、オリンピック出場が危ぶまれていた。
最終的には、直接対決の代表選考会で24分にも及ぶ激闘を制し、代表権を獲得する。
そうした苦難の時を過ごし、何よりも丸山城志郎というライバルとの死闘を経て、心の成長を遂げたという。
きっと、こうした経験があればこそ、阿部一二三は凛とした表情を崩さずに、オリンピック王者に相応しい毅然とした姿を貫けたのだろう。

柔道男子66㎏級オリンピック金メダリスト阿部一二三。
その柔道家としての精神は、天才という言葉が軽薄に響くほど、高みへと昇華した。

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