モハメド・アリとライバル達② ジョー・フレイジャー ~哀しみの“スモーキン・ジョー”~





かつてリングを沸かせたボクサー達。
幼き日、彼らはブラウン管の向こう側で人の理を超えた拳を携えていた。

“スモーキン・ジョー”ことジョー・フレイジャーもまた、ヘビー級栄光の歴史を彩った比類なき戦士だった。
モハメド・アリの好敵手でありながら、そのアリに翻弄されたボクサー人生。

そんな悲哀漂うジョー・フレイジャーの足跡を紹介する。

ジョー・フレイジャーとは

ジョー・フレイジャーは1944年1月12日にアメリカで生まれたプロボクサーである。
“ザ・グレイティスト”モハメド・アリとの不敗対決を制すなど、1970年代にはヘビー級チャンピオンとして名を馳せた。

身長182cmとヘビー級ボクサーとしては小柄だが、クラウチングスタイルから繰り出す左フックは一撃必殺の破壊力を秘めていた。
体を揺らしながら前へ前へと突進する姿と、無尽蔵とも思えるスタミナは蒸気機関車を想起させ“スモーキン・ジョー”と名を馳せた。

まさに体中から闘志がみなぎり、煙が出るように躍動するボクシングスタイルはこの二つ名の秀逸さを雄弁に物語る。

歴史的名勝負

1970年代初め、ボクシング、そしてヘビー級が最も熱かった時代に無敗のチャンピオンと元チャンピオンが激突した。
その両雄とは、26戦無敗の王者ジョー・フレイジャーと31戦無敗の挑戦者モハメド・アリである。
しかも、ふたりともKO率8割を超えている。

アリはリストンやフォアマンとの試合同様、トラッシュトークをしかけた。

「フレイジャーは醜い」「奴は白人に飼いならされたアンクル・トムだ」

元々、フレイジャーとアリは友人関係だった。
ベトナム戦争の徴兵拒否をしたアリに金銭的援助をしたのがフレイジャーであり、アリのライセンス再取得にも協力を惜しまない。

ところが、1971年に世紀の一戦が決まった途端、フレイジャーに対しいわれなき汚名を着せていく。
そして、そのレッテルはいつしか事実のように喧伝されてしまう。

そもそも、フレイジャーは白人に従順な黒人などではない。
アリよりも貧しい環境で育ち、アリよりも黒い肌に生まれてきた。
若くして家庭を持った彼は妻と子どもの糊口を凌ぐため、ボクシンググローブを手に取った。
まさしく不遇な境遇に身をおいた、黒人ボクサーの典型的ストーリーではないか。

 フレイジャーは言う。

「貧困から抜け出すためにリングに上がった。私はボクシングに専念しているだけなのに、なぜ責められなければならないのか」

事実、その後アリはフレイジャーに謝罪している。
たしかに、アリほどボクシングの枠を超え、社会に影響を与えたスーパースターはいないだろう。
しかし、私はアリのこうした振る舞いを好きになれない。
一方的に対戦相手を挑発し、マスメディアを使って対立構図を煽り、相手の尊厳や名誉を冒涜する振る舞いはあまりにもいただけない。

こうして何はともあれ、アリは「白人対黒人の代理戦争」の絵図を描き、前哨戦を圧倒した。

世紀の一戦 – 不敗神話の終焉

ときは1971年3月8日、マジソン・スクエア・ガーデンでWBA・WBCのヘビー級タイトルマッチをかけた戦いの火蓋が切って落とされた。

190㎝を超えるアリと180㎝強のフレイジャーでは一回りサイズが違って見える。
しかし、パンチ力、敵を粉砕する破壊力ではフレイジャーが上回っている。
アリの生命線はとにもかくにも、持ち前の“蝶のように舞う”スピードだといえるだろう。

1Rから体を小刻みに揺らしながら、前に出る“王者”フレイジャー。
だが、迎撃するアリのカウンターが再三再四にわたりヒットする。
時折、フレイジャーのパンチをアリも受けるが、首を振り効いてないとアピールした。

中盤に向かうにつれ、“スモーキン・ジョー”が本領を発揮する。
まるで噴煙をまき散らしながら向かっていくチャンピオンの突進力。
出だしは巧みなクリンチワークでいなしていたアリも、たまらず後退を余儀なくされた。
試合前半に見せていた、アリ特有のパフォーマンスも影を潜めていく。

そして、エンジン全開のフレイジャーが放つ左フックがアリの顔面を捉え出す。
明らかにパンチ力は、フレイジャーに分があるようだ。

一方のアリは絶頂期を迎えた25歳から3年半、ベトナム戦争の徴兵拒否により世界チャンピオンだけでなくライセンスをも剥奪された。
往年の“アリダンス”をはじめとする、ヘビー級とは思えぬフットワークは霧散している。
リングから遠ざかった時間が、残酷なまでにアリのスピードを奪い去っていた。

この試合は判定にまでもつれ込んだものの、フレイジャーの強さを満天下に知らしめた。
唯一アリの凄さを感じたのが、最終ラウンドでマットに沈んだ場面だろう。
フレイジャー渾身の左フックが一閃し、意識を刈り取るようなパンチが顔面を直撃した。
その瞬間、挑戦者はもんどりうってキャンバスに倒れ込む。
しかし、モハメド・アリは根性で立ち上がる。
その後も、半ば棒立ちになりながらフレイジャーのラッシュを何とか持ちこたえた。
さすが、自らを“ザ・グレイティスト”と吹聴するだけのことはある。

試合後、腫れあがった顔が物語るように、フレイジャーは数え切れぬほどパンチを被弾した。
それでも、前進を止めることはしなかった。
その勇猛果敢な姿に、私はボクシングの原点を見た思いがした。

こうして、世紀の一戦はフレイジャーに凱歌が上がる。
王者を守ったフレイジャーに対して不敗神話が崩壊したアリという構図だが、世論が味方したのは人種差別と戦い、泥沼化したベトナム戦争に独り異を唱え続けたアリだった。
アリを倒したフレイジャーは、本来同胞である黒人からもバッシングを受ける。

「お前は黒人ではない」と。

こうして、ジョー・フレイジャーは抗うことのできぬ運命の濁流に呑み込まれ、いつしか悪役の烙印を押されていた。

ザ・スリラー・イン・マニラ

両雄の対戦は、その後アリがリベンジを果たし1勝1敗の五分となる。
これを受けラバーマッチで雌雄を決すべく、1975年10月1日アリとフレイジャーはフィリピンのマニラに降臨した。
前年にアリがフォアマンを倒し奪取した、WBA・WBCの統一タイトルの座を懸けて…。

過去2戦同様フレイジャーが突進し、アリがカウンターで迎え撃つ序盤戦。
両者にとって様式美のようなファイトスタイルだが、ボクシング史上最も凄惨な死闘の幕開けでもあった。

スピードあふれる左のジャブから右ストレートを繰り出すアリ。
そして、豊富な経験と老獪なインサイドワークでフレイジャーに揺さぶりをかけていく
しかし天敵フォアマンと違い、ダッキングとムービングを繰り返し低い姿勢で飛び込むフレイジャーを下から突き上げる、強烈なアッパーがそこまでアリにはない。
この辺が、フレイジャーにとってアリは相性的に悪くないのだろう。
いや、むしろフォアマンが悪すぎたのかもしれない。

死力を尽くす激闘はいつ果てるともなく続く。
フレイジャーの左フックが炸裂し、アリの褐色の肌から汗が飛び散った。
一方、フレイジャーもジャブを被弾し続け、両目が腫れあがっていく。

元々、フレイジャーの左目はほとんど視力がない。
そんな中、命綱ともいうべき右目まで塞がっては成す術がなかった。
伝説のトレーナー、エディ・ファッチは15Rの開始前、フレイジャーに対し非情な決断を下す。
それは最終ラウンドを棄権するというものだった。

「俺はまだやれる!」

激しく抗議するフレイジャーに、ファッチは静かに語りかけた。

「息子よ…座りなさい。もう十分だ。今日、君のなしたことを…誰一人として忘れはしない」

実はアリも心身ともに限界に達し、試合続行は不可能だった。
アリ自ら、グローブを外すようトレーナーに懇願していたのである。
ところが、アリのトレーナー、アンジェロ・ダンディは「まだやれる!」と鼓舞し続ける。
その結果、フレイジャーの棄権によりアリが勝利を収めた。

しかし、私はなぜかアンジェロ・ダンディよりも、エディ・ファッチに強く心揺さぶられる。
数多のボクサーを育ててきたファッチはまた、少なくないボクサーの死も見つめ続けてきた。
だからこそ、試合続行を主張するフレイジャー陣営の全てを説き伏せ、愛弟子の無念の思いも受け止めながら苦渋の決断を下したのである。
人命には代えられないと。

事実、アリはそのときのことを述懐する。

「間違いなく…人生で最も死に近い瞬間だった」

私はジョー・フレイジャーの試合を観て思う。
このボクサーは、なんて愚直なのかと。
アリとの戦いは何度カウンターパンチの餌食になろうとも、決して前進を止めることをしなかった。
対フォアマン戦では6度ダウンを奪われながらも、立ち上がりファイティングポーズを取り続けた。
特にフォアマンとの試合は“キングストンの惨劇”と形容されるほど、一方的なものだった。
それでもなお、私には“スモーキン・ジョー”が勇敢な戦士にしか見えなかった。

「魂の、そして不屈のボクサー」。
勝利の女神が微笑まなかったとはいえ、ジョー・フレイジャーにはそんな言葉がよく似合う。

哀しみのボクサー

1980年代黄金のミドルの帝王“マーベラス”マービン・ハグラーはマッチメイクに恵まれず、長きにわたり「無冠の帝王」と呼ばれていた。
そんなハグラーにフレイジャーは言った。

「君には弱点が3つある。まずはサウスポーであること。2つ目は黒人であること。そして、最後は強すぎることだ」

私はこの言葉に、フレイジャーの悲哀を感じずにはいられない。
あの強烈な左フックからも分かるように、フレイジャーは元来左利きだったという。
ところが、サウスポースタイルは欧米では嫌われていることもあり、右構えにしたというのである。
ただでさえ、肌の色というハンデを抱えるフレイジャーはこれ以上、ネガティブな要素を増やしたくなかったのだろう。

そして何よりも、アリに口汚く罵られ、白人に従順な黒人という不名誉なレッテルを貼られた悲運のボクサー。
きっとアリのトラッシュトーク以前にも、フレイジャーは黒人ゆえの差別を受けたに違いない。
だからこそ、ハグラーに「黒人であること」が弱点だと言ったのだろう。

“スモーキン・ジョー”ことジョー・フレイジャー。
ボクシング史上最大のスター・アリのライバルは、この男を置いて他にいない。