東京オリンピック名勝負① 柔道女子48㎏級 ~それぞれの物語~





柔道男子60㎏級では、高藤直寿が悲願の金メダルを獲得する。
見事に、銅メダルで終えたリオデジャネイロオリンピックの雪辱を果たした。

準決勝では11分2秒にも及ぶ死闘を制し、決勝でも延長戦の「ゴールデンスコア」に突入した末の勝利である。
試合内容は泥臭く、どこまでも勝ちに拘った執念さえ感じさせるものだった。

だが、私は高藤の金メダル以上に心に残った戦いがある。
それは、渡名喜風南が出場した柔道女子48㎏級における、選手たちのそれぞれの物語であった。


渡名喜風南の戦い

初戦を抑え込みで勝ち上がった渡名喜は、続く準々決勝で早くも強豪とぶつかる。
その相手とは、前回のリオ五輪で優勝したアルゼンチンのパレトである。
今年35歳になった大ベテランながら、油断ならない強敵だ。
だが、渡名喜は得意の寝技に持ち込み、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。

余談だが、このパレトという選手の人柄が垣間見えたシーンがある。
それは、敗者復活戦のことだ。
惜しくもその戦いに敗れた彼女は、必死の防戦で畳に倒れ込んだ相手に手を差し伸べて抱き起こし、熱い抱擁を交わしながら笑顔で祝福したのである。
母国で尊敬される理由が分かったような気がした。

そして、準決勝に進出した渡名喜は、最大の難敵・ウクライナのビロディドを迎え撃つ。
2018年、史上最年少の17歳で世界選手権を制したビロディドは、翌年も同大会で連覇を果たす。
渡名喜にも初対戦から4連勝するなど、今大会の優勝候補筆頭に挙げられていた。

一方の渡名喜も、今年に入って初めてビロディドに勝利し、徐々に攻略法を見出していた。
148㎝しかない渡名喜に対して、ビロディドは48㎏級では飛びぬけて高く172㎝もある。
長身でリーチも長いビロディド対策として、背の高い重量級の選手を相手に特訓を重ねるなど、本番に向けて余念がない。

ついに、事実上の決勝戦が始まった。
試合が始まるとすぐに、ビロディドに奥襟を持たれ十分な態勢を許してしまう。
すると、強烈な投げ技が炸裂し、渡名喜は横転してしまう。
間一髪、腹ばいで逃れ、命拾いする渡名喜。

その後、一進一退の攻防を繰り広げる両者。
まともに正面から組むと分が悪い渡名喜は、相手に十分な態勢を許さないよう工夫する。

それにしても、身長差が24㎝もある両者は、まるで大人と子どものようではないか。
とても同じ階級とは思えない。

激しい組手争いの中、ビロディドの手が渡名喜の顔に当たってしまう。
すると、ビロディドは後ろを向いてダメージの回復を図る渡名喜の肩を叩いて謝れば、渡名喜も手を挙げて「大丈夫」と返す。
メダルがかかった大一番にもかかわらず、お互いのフェアプレー精神が素晴らしい。

両者一歩も譲らぬ戦いは、ゴールデンスコアに持ち込まれる。
開始から5分過ぎ、ビロディドは長い足を生かして払い巻き込みを仕掛けてきた。
またもや、ギリギリのところでポイントを許さない渡名喜。
一本でなくとも技ありを取られた瞬間、試合が決まるゴールデンスコアに突入しているだけに、ヒヤリとするシーンであった。
さらに、渡名喜に2つ目の指導が飛んできた直後、ビロディドの小外刈りで腹ばいになってしまう。

危ない場面が続く中、今度は渡名喜が相手を崩し、伝家の宝刀ともいえる寝技に持ち込みビロディドを抑え込んだ。
ビロディドは全く動けない。
渡名喜は開始から8分、ついに難敵を下した。

決勝進出を決めた渡名喜は、これで銀メダル以上を確定させた。

3位決定戦

決勝戦は無論だが、私は3位決定戦も印象に残った。
なぜならば、この戦いに臨んだ選手それぞれに、負けられない理由があったからである。

渡名喜との接戦を落としたビロディドは、3位決定戦でイスラエルのリショニーと対峙する。
30歳のリショニーにとっては、もしかすると最後のオリンピックの試合になるかもしれない。
実は、そのリショニー。前十字靭帯を断裂した過去を持つ。
その大怪我から不屈の闘志で這い上がってきた苦労人なのである。

思いの丈をぶつけるようにビロディドと真っ向組み合い、正々堂々と戦いを挑むリショニー。
その力強い柔道は、まるでリショニーの生き方そのものではないか。
体格で劣りながらも、再三再四ビロディドの大内刈りを返し、あわやという場面を演出する。

4分が経過しようとしたその時、リショニーが奥襟を掴んでビロディドを豪快に投げる。
しかし、もつれながら倒れると、一瞬の隙をついてビロディドが完璧に抑え込んだ。
ウクライナ女子柔道初のオリンピックメダルを獲得した瞬間であった。

すると、ビロディドは美しい顔を歪ませ、大粒の涙があふれ出す。
その涙の理由は、柔道家であった父が果たせなかったオリンピックでのメダルを獲った嬉しさなのだろうか。
あるいは、目標にしていた金メダルを逃した悔し涙なのか。
心中は察するに余りある。

そして、もう1つの3位決定戦を制したのが、モンゴルのムンフバットだ。
ムンフバットは、世界選手権では2013年に優勝するなど4つのメダルを獲得した実力者である。
だが、今まで2回出場した五輪ではメダルに手が届がなかった。
特に、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、3位決定戦で近藤亜美に敗れメダルを逃し、悔しい思いをする。

その彼女が得意技の腕ひしぎ十字固めで一本をとり、銅メダルを決めたのである。
31歳にして手にした悲願のメダルは、感慨もひとしおに違いない。

決勝戦

決勝の対戦相手は、コソボ共和国のクラスニチであった。
この選手は力強い内股を得意とし、世界ランキング1位の強豪である。

試合が開始すると、渡名喜は盛んに足を飛ばし前に出る。
しかし、クラスニチはパワーだけでなく、スピードも豊かで技も切れる。

強烈な内股を見せたかと思うと、鋭い踏み込みからの大外刈りで脅かす。
さすが、世界ランキング1位は伊達ではない。

寝技で勝負したい渡名喜だが、なかなか攻め切れない。
互いにがっぷりと組み合い引き付けあう中、クラスニチの内股が渡名喜を襲う。
残り20秒で、ついに技ありが決まってしまった。
渡名喜は起死回生の技を狙うも、クラスニチは余裕をもって捌き、無情にも試合終了と相成った。

祖国コソボでは紛争により国民が苦しめられ、オリンピックに出場資格が認められたのは2016年からであった。
クラスニチは、まさに国を背負って金メダルを獲ったのである。
オリンピック女王にふさわしい、王道を行く正統派の柔道であった。

敗戦の余韻冷めやらぬ中で受けた渡名喜風南のインタビューに、私は深い感銘を受けた。
畳の上では堪えていた渡名喜の目から、滂沱の涙が零れ落ちる。
しかし、懸命に言葉を紡ぎ、真摯に答える渡名喜。
「自分の弱さが出た試合でした。しっかり、この負けを認めていきたいと思います」
そして、コロナ禍の中でサポートしてくれた人々への感謝を口にし、結びの言葉とした。

試合直後のインタビューは、敗者にとってあまりにも酷であろう。
とても自分の気持ちを整理するなど、出来はしない。
そんな状況下にありながら、己の弱さを受け入れ、敗北を認め、そして感謝の言葉で締めたのである。

渡名喜風南の銀メダルは、日本が夏冬合わせて獲得した丁度500個目のオリンピックのメダルとなった。
この500個目の記念すべきメダルは金メダルにも負けない輝きを放つ、汗と涙と努力の結晶である。

最後に、渡名喜風南にはこの言葉を贈りたいと思う。
それは、1998年長野オリンピックの女子フィギュアスケートで、僅差の2位に終わったミシェル・クワンの言葉である。

「私は金メダルを失ったのではない。銀メダルを手に入れたのです」

まとめ

準決勝の対ビロディド戦を制した後も、表情ひとつ変えずに畳から降りる渡名喜風南。
普通ならば、最大のライバルを倒した瞬間、わずかながらでも気持ちが弛緩するのが人情であろう。

その渡名喜の姿に、金メダルへのひとかたならぬ思いが伝わってくる。
決勝で敗れたとはいえ、渡名喜の凛とした佇まいは見事であった。

勝負は時の運ともいう。
本稿に登場した柔道家は皆素晴らしく、誰もが勝者に値する。

私は只ひたすら、彼女たちに敬意を表すだけである。

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