柔道4日目、男子81㎏級で永瀬貴規が優勝し、リオ五輪の雪辱を果たした。
これで、柔道男子は4日連続の金メダル獲得となる。
戦前、最も混戦が伝えられていた階級を制した永瀬は、見事の一言に尽きるだろう。
だが、金メダリストの永瀬だけでなく、敗れこそしたが印象深い選手たちがいた。
永瀬貴規の金メダルへの道
永瀬は準決勝までの4試合中3試合で、ゴールデンスコアを戦い抜いて勝ち上がる。
まさに、忍の一字を思わせる我慢の柔道を展開した。
それはまさしく、この5年間の永瀬の人生を具現化したようでもあった。
永瀬は2016年リオ五輪で銅メダルを獲得するが、本人としては全く納得いかない結果であった。
そんな永瀬にアクシデントが襲う。
2017年の世界選手権の試合中、右膝の靭帯を損傷してしまったのだ。
東京オリンピックを目指すため手術を受けるが、復帰まで1年以上かかってしまう。
そうした艱難辛苦の日々にあって、一つひとつ課題を克服して東京オリンピックの代表権を勝ち取ったのである。
そして、迎えた決勝戦。
対戦相手は、2018年の世界選手権王者サイード・モラエイである。
変則的な肩車には注意を要する難敵だ。
永瀬は右で相手の襟を引き、モラエイの肩車を巧みに防ぐ。
なかなか肩車に入れないモラエイは、得意の密着柔道に活路を求めて距離を詰めていく。
モラエイの背中を持ちながらの攻撃に、思わず膝をつく永瀬。
何とか凌いだが、接近戦が続くと危険である。
なおも、道着の脇下を引き付け、力でねじ伏せにかかる。
たまらず永瀬は場外に逃げ、事なきを得た。
しかし、場外反則で永瀬に指導がいく。
手を変え品を変え戦うモラエイに、この試合にかける意気込みが垣間見える。
執拗に道着を引いて接近戦を挑むモラエイに対し、永瀬も根気強く右の釣り手で距離を取り応戦する。
そんな永瀬を、支釣込足でぐらつかせるモラエイ。
担ぎ技だけでなく、足技にも注意を要す厳しい戦いを強いられるが、ここでも辛抱の柔道を貫く永瀬。
まるで水を張った洗面器に顔をつけて我慢比べをし、先に顔を上げた方が負けるような試合展開だ。
試合開始から3分が過ぎたあたりから、永瀬が良い形に組めるようになる。
内股や大内刈りで、ぐらつかせる場面が増えてきた。
愚直なまでの永瀬の粘りの柔道に、徐々にモラエイは劣勢に立たされる。
ペースを掴みつつある永瀬だが、いきなり飛び込んで来て背中を叩くモラエイの奇襲に、時折ハッとさせられる。
やはりというべきか時間内で決着がつかず、勝負の行方はゴールデンスコアに持ち越された。
モラエイが背中を持つ十分な態勢になるも、永瀬が巧みな組手で巻き返す。
永瀬に引き付けられ、嫌がるモラエイは自ら膝をついて逃げる。
試合が再開すると、永瀬はすぐに2本引いて有利な態勢から攻めるが、何とか耐えるモラエイ。
疲労の色が見え始めたモラエイに、永瀬は組手争いで勝つと大外刈りで牽制してから、足車で横転させる。
技ありが決まった!
それは実に、本日4度目となるゴールデンスコアを制した劇的な幕切れであった。
そして、永瀬の5年間が報われた瞬間でもあった。
永瀬貴規の柔道には、決して煌びやかさや派手さはない。
だが、地道にひたむきに取り組んできた我慢の柔道は、苦労人の趣を感じさせる味わいがあった。
この大舞台で、永瀬貴規は自分らしい柔道を貫いた。
サイード・モラエイの柔道人生
今大会、サイード・モラエイはモンゴル代表で出場したが、元々はイラン代表として戦っていた。
では、なぜ彼はモンゴル代表として出場したのだろうか。
それは、2019年に東京で行われた世界選手権のことであった。
イスラエル選手との対戦を避けるべく、イラン政府から試合を放棄するよう圧力をかけられる。
なぜならば、イランはイスラエルと政治的対立状態にあり、自国の選手がイスラエル選手と試合を行うことを許さなかったのである。
だが、モラエイは一柔道家として生きる道を選び、そのまま試合に出場する。
大会後、身の安全を図るためドイツに渡り、その年の12月にモンゴル国籍を取得して今大会の出場に漕ぎ着けた。
2018年の世界選手権で優勝したモラエイにとって、残る悲願はオリンピックの金メダルである。
人生をかけた悲壮な決意を胸に、モラエイは快進撃を続ける。
特に、準々決勝で対戦したジョージアのグリガラシビリは優勝候補であり、苦戦が予想されていた。
ところが、合わせ技一本で逆転勝利を収める。
気迫漲る戦いで決勝まで勝ち上がるも、惜しくも準優勝に終わった。
試合後のコメントに、万感の思いが詰まっていた。
「2年前、今日と同じ日本武道館で敗れ、練習を重ね私は戻ってきた。この間、両親には会えなかった。この銀メダルを、まずは自分自身に…次に両親に捧げたい」
素晴らしき敗者たち
永瀬との激闘を終えたモラエイは、しばし畳の上で仰向けになった。
起き上がると、丁寧に一礼し、永瀬貴規と握手を交わす。
すると、モラエイは永瀬の手を取り、高々と掲げるではないか!
そして、お返しとばかりに、永瀬もモラエイの手を掲げる。
美しい光景だった。
苦渋の決断の末に国を捨て、この大会に人生を懸けたモラエイ。
その戦いに敗れた胸の内は、我々凡夫には推し量ることなどできはしない。
その失意の中、清々しいまでのスポーツマンシップで相手を讃えたのである。
素晴らしい戦いと美しい心に、会場の関係者から拍手が沸き起こる。
このモラエイ。
人々に感動だけでなく、ユーモアも提供する千両役者ぶりを発揮した。
試合が終わったモラエイをコーチが出迎え、担ぎ上げるが、予想以上に重かったのだろうか…。
モラエイもろとも、後ろにひっくり返ってしまった。
そして、スキンヘッドのコーチは、思わず笑みがこぼれるモラエイを再度担ぎ上げて退場した。
敗れた直後とは思えぬ師弟の微笑ましい姿に、相好が崩れてしまう。
まあ、正確にはモラエイというよりも、コーチのワンマンショーのような気もするが…。
どちらにせよ、肩車の名手モラエイの指導を仰ぐ必要があるだろう。
永瀬との準々決勝で、ゴールデンスコアの末に惜敗したドイツのレッセルという選手も印象に残る。
彼はメダルがかかった3位決定戦で、抑え込まれて敗れてしまう。
喜びのあまり畳の上に突っ伏して泣きじゃくる相手に、起き上がったレッセルはポンポンと軽く腰を叩いて祝福する。
そして、開始線に戻り一礼をした後、自ら勝者に歩み寄り、再度祝福の声をかけた。
選手にとって、メダルを手にできるかどうかは一生の問題である。
あと一歩のところで、表彰台に立てなかった悔しさは筆舌に尽くし難い。
にもかかわらず、胸中に広がる絶望を噛みしめながら、勝者を讃えることのできる心の強さ。
一体どれほどの者が、メダルがかかった大一番での敗戦直後に、あの態度をとることができるのだろう。
勝者だけでなく、敗者の中にも存在する素晴らしき魂を持つ者たち。
その柔道家たちの心には、間違いなく「柔の精神」が宿っている。