銀盤の女王② アリーナ・ザギトワ~平昌五輪 氷上の美しき戦い~
平昌五輪フィギュアスケート女子シングルで、史上空前のハイレベルにして美しき戦いが繰り広げられた。その主役はロシアの至宝、アリーナ・ザギトワとエフゲニア・メドベージェワであった。僅か1.31点差の銀盤の戦いは、永遠に語り継がれることだろう。
平昌五輪フィギュアスケート女子シングルで、史上空前のハイレベルにして美しき戦いが繰り広げられた。その主役はロシアの至宝、アリーナ・ザギトワとエフゲニア・メドベージェワであった。僅か1.31点差の銀盤の戦いは、永遠に語り継がれることだろう。
かつて打撃の頂を目指し、神の領域に到達した孤高のバットマンがいた。その打棒を目撃した関係者の多くが、その男を最強のバッターとして挙げている。“臍下丹田に意識を鎮め、そこを中心に五体を結ぶ”。打撃の神髄を極めた伝説の打者・榎本喜八に迫る。
現役時代には史上初の3度の三冠王、監督時代も8年間で4度のリーグ優勝と日本一にも輝いた“俺流”落合博満。野球を知り尽くした慧眼には恐れ入る。ドライで厳しいイメージのある落合だが、プロフェッショナリズムの中に意外な姿も垣間見える。
日本刀のかわりに木製バットを手に携え、平成の世に現れた一人の侍。プロ野球開闢以来、理想とされたバッティングフォームを身に纏い、鋭い眼光のもと一切の妥協なく打撃の真理を追い求めた。そんな「孤高の天才」前田智徳の栄光と苦悩を書き綴る。
1974年開催の西ドイツワールドカップ。その大舞台で、世界に衝撃を与えた革新的戦術が席巻した。ヨハン・クライフ率いるオランダ代表が展開した“トータルフットボール”である。それは、まさに美しくスペクタルな未来のサッカーと呼ぶべきものだった。
牡馬顔負けの歴史的女傑ウオッカ。その最大のライバルといえば、生涯連対率100%を誇るダイワスカーレットである。あらゆる競馬場で実績を残した展開不問の名馬は、まさしく「テンよし 中よし 終いよし。ダイワスカーレットいうことなし」を実践した。
9年間、柔道男子日本代表監督を務めた井上康生が今月末をもって退任する。ロンドン五輪で金メダルなしの辛酸を舐めた日本男子柔道を、ここまで見事に復活させたのが井上監督である。熱意・創意・誠意の3拍子揃った彼は、名選手名監督なりを体現した。
時は、ミレニアムを告げる2000年。シドニー五輪が開幕し、競泳男子200m自由形にスーパースター、イアン・ソープが登場する。優勝候補筆頭のソープの前に、オランダの新鋭ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドが現れた。世界記録の結末や如何に…。
東京パラリンピック競泳最終日、男子100mバタフライ(視覚障害S11)で木村敬一が悲願の金メダルを獲得した。富田宇宙も銀メダルをとり、日本パラ競泳史上初の快挙を達成した。まさしく、このことは日本パラ競泳界の悲願成就の瞬間といえるだろう。
東京パラリンピック大会7日目も、日本勢がメダルを獲得する。そんな中、長らくパラ競泳を牽引してきた「水の女王」成田真由美がラストスイムの時を迎えた。また、隻脚の金メダリストが見せた表彰式の姿に、パラリンピックの精神を見た思いがした。