マイク・タイソン番外編「人生の師 カス・ダマト」





ニューヨークのスラム街に生まれたマイク・タイソンは少年時代から犯罪に手を染め、幾度なく警察の世話になった。

劣悪な環境で育ったタイソンは流されるまま、スラム街で生きる黒人のお決まりのコースを歩むはずだった。

ところが、13歳のとき、彼の人生に希望という名の光明が差し始める。
それは、人生を変える出会いがあったからに他ならない。


真相

運命の邂逅

タイソンがカス・ダマトと出会ったきっかけは、少年院時代のことだった。

そこの教官に、ボビー・スチュアートという元ボクサーがいた。
ある日、ボクシングに興味をもったタイソンは、ボビーにスパーリングを挑む。
タイソンもストリートファイトで鳴らしていたため腕に覚えがあったが、全く歯が立たなかった。
なんと、ボディへの一撃でリングに沈んでしまったのだ。

それから、たびたびスパーリングをするようになると、ボビーはタイソンの才能の煌めきに気付いた。
そして、ボビーはタイソンをボクシングトレーナー、カス・ダマトに紹介したのである

ダマトはタイソンのスパーリングを一目見て確信する。
「未来の世界ヘビー級チャンピオンだ」と。

こうして、1980年代半ば以降のヘビー級戦線で伝説を築いたチャンピオンと、これまた伝説のトレーナーが運命の邂逅を果たすのであった。

“伝説のトレーナー”カス・ダマト

すでに齢70を超えていたカス・ダマトは、人生とボクシングの両面で酸いも甘いも知り尽くす、経験と老獪さを兼ね備えたトレーナーであった。
そして何よりも、ダマトはボクシングを教えることに非常に長けていた。

ボクシング技術に関する知識は無論だが、彼ならではの指導法が秀逸だった。
それは、選手の感情と精神を掌握し、自在に管理していくものである。
そのためには、言葉に説得力がなければ選手をコントロールすることができない。
ダマトは言葉の魔術師だった。

たとえば、試合直前の選手がいるとする。
たいていのトレーナーは「相手を怖がるな」と檄を飛ばす。
しかし、どんな叱咤激励の言葉も、ボクサーの恐怖心を拭うことはできない。
大勢の観客の前でリングに立つ恐怖、顔面や急所にパンチを打たれる恐怖、そして何よりも敗北の恐怖がつきまとうのだ。

ところが、ダマトは一味違う。
ダマトは愛弟子の目をじっと見つめながら、言い聞かせる。
「リングは死ぬほど怖い。ただし…それはどのボクサーも同じだ」

ドイツの哲学者・ショーペンハウアーは言った。
「誰もが 自分の視野の限界を 世界の限界だと 思い込んでいる」

つまり、人は自分の目に映るもの、心で感じるものを、世界の事象の全てだと勘違いしてしまう生き物なのである。
それはボクサーとて例外ではなく、自分だけが心の中で恐怖を飼っていると思い込んでしまう。

このように、ボクサー心理を熟知するダマトは、選手が壁にぶつかるたびに、魔法の言葉を処方箋のように用いていった。
カス・ダマトこそ、選手の肉体と技術、精神の全てを支える究極のメンターといえるだろう。
そして、ボクシングのトレーナーという枠を越えて選手を導いていく様は、スキンヘッドにガッチリとした屈強な体躯、鋭い舌鋒と相まって、独特のカリスマ性と威厳に満ちていた。

ダマトの生き方

ダマトの威厳や凄みは、その生き様からも醸成されたように思う。
頑固で鋼鉄の意志を持ち、決して妥協しない人生を歩んだダマト。
ボクシングの生き字引のような彼は、その世界の裏も表も知り尽くしていた。
ボクシング界隈の裏の部分で跋扈する最たるものがマフィアであり、ダマトは若い頃からマフィアを忌み嫌い、一歩も引かずに渡り合ってきた。
命の危険にさらされたことも、一度や二度ではきかなかったという。

通常ならば、マフィアにとっても目の上のこぶであるダマトは、消されていてもおかしくない。
ところが、人としての迫力やカリスマ性にあふれ、敵と対峙する際の強気な姿勢とは打って変わって弱者に対しては無償の愛で手を差し伸べるなど、ダマトの不思議な魅力にマフィアも一目置いていた。

こうした濃密な人生経験があればこそ、カス・ダマトの複雑なメンタリティが形成された。

史上最年少チャンピオンを目指して

ダマトの言葉はときに厳しく、タイソンは涙を浮かべることもあった。
だが、タイソンが信頼を寄せれば、それ以上の信頼で応えてくれる。
そんなダマトはタイソンにとって、ただ一人の人生の師であり父だった。

暗い路地裏を歩んできたタイソンがダマトと分かり合えたのは、ダマト自身が若い頃、名うてのストリートファイターだったことも一因だろう。
やんちゃだった10代の頃、喧嘩の際に顔を殴られ、片目の視力を失う経験もしている。
そして、何よりもダマトという男は、肌の色で差別をすることがなかった。

一方、ダマトにとっても、タイソンとの出会いは天の配剤であった。
「この若者に出会えて幸せだ。マイクこそ、生き甲斐そのものであり、神が人生の最後にくれた贈り物なのだ」

これまで、フロイド・パターソンやホセ・トーレスを世界王者に育てた名伯楽をして、マイク・タイソンの才能の原石は別格だった。
そして、運命の出会いを果たした二人が目指すのは、史上最年少ヘビー級チャンピオンだった。

ダマトはタイソンに自信と自尊心を植え付けるべく、様々な言葉で暗示をかけていく。
「お前の存在は、世界中の人々が知ることとなる。お前の名がこの世に君臨する。そして、お前の名前は王族にまで知れ渡るだろう」
また、白人の金持ちを見かけると「お前はあんな奴より断然有能だ。あいつには一生かかってもできないことを、お前は必ず実現するだろう。なぜならば、お前には才能があるからだ。そうでなきゃ、この俺がこんなに入れ込むはずがない」

ダマトは言う。
「俺の仕事は火種を見つけて、煽り立てることだ。ごうごうと燃え盛るまで、薪をくべてやることだ」

だが、二人にとって最大の問題は、あまり時間が残されていなかったことである。
自らの余命を悟ったようにダマトは寸暇を惜しんで、持てる知識とタクティクスをタイソンに叩きこもうとした。
タイソンもダマトへの恩に報いるため、世界チャンピオンになろうと必死だった。

練習だけでなく、伝説のチャンピオンたちのビデオテープを擦り切れるほど観て、研鑽を積んでいく。
それ以外にも、ダマトに与えられたチャンピオンたちの伝記も貪欲に読み漁った。
彼らが己の心とどう向き合ったか、試合にどのように備えたかなどを理解することができ、ボクシングへの深い知見を得た。

ダマトの死、史上最年少チャンピオンへ

マイク・タイソンはプロデビューを果たすと、恐るべき破壊力でヘビー級のリングを席巻していく。
師弟の野望が実現する日は、そう遠くないように思えた。

ところが、マイク・タイソンに悲劇が襲う。
デビューから11連勝を飾って間もない1985年11月4日、恩師カス・ダマトが帰らぬ人となる。

タイソンにとって、カス・ダマトが全てだった。
厳しい練習を耐え抜いたのも、試合に勝利しダマトを喜ばせるためだった。
ともすれば、自暴自棄になるタイソンを支えたのが、死を目前にしたダマトがタイソンに向かって言った言葉である。
「世界がお前を待っているぞ!マイク!お前は世界チャンピオンなる」

カス・ダマトの死から1年後、ついに師弟の念願が叶う日が訪れる。
1986年11月22日、WBC世界王者トレバー・バービックと世界タイトルマッチを行った。
ここまで無敗の挑戦者マイク・タイソンは、1ラウンドからチャンピオンに強烈なパンチを叩き込んでいく。
何とかゴングの音を聞いたバービックだったが、次のラウンドに入ってもタイソンの攻勢は続く。
百戦錬磨のチャンピオンも、タイソンの瞬発力と破壊力には為す術がない。
2ラウンド2分35秒、右ボディから右アッパー、左フックという、タイソンが最も得意とする電光石火のコンビネーションブローで、バービックをリングに沈めた。

この瞬間、マイク・タイソンは史上最年少となる20歳4ヵ月でヘビー級王者に輝いた。
カス・ダマトとマイク・タイソンの悲願が、ついに結実した瞬間でもあった。

インタビューに応えるタイソン。
「世界一のボクサーになれたのは、カス・ダマトのおかげだ。俺はカス・ダマトの創造物だ。彼に、ここにいて欲しかった」

そして、マイク・タイソンは最後にこう結ぶ。
「この勝利を偉大な守護者カス・ダマトに捧げたい」

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