第80期A級順位戦が終了し、羽生善治九段のA級陥落が決定した。
1993年度にA級へ昇級して以来、29期連続在位でストップとなる。
2017年の竜王戦で史上初の永世七冠に輝き、タイトル獲得数も99期まで伸ばすも、100期目前で足踏み状態が続いている。
そして、今年度はプロ入り後初となる負け越しも確定した。
全てに秀でていた“史上最強のオールラウンダー”羽生善治だが、近年は特に終盤力が衰えたように思える。
逆転の絶妙手“羽生マジック”に代表される圧倒的な終盤の強さが鳴りを潜め、むしろ競り負けるケースが散見されるようになった。
天才・羽生善治といえども51歳という年齢を前に、力の衰えを隠せないのは当然なのかもしれない。
だが、年齢の限界を超越し、生涯A級を守った巨星がいる。
大山康晴十五世名人である。
大山康晴の晩節 (ちくま文庫)
A級の重み
そもそも、A級をはじめとする順位戦とは何なのだろうか。
プロ棋士は上の階級から、A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組というクラスに所属し、1年かけて各クラスのメンバーと戦っていく。
基本的に、一つのクラスから昇級できるのは2~3名である。
そして、最上位クラスのA級の優勝者が、将棋界で最も長い伝統を誇る名人位への挑戦権を獲得する。
ちなみに、A級に在籍するのは10名だけの狭き門である。
竜王などのタイトルホルダーと共に、トッププロの証といえるだろう。
もちろん、A級まで上り詰めるのも難関だが、残留するのは更に難しい。
そして、年齢を重ねるほど、その地位をキープするのが困難になっていく。
前述のように、羽生善治はA級在位29期連続(名人9期を含む)でストップしたが、これは中原誠十六世名人(名人15期)と並ぶ歴代4位の記録である。
では、A級順位戦の連続在位記録で、羽生を上回る3名は誰なのだろう。
3位が升田幸三実力制第四代名人で、31期連続(名人2期)となっている。
ちなみに、升田は引退するまでA級に在籍した。
2位が十七世名人資格保持者の谷川浩司九段で、32期連続(名人5期)である。
そして、栄えある第1位が大山康晴十五世名人の44期連続(名人18期)なのだ。
いかに、大山が突出しているかが分かるだろう。
A級最終在位時の年齢を見ると、升田こそ61歳だが、谷川と羽生が51歳、中原52歳、十八世名人の資格保持者・森内俊之に至っては46歳となっている。
翻って、大山康晴十五世名人は、死去する69歳までA級に君臨したのだ!
文字通り、その地位を死守した超人と呼ぶにふさわしい。
年齢の壁
中原誠十六世名人が以前、興味深いことを語っていた。
「40代前半までは存分に指せていた。45歳を過ぎると頭の中の将棋盤の映像が暗くなった。大山康晴十五世名人も45歳ぐらいから勝ち方がおかしくなった」
“棋界の名ライター”河口俊彦も大山を評し、「45歳のときには徐々に衰えが現れていた」と語っている。
これは、中原や大山といった大名人だけに当てはまるわけではなく、ほぼ全ての棋士に言えることである。
事実、羽生善治ですら40代半ばを過ぎてから、勢いが落ちてきた。
2021年度は、勝率4割を切るほどの低調ぶりである。
驚異の50代以降
他の棋士同様、40代半ば以降は全盛期に比べ、翳りが見え始めた大山康晴。
かつて全冠制覇を達成し、棋界の頂点を極めた大山が50歳目前で無冠となる。
口さがない者などは大山の凋落を揶揄し、引退の噂をする者も現れた。
だが、無冠となった翌昭和48年、50歳となった大山は中原の持つ十段位に挑戦し、見事タイトルを奪取する。
記者に感想を訊かれた大山は、「50歳の新人として戦いました」と謙虚に答えた。
こうして、50歳を機に再出発した大山は50~60代にかけて、俄かには信じられない成績をあげていく。
51歳と63歳の時には、名人挑戦者に名乗りをあげる。
いずれも、時の名人中原誠に敗れはしたが、51歳での挑戦ではフルセットにまでもつれ込む大熱戦となった。
そもそも51歳の時もだが、63歳でA級順位戦を制し挑戦権を獲得するなど、誰が信じられるというのだろう。
普通ならば、残留することさえ至難の業なのだ。
還暦を過ぎて、名人挑戦権を獲得する大山の威容に言葉もない。
66歳の時には、タイトル奪取とはならなかったが棋王戦に挑戦した。
もちろん、史上最高齢でのタイトル戦登場である。
王将戦では50代後半で3連覇を成し遂げた。
59歳でのタイトル獲得は、これまた最年長記録である。
さらに、棋聖戦では7連覇を達成した。
結局、50代以降で22回もタイトル戦に登場し、実に11度もタイトルを獲得する。
敗れた11回のほとんどが相性の悪い中原が相手であり、時代の覇者・中原誠以外には変わらぬ圧倒的な力を誇示していた。
また、タイトル戦以外の一般棋戦でも数多く優勝するなど、生涯に渡って年齢の壁を感じさせない活躍をみせていた。
大山の凄さを表わすデータは、タイトル戦や一般棋戦だけではない。
50歳になった昭和48年以降の将棋大賞を見ていくと、さらに驚かされる。
昭和48~50年度、昭和54年度の4回で最多勝利賞。
昭和49~50年度、昭和54年度の3回で最多対局賞。
昭和51年度は連勝賞。
昭和48年度と昭和54年度には、最優秀棋士賞まで獲得している。
勝利数と対局数は相関関係がある。
勝てば勝つほど、対局数が増えるからだ。
通常、最多勝利賞や最多対局賞は、勢いのある若手棋士が獲得することが多い。
各棋戦の予選や、タイトル戦の挑戦者決定リーグ等で戦う機会が増えるため、勝ち星や対局数を稼ぎやすくなるからである。
もちろん例外はあり、特に全盛時代の羽生善治は勝ちまくっていたが、それも40代前半までである。
にもかかわらず、大山は50代でこれだけの賞を獲得しているのである。
特に、昭和54年度は56歳という年齢でありながら53勝21敗で勝率.716という成績を残し、昭和55年度も賞には絡まなかったが41勝17敗で勝率.707を誇った。
下位クラスの有望な若手でも勝率7割を超えるのは難しく、いかに大山が驚異的であるかが理解できるだろう。
羽生善治が大山の記録を塗り替えるごとに、史上最強棋士について論争が起こる。
羽生善治が最強棋士という見解が有力である印象を受ける。
最近では、そこに藤井聡太も候補に挙がりつつある。
だが、全盛期の圧倒的支配度や50代以降の成績を見るにつけ、一概にそうとも言えない気もする。
中原、谷川、米長らも50歳を超えると、勝率5割をキープするのが難しくなっていた。
羽生とタイトルを争っていた佐藤康光や森内俊之ら羽生世代の棋士も、40代後半に差し掛かると勝率5割をキープできなくなってしまう。
羽生善治とて、ここ数年は勝率6割に満たなくなっている。
もしかすると、羽生善治だけでなく藤井聡太を筆頭に、今後も勝利数やタイトル獲得数等では、大山を上回る棋士が出てくるかもしれない。
大山の時代に比べて、タイトル戦の数が大幅に増えているからだ。
しかし、時代背景が違うとはいえ、晩年にこれほどの成績を残せる棋士は二度と現れないのではないだろうか。