追悼 マービン・ハグラー “マーベラス”よ永遠に




去る現地時間の3月13日、元統一ミドル級チャンピオンのマービン・ハグラーが逝去した。

私がそのニュースを知ったのは、3月15日の夜だった。
仕事から帰宅し、日本一の桜の名所としても名高い弘前城周辺の動画を見て、その美しさに感動していた直後に、訃報が飛び込んで来たのである。
一瞬にして感動が吹き飛び、茫然自失となってしまう。

私にとってマービン・ハグラーは最も偉大で、最も尊敬に値するボクサーであり、そしてまさしく“マーベラス”なチャンピオンであった。
どんな強敵の挑戦も逃げずに受けて立ち、ゴングが鳴った後も決して怯むことなく真正面から打ち合った。
まさに真のチャンピオンの姿を体現した、王道を歩むボクサーだった。

そして、人生の全てをボクシングに捧げるべく節制に励み、王者を戴冠した後も変わらず練習に励んできた。
タイトル戦の前になると必ず厳しいキャンプを張り、そこから帰還したハグラーは全てをやり遂げた者だけに漂う清々しいまでの表情を湛えていた。
世界中のボクサーだけでなく、全てのボクシングファン、そして多くの芸能界のトップランナー達もハグラーには尊敬のまなざしを送っていたのである。

80年代の黄金のミドルに集いし伝説のボクサー達は、ある者はドラッグやセックスに嵌り、ある者はアルコールに溺れるなど、人生の中で不摂生な生活に身を投じる日々も送ってきた。
だが、ハグラーはレナードとの再戦が難航する最中、焦燥感から一時的にアルコールに手を出したことはあるものの、人生の大半を禁欲的に過ごし節制に務めてきた。
にもかかわらず、伝説の4人の中で最も早く天に召されるとは…人生の皮肉を感じずにはいられない。

しかも、晩年も現役時代に比べ恰幅こそ良くなっていたが、特段健康にも問題はなかったという。
それが、一説によると死因はコロナウイルスワクチンによる副反応による急逝だというのだから、より一層やりきれない思いが募った。


実は、ブログの中で書き連ねたハグラーの記事は、1月中旬には完成していた。
当初は、自らブログを起ち上げる気など毛頭なく、どこかのサイトにでも投稿しようと思っていた。
だが、どうせやるなら自らのブログ上で何の制約も受けずに自由に公開したいと思うようになる。

そして、ハグラーというボクサーの素晴らしさ、偉大さ、何よりもその高潔な精神を余すことなく伝えたいと思ったのである。

だが、準備に取り掛かっていたものの、天性のものぐさが災いし、遅々として進まなかった。
そこに飛び込んで来たハグラーの訃報。

私はマービン・ハグラーに喝を入れられた気持ちになった。
ダラダラと問題を先送りにする私に、「人生は何が起きるか分からない。そして、人はいつ死ぬのか誰にも分からない」ということを、身をもって教えられたような気がした。
ハグラーの死に直面しなければ、間違いなく未だブログの開設には漕ぎ着けていないだろう。

あともう一つ、私はハグラーに懺悔しなければならないことがある。
ハグラーはレナード戦の後、かねてからの夢だった俳優に転向した。
当時の私は、ベルトを失った途端にボクシングへの情熱が冷め、華やかな世界に目移りしトットと引退したと思い込み、ハグラーに失望してしまう。
だが、実際は誰よりも悔しい思いを抱えながら葛藤し、最後までボクシングを愛し続けた事実を後に知る。
やはり、“マーベラス”マービン・ハグラーは真のボクサーだったのだ。

早いもので、ハグラーの人生の恩師にして最良の友人であるグッディ&パットのペトロネリ兄弟が、旅立って10年の月日が経つ。
兄弟はもちろん、ハグラーが向かう先もまた天国に違いない。
再会を果たした暁には、共に戦った日々では一緒に酌み交わすことのなかった酒でも飲みながら、きっと往時のボクシング談議に花を咲かせていることだろう。

さらば、マービン・ハグラー。

“マーベラス”よ永遠に。


BOXING BEAT(ボクシング・ビート) (2021年5月号)

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