“マーベラス”マービン・ハグラー ~世界中のボクサーが敬意を表したミドル級の帝王~⑤




第2章 偉大なる王者

“野獣”ジョン・ムガビ戦

“モーターシティ・コブラ”“ヒットマン”のニックネームを轟かせるトーマス・ハーンズとの世紀の一戦を制したハグラーは、次なる挑戦者としてウガンダ出身のジョン・ムガビを迎える。

このムガビ。ここまで26戦26勝26KOという恐るべき戦績を誇っていた。
しかも、1ラウンドKOが11回、1試合平均が2.8ラウンドという、俄かには信じられないような戦いぶりである。
その抜群の破壊力から、いつしか“野獣”と呼ばれるようになっていた。

1980年代のボクシング界において最も完成され、最も偉大なチャンピオンであるハグラーも、今度ばかりは倒されるかもしれないと予想する識者もいたほどだ。

1986年3月10日、ラスベカスのシーザース・パレスで戦いの火蓋が落とされた。
開始早々、ムガビのパンチが唸りを上げる。
1階級上げての挑戦だったが、全くそのことを感じさせないムガビの剛腕。
まさしく“野獣”の名に違わぬ、26戦全勝全KOの戦績が伊達ではないことを窺わせた。

しかし、そこは“驚異の男”ハグラー。
サウスポースタイルから放たれる、ジャブと呼ぶにはあまりにも強烈な右のリードパンチが的確にチャレンジャーの顔面にヒットする。

そんな固唾を飲む攻防の中、4ラウンド終盤にムガビの強烈無比な右アッパーがハグラーの顎を突き上げた。
並のボクサーならダウン必至のKOパンチだが、ミドル級史上屈指ともいわれる鉄の顎を持つ“マーベラス”マービン・ハグラーは何事もなかったかのように打ち返す。

試合後、「4ラウンドに完璧なアッパーを当てた。私はKOパンチャーだ。他の相手なら皆倒れていたはずのパンチだったが、彼には全く効かなかった」と語るムガビは、ハグラーのタフネスさに舌を巻く。

それにしても、私が感銘を受けたのはハグラーの戦い方である。
全戦KOの強打の挑戦者に真っ向から打ち合いを挑んでいるではないか。
たしかに、ハグラーもKO率80%に迫るハードパンチャーであり、その強打はボクシング界を畏怖させていた。
だが、テクニックで勝り、足もそこそこ使えるハグラーならば、ムガビの強打を正面から迎え撃たずとも戦えたはずだ。
さすが歴戦の勇者にして“マーベラス”の名に恥じぬ偉大な王者だけのことはある。

ラウンドが進むにつれペースを掴んでいったハグラーは、6ラウンドに入りムガビに左右の連打を浴びせかける。
チャンピオンのパンチが当たるたび、挑戦者の褐色の体から汗がしぶきのように飛び散った。
防戦一方のムガビは、ダウン寸前まで追い込まれるもゴングに救われる。

このラウンド以降、スタミナに勝るハグラーは前に出てプレッシャーをかけ続け、ムガビの手数はめっきり減っていく。
顔面を打つと見せては懐に踏み込みボディブローを効かせるなど、ハグラーのテクニックと老獪な試合運びが光る。もちろん、時折唸りを上げて飛んで来る“野獣”ムガビの殺人パンチは、一撃必殺の破壊力を秘めており油断ならない。

10ラウンドに入ると、さらに激しさを増す両雄の打ち合い。
ハグラー優勢だが、ムガビのパンチも序盤の威力そのままにチャンピオンを襲う。

そして、ついに決着の時を迎える11ラウンド。
出だしから、ハグラーは前へ前へと攻勢をかける。
その様は、まるで獰猛な“野獣”を檻の中に追い立てる狩人のようであった。

ボディを執拗に叩かれ、徐々にダメージが蓄積していくムガビは後退する。
その刹那、ショートレンジからハグラーの右フックが挑戦者を捉える。
すると、ふらつくムガビへのとどめとばかりに、“マーベラス”マービン・ハグラー渾身の右ストレートがムガビの顔面を打ち抜いた。

マットに崩れ落ちる“野獣”ジョン・ムガビ。
その瞬間、長きに渡り繰り広げられた激闘に終止符が打たれた。

ラウンドの序盤は、ムガビがペースを握っていたように思う。
中盤に入るとハグラーが主導権を奪い返し、右のリードブローを中心に多彩な攻撃を仕掛けていき、最後は総合力で勝る王者に凱歌が上がる。
その勝ち方はハグラーらしい、まさしく“ねじ伏せる”という表現がふさわしいものだった。

敗れたとはいえ、“野獣”ジョン・ムガビは紛れもなく最強の挑戦者だった。
打たれ強いハグラーでなければ、倒されていたであろう強打を何度も放っていた。
むしろ、純粋なパンチ力だけでいえば、ムガビの方が強烈だったのではないだろうか。

事実、ハグラーはムガビのパンチを評して「ライトヘビー級並のパンチだった。これまで対戦した中で、ハーンズと並ぶ強打の持ち主だった」と述べている。
そして、ハグラーの重く的確なパンチを被弾し続けながらも、11ラウンドまで持ちこたえたタフネスさと根性は称賛に値しよう。

惜しむらくは、この一戦を境に打たれ脆くなってしまったことだ。
おそらく、ハグラーとの激闘によるダメージが大きすぎたのだろう。

それにしても、これぞ「強者同士の果たし合い」というタフな試合。
それは、まるでダンスを見るような昨今のタイトルマッチとは一線を隔した、魂を揺さぶる真の戦いであった。

“マーベラス”マービン・ハグラーとジョン・ムガビの両雄には心から拍手を送りたい。


BOXING BEAT(ボクシング・ビート) (2021年5月号)

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