“マーベラス”マービン・ハグラー ~世界中のボクサーが敬意を表したミドル級の帝王~⑧




第2章 偉大なる王者

引退

試合終了後、勝利を確信していたマービン・ハグラーは「勝ちを盗まれた」と憤りを隠せない。
当然ながら、レナードとの再戦を要求する。
微妙な判定だったこともあり、世論もレナードとのリマッチを後押しした。

ところが、レナードは試合から1ヶ月後にミドル級のチャンピオンベルトを返還し、色よい返事をせずにダラダラと交渉を引き延ばす。
ファイトマネーやリングの広さ、グローブの条件などを突き付け、それをハグラー陣営が認めるとまた新たな条件を提示するという風に。

元々、1試合だけのカムバックと決めていたレナードにとって、ハグラーとの再戦はリスクしかなかった。
今度こそ怒り心頭のハグラーが、ハーンズ戦で見せたような殺戮本能剥き出しのファイトで挑んでくるのが火を見るより明らかだったからである。

時にはハグラーに侮蔑の言葉を投げかけ挑発し、またある時には引退を仄めかすレナードに批判が集まったことは言うまでもないだろう。
そうして、いたずらに時間だけが過ぎる中、徐々にハグラーは焦燥感に苛まれ、アルコール漬けになってしまう。
その姿に、仲睦まじかった妻から離婚を要求されるなど、苦難の日々を送るハグラーは現実を直視する。
「このままでは、俺はダメになる」と。

チャンピオンベルトを失ってから1年が経ち、34歳の誕生日を迎えたばかりのハグラーは、ついにレナードとの再戦を諦め引退を表明する。
「心はYes(現役続行)。だが、頭はNo(引退)」との言葉を残しリングに別れを告げた“マーベラス”マービン・ハグラーは、第2の人生を歩むためイタリアの古都に旅立つのであった。

まとめ

「道のりは遠くとも、目標に向かって歩めば、一歩一歩近づくことだけは確かだ」

これは、元プロ野球監督にして“悲運の闘将”と呼ばれた西本幸雄の座右の銘である。
この言葉を具現化したような“マーベラス”マービン・ハグラーの人生。

弱小ジムゆえのプロモート力の乏しさ、そして、自らの地味なファイトスタイルや求道者のようなメンタリィティゆえに、不当な評価を受け続けた不遇のボクサー。
しかし、「お前がキューキューと軋む音を立てて車を走らせていたら、きっと誰かがオイルを入れに助けに来てくれる。人生とはそういうものだ」と励ますペトロネリ兄弟と共に、悲願成就を果たした道のりは“悲運の闘将”の箴言を思い出さずにいられない。

たしかに、5階級制覇を成し遂げたハーンズやレナードに比べれば、ハグラーに華やかさはない。
12度もの世界タイトルを防衛したにもかかわらず、生涯収入はレナードの半分にも遠く及ばない。

しかし、“ボクシング界の太陽”レナードは、プロモーターをはじめとする周囲の人間を信用できず疑心暗鬼に陥り、ドラッグやセックスに溺れてしまう。
対照的に、一般人が見たら目が眩むような高額なファイトマネーを前にしても一切揉めることなく、変わらぬ信頼関係で結ばれたハグラーとペトロネリ兄弟。

ペトロネリ兄弟といえば、こんなことも思い出す。
レナード戦を終え、偉大なチャンピオンを支え続けた名トレーナーは記者達に対して静かに語り始めた。

「あなた達は、この判定が様々な感情に左右されたものではないと言い切れるのか?本当に公平なジャッジだったと思うのか?ジャッジは何十年後かに必ず裁かれる。
あなた達も記者ならば、記事を書くときは試合だけを見て欲しい。これは我々のためではない。あなた達のために忠告しているのだ」

そして、哀し気に付け加える。
「先週のゴールデングローブでも微妙な判定でうちの子が負けた。またかと本当に悔しい」

世界中が注目したメガマッチと単なるアマチュアの試合を同じように語る姿からは、ボクシングへの限りない愛情と真摯な思いが伝わり、何かとても神聖なものを見た気がした。
こんなペトロネリ兄弟だからこそ、引退後もハグラーは生涯の友として親交を持ち続けたに違いない。

「俺の禿頭を切り開いてみたら、そこには大きなボクシンググローブが見つかるだろう。それが俺だ。俺はそいつを生きているんだ」

己が信念と義理人情を矜持とし、誰よりもボクシングを愛した“驚異の男”らしい、なんとも沁みる言葉ではないか。

名ボクサーは数あれど、“マーベラス”マービン・ハグラーほど心に残るボクサーは2度と現れることはないだろう。


BOXING BEAT(ボクシング・ビート) (2021年5月号)

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