“マーベラス”マービン・ハグラー ~世界中のボクサーが敬意を表したミドル級の帝王~⑦




第2章 偉大なる王者

“スーパーエクスプレス”シュガー・レイ・レナード戦
(2) 今世紀最後のメガマッチ「THE SUPER FIGHT」

1987年4月6日、世界戦の定番であるラスベガスのシーザース・パレスで今世紀最後のメガマッチと謳われた“マーベラス”マービン・ハグラー対“スーパーエクスプレス”シュガー・レイ・レナードの戦いの幕が切って落とされた。

白いトランクスのレナードに対し、濃紺のトランクスでリングに立つハグラー。
両雄の褐色の肉体は見事なまでに仕上げられ、一分の隙もないほどに研ぎ澄まされている。
リングアナウンサーによる紹介が終わると、ゴングの音が打ち鳴らされた。

試合が開始すると、本来のサウスポースタイルではなく、オーソドックススタイルで構えるハグラー。
立ち上がりはじっくりと腰を据えて、レナードの様子を窺っている。

一方、レナードは軽やかなステップを踏み、3年間のブランクを全く感じさせない動きを見せる。
ラウンドの中盤には、速射砲のようなワンツースリーの連打をチャンピオンにお見舞いするではないか。
ハグラーもじわじわと前に出て圧力をかけるが、レナードが持ち前のスピードを生かしてペースを握る。

2ラウンドに入っても、ハグラーが前に出て来るところに合わせて効果的なカウンターパンチをヒットさせる。
そして時折、相手を挑発するようなトリッキーな動きを見せながら観客を沸かしていく。

しかし、マービン・ハグラーに全く焦りはなかった。
レナードが序盤から飛ばして来るのは織り込み済みであり、スタミナを消費し動きが落ちる後半に勝負をかけるプランを練っていたからだ。

3ランドに入ると、スロースターターのハグラーにも徐々にエンジンがかかり始め、ようやくパンチがレナードを捉えるようになってきた。
だが、アッパーからボディへのコンビネーション、スピード溢れる右ストレートなど変幻自在のパンチを繰り出すレナードが試合の主導権を握り続けている。

4ラウンドでも、右腕をグルグルと回転させるお得意のポーズから会心のボディブローをヒットさせ、観客を魅了するレナード。
試合前レナードは「自分が不利なのは承知だが、勝機は十分にある。正面から真っ向打ちあう愚は犯さない。KOを狙う必要はないし、それゆえ強いパンチは打たずにポイントを稼いで勝利する。とにかく足を使って素早く動く」とインタビューに答えていた。
この発言どおりの試合運びで、前半戦は完全にレナードが支配していたといえるだろう。

しかし、“驚異の男”がこのまま終わるはずはなかった。
インターバルでセコンドのペトロネリ兄弟が激を飛ばした5ラウンド、ついにハグラーが本格的に反撃の狼煙を上げる。
ハンドスピードでは“電撃手”の異名を取るレナードに後れを取りながらも、重いパンチをチャレンジャーの体に叩きつける。
この試合で初めて、スーパーエクスプレス“夢の超特急”の動きが止まった。
ラウンド後半、ロープを背にハグラーに連打を浴びるも、何とか凌ぐレナード。
中盤戦に入り、試合の流れが変わる兆しが現れる。

6ラウンド早々、レナードの強烈なアッパーがハグラーの顎を打ち抜く。
その後も、左右のワンツーを顔面に浴びせ、試合の流れを再び引き寄せる
だが、あれだけ軽快だったレナードのフットワークに翳りが見え出した。
それでもダッキングやスウェ―バックなどの高等技術を駆使し、一瞬の見切りでハグラーのパンチを紙一重で捌いていく。
やはり、シュガー・レイ・レナードは間違いなく神に選ばれし天才なのだ。

7ラウンドからはハグラーが攻勢をかける。
特に、サウスポースタイルから放たれる右のジャブがレナードの頬にヒットするケースが目立ち始めた。
さすがに、ここに来てレナードの生命線であるスピードが落ち、ハグラーの圧力に押され出す。
ハグラーの出鼻にレナードの細かいパンチが当たる場面もあるが、如何せん散発だ。

そして、9ラウンドにハグラー最大のチャンスが訪れる。
出だしこそ思い出したようにスピーディな動きを見せたレナードを、ラウンド半ばでロープに追い詰めた。
完全に足が止まった挑戦者を左右の強打が襲い掛かる。

ところが、目にも止まらぬ閃光のようなパンチで応酬するレナード。
棒立ちになりながらも人智を越えた精神の力を呼び起こし、ハグラーの猛威から脱出してみせたのである。

しかし、残り1分を切ったところでハグラーの左フックがレナードをふらつかせる。
さすが、本物のミドル級の破壊力を誇る“マーベラス”の重厚なパンチ。
再び、ロープに詰まる挑戦者。今度こそ余力がないかに見えた。
だが、またしてもフラッシュのような高速回転のパンチでミドル級の帝王を迎え撃つではないか。

レナードの一体どこに、こんな力が残されていたのであろうか…。
苦しい態勢の中、クリンチに逃げるのではなく敢然と打ち合う姿にシーザース・パレスの観客の心は鷲掴みにされ、会場はレナードへの声援一色に染まっていく。
この再三再四にわたるピンチを凌ぐレナードの頑張りは、見事としか言いようがない。
シュガー・レイ・レナードというボクサーの本質は、スピーディで華麗なステップや回転の速いパンチではなく、逆境の中で発揮される決して諦めないスピリットだと痛感させられた。

ハグラーにしてみれば、ここでレナードをリングに沈められなかったことが何とも痛かった。

10、11ラウンドも一進一退の攻防が繰り広げられた。
序盤戦のダンサーのような軽やかな動きが止まったレナードに、愚直なまでにインファイトを仕掛けるハグラー。
地味ながらも確実なパンチを当てるハグラーに対し、体力的には消耗し切っているにもかかわらず派手なパフォーマンスとショーマンシップで観客を熱狂させるレナード。
ここでも、対照的なふたりの戦いぶりが興味深い。

そして、ついにフィナーレを迎える「THE SUPER FIGHT」。
最終ラウンド開始のゴングが響くと、レナードは息を吹き返したように華麗なステップを踏む。
“スーパーエクスプレス”の真骨頂ここに極まれり。

だが、熟練の職人を彷彿とさせる“マーベラス”マービン・ハグラーも、己がボクシングを全うすべく前に出る。
コーナーに追い詰め力強いパンチを捩じ込むも、レナードは渾身の力を振り絞り目にも止まらぬ連打で応酬する。
その様は、ハグラーが1発打つ間に10数発のパンチを見舞うが如しである。
再び距離を取り、またしても“夢の超特急”さながらの動きで、ミドル級の帝王を翻弄し始める。

そして、残り1分を切りレナードが右手をあげて拳をグルグル回すお得意のパフォーマンスで観客にアピールする。
すると、あの “マーベラス”マービン・ハグラーが、レナードさながらに右手をグルグルと回し始めたではないか。

この光景を見た私は、我が目を疑った。
愚直なまでに強さを追い求め、ボクシングという険しき道をひた向きに歩み続けてきた“求道者”が、あれだけ忌み嫌っていた派手なパフォーマンスに身を投じていたからだ。
その瞬間、私は思った。
「たとえハグラーはこの試合で勝利を収めたとしても、真の意味ではレナードに敗れ、己に負けたのだ」と。

逆にいえば、観客だけでなく、あの“驚異の男”ですら“レナードの魔法”にかかってしまったのかもしれない。
あるいは、裏路地をコツコツと歩んで来た“労働者”のようなハグラーには、常にスポットライトを浴び続け、太陽のような輝きを放つシュガー・レイ・レナードという閃光は眩し過ぎたのかもしれない。
そして、その閃光に幻惑され、本来の自分の姿を見失ってしまったのではないか。
しかし、それもレナードの感動すら覚える頑張りがあればこそである。

とうとう試合の残り時間が30秒を切り、ハグラーが最後のラッシュをかけた。
ロープを背負うレナードも、一歩も引かずに打ち返す。

ラスト5秒。ハグラー渾身の左フックが炸裂する。
足にきたレナードだが、何とか堪えて終了のゴングを聞いた。
ハグラーからしてみれば、あと数十秒でも時間があれば…。

戦いを終えた両者は、互いに両手をあげて勝利をアピールする。
しかし、その刹那、レナードはガックリと膝を落とし倒れ込むではないか。
精も根も尽き果てたレナードは、セコンドに抱きかかえられなければ立つことも出来ない。

この姿に私は感動した。
最終ラウンドもあれだけの動きを見せた“スーパーエクスプレス”シュガー・レイ・レナードは、実はとうの昔に限界に達しながらもスピリットのみで自らの肉体を動かしていたのである。
3年ぶりのカムバックを果たし、公開処刑ともいわれた世界戦で、ミドル級史上屈指の王者に心折れることなく最後まで戦い抜いたレナードには称賛の言葉しかないだろう。

ついに「THE SUPER FIGHT」は判定に持ち込まれ、ジャッジを待つのみとなる。

まず1人目。
115-113でマービン・ハグラー。
続いて118-110でシュガー・レイ・レナード。

そして、運命の3人目のジャッジ。
静寂に包まれるシーザース・パレスの特設リング…。

115-113…レナード!
リングアナウンサーの「AND NEW!」の声が鳴り響き、シュガー・レイ・レナードが歓喜する。
2対1のスプリット・ディシジョンという際どい戦いを制したのは挑戦者だった。



試合を振り返ってみると、ラウンドごとに必ず片方にポイントを与えるマストシステムが、この試合の結果に大きく影響した。
なぜならば、細かいパンチを当て僅かな優勢を築いたラウンドも、相手を完全にグロッキーにさせダウン寸前にまで追い込んだラウンドも、ジャッジの判定は10-9になるからである。

また、レナードの勝利は陣営の周到な用意と戦術が功を奏した。
通常よりも1メートル以上も広いリングが、足を使ったアウトボクシングスタイルのレナードに利をもたらしたことは明白である。
そして何といっても、15ラウンドではなく12ラウンド制になったことが勝負の分かれ目となった。

常々、「15ラウンドの戦いはラスト3ラウンドこそが真の勝負」と言い切るハグラーの主張を巧みな交渉術で跳ね除け、12ラウンド制に持ち込んだことが最大の勝利の要因だろう。
レナードは、後半になるに従いスピードが落ち、気力だけで戦っていた。
どう見ても、あと3ラウンドを凌ぎ切る力は残っているとは思えなかった。
それは、前述したように12ラウンドが終了した後に、疲労困憊のあまり膝から崩れ落ちた姿が何よりの証左だろう。
呼吸ひとつ乱れていないハグラーが、もう1試合できそうな雰囲気だったのとは余りにも好対照であった。

実は、私はこの試合を衛星生中継でライブ観戦しただけでなく、しばらくしてから動画でも見直している。
最初にライブ観戦した時はレナードの勝ちだと思った。
あのスピリット、あの歓声、そして派手な連打に華麗なフットワーク。
何よりも最強の王者に大善戦し、最後までリングに立っていただけでも偉業だと感じたからだ。

しかし、時を経て改めて見直すと、試合全体としてはハグラーの方が優勢ではないかと思い直した。
常に攻勢をとり、明らかにダメージを与えていたのがハグラーだったからである。

一体どちらが勝っていたのだろうかと、時々思いを巡らすことがある。
だが、勝負は一瞬であり、やり直しがきかない。
後から冷静に分析しても、詮無いことなのである。
実質的にはハグラーが勝っていたのかもしれないが、あの時間と空間を支配していたのは“レナードがかけた魔法”だった。

今でも、どちらが勝っていたか議論が分かれているという。
ただ一つ言えるのは、それほどまでに接戦だったということである。


神々の拳―ボクシング中量級黄金伝説 (B・B MOOK 675 スポーツシリーズ NO. 547)

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