羽生善治永世七冠 「水曜どうでしょう」ディレクターとの対談 レビュー





日本一有名なローカル番組「水曜どうでしょう」。
今をときめく、大泉洋の出世作としても知られている。

その人気番組のディレクター・藤村忠寿と嬉野(うれしの)雅道が、羽生善治永世七冠をゲストに迎え対談を行った。

終始和やかなムードの中、ときにユーモアたっぷりに、ときに我々一般人にもためになる、実り多きトークが展開した。

羽生さんと水曜どうでしょう

まずは、羽生善治永世七冠の簡単なプロフィールを紹介する。
当然、25歳で達成した七冠制覇に話題がいった。
羽生さんは「もう、随分前になりますね~…」と感慨深げに振り返る。

そこに藤野ディレクターが斬り込んできた。

「うちの番組は26年間無冠ですね~」

そして、どうやら羽生さんが国民栄誉賞を受賞していたことを失念していたようだ。
それを物語るように、建築現場ふうの場所で収録している模様…。
しかし、羽生さんは全く意に介さず、むしろ楽しんでいる様子である。

意外なことに、羽生さんは「水曜どうでしょう」を視聴していた。
羽生さんはタイトル戦などで日本全国津々浦々を回っており、深夜対局が終わりテレビをつけると、当番組はどこに行っても再放送していたのである。
その流れで、対局で着ていた和服を畳みながら見るようになったという。
ただし、地方地方で再放送のタイミングが異なるため、時系列がバラバラで話の経緯が分からないのが玉に瑕でもあり、そこが面白くもあるようだ。

番組の名場面や好きなところに話柄が移り、盛り上がる3人の出演者。
いつも明るい雰囲気を纏う羽生さんだが、ここまで屈託のない笑顔を見せるのも珍しい。
見ているこちらまで、心地よい気分になっていく。

羽生善治の名言を紐解く

当番組では、羽生さんのこれまでの名言を本人の口から説明してもらうという、なんとも贅沢な趣向も凝らしている。
また、それにとどまらず、ディレクターの質問に対する羽生さんの回答が、思わず唸らされる。
羽生ファンならずとも必見である。

1.「迷ってしまうような局面にたくさん出合ってきたからこそ、ここまで来ることができた」

この言葉は、羽生さんが上梓した本の一説である。
番組で話した要旨はこうだ。

たとえば、甲乙つけがたい選択肢が目の前にあったとする。
そもそも、甲乙つけがたいという状況に直面していること自体、ブラッシュアップしたところまで来ているという証拠である。
普通はそこまで辿り着くことができず、こちらの方が明らかに良いというような、判断がつく状況がほとんどだ。

容易には選べないほど磨き上げられた、選択肢しか残っていない状況に身を置ける。
それ即ち、地力が付いた証なのである。


迷いながら、強くなる (知的生きかた文庫)

2. 将棋と番組の共通点

嬉野ディレクターは標題の共通項について質問した。
つまり、羽生さんが「水曜どうでしょう」に嵌ったのは、羽生善治の世界と番組に共通点があるからなのか、それとも全く違うから良かったのか、尋ねたのである。

羽生さんは言う。

「常に先が分からない中で進んでいく感じは、(将棋と)似てますよ」

さらに、今度は藤村ディレクターが疑問をぶつけた。

「自分たちは(番組を作る際)、その場その場で判断する。つまり、何手も先を読むのではなく、数秒の時間で決めていく。一方、羽生さんは何手先も読んでいるのだろうと。我々と羽生さんには、考え方に差があるように思うのだが…」

「実は、それは同じだと思っていて、棋士の若い頃は10秒将棋などの短い時間で指すトレーニングをしています。何を鍛えているのかというと、パッと見た時の直感を鍛えている。プロとアマの最大の違いはパッと見た一瞬の直感のところに、正しい手が入っているかどうかの確率、つまり精度の違いなんですよ。つまり、(将棋も番組作りも)瞬間的に選ぶものの中に、いいものが入っていることが重要なので、ジャンルは違ってもやっていることは同じです」

羽生善治の回答に、驚きの声をあげるディレクターふたり。
私も、将棋は深い読みだけでなく直感力が重要なのは知っていたが、まさか「水曜どうでしょう」の番組作りと類似点があるとは…目からウロコが落ちた。


直感力 (PHP文庫)

3. 勝ちを確信したとき手が震える理由

これは、個人的に非常に興味深かった。
直接、本人には聞きづらい質問のような気がしたからである。

終盤戦に入ると、どんな棋士も特に盤面に集中する。
当然、羽生さんも例外ではない。
そんな中、勝ちを読み切ったとき、我に返りリアルの世界に戻るという。
そして、指そうとすると手が震えるというのだ。

こう聞くと、羽生さんは将棋を指している時間は、現実世界を離れ将棋の世界に没入しているのだろう。
以前、羽生永世七冠は、踏み入れたら二度と戻れない“将棋の狂の世界”の扉が見えたという。
もちろん、危険を察知し、踏み止まれたから今がある。
だが、番組内での話を聞き、改めて「81マスの無限の宇宙」という、紙一重の世界の一端を実感させられた。

4. 他力とは捨てること

羽生善治は言う。

「自分が思い描いた構想やプラン通りに指すときは、あまり良い手じゃないことが多い。お好きにどうぞと、相手に手を渡せる方が良い。自分で決めるんですけど、他力本願的なことも結構強いです。でも、なかなかできないことが多く、実はそこが一番難しい」

たしかに、羽生さんの将棋の特徴として、絶妙な手渡しがある。
七冠全冠制覇達成時よりも、30代から40代にかけて年輪を重ねるごとに、散見されるようになった気がする。

その話に、藤野ディレクターは膝を打つ。

「番組作りも全く一緒である。もちろん、私も事前の計画は立てるが、予定調和では面白くならない。他力本願の話が出たがその通りで、どこで委ねるべきかの判断が難しく、しかしとても大切だ」

嬉野ディレクターが補足する。

「形は作って来る。だけど、現場に臨むと形どおりにはならない。そのときに、どこかで捨てる。そして、現場で流れて来る形を発見しながら、(番組を)作っていく」

羽生さんの発言を端緒に、深みを増す議論。
羽生さんもだが、「水曜どうでしょう」のディレクターの言語化能力も素晴らしい。

相手に委ねる行為とは、ある意味で首を差し出すことに等しく、実戦の場では恐怖心に苛まれる。
だが、羽生善治は大事な対局でも、悠然と手渡しをする。

人は金や権力、名声など、およそありとあらゆるもに執着する生き物だ。
だからこそ、自らが手間暇かけて用意したものを捨てることは難しい。
しかし、自分の思い通りにならないのが世の常である。
大切なのは、その瞬間に起こる事象に抗うのではなく、水のように大河の流れに身を委ねることなのかもしれない。

勝率やタイトルの数はさておき、羽生善治がひとり次元の違う境地に踏み入れているように感じるのは、私だけだろうか。


捨てる力

5. 勝負論

生前、野村克也監督がよく口にしたのが、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」である。

羽生さんも同様の発言をする。

「自分の選んだ選択と実際の結果は、結構一致しないことが多いですよね。ミスしても上手くいくことは多々ある。不満だけど、上手くいってるとか(笑)」

「ある、ある!」

笑いながら、激しく同意する藤村ディレクター。
もう、すっかり打ち解けているようだ。

経験についてのテーマが話題に上り、羽生さんが切り出した。

「経験を積むと、それが反映される世界がある。たとえば、職人さんの世界とか落語家さんの世界とか。そういう世界と、そうではない世界では一体何が違うのか、かねてから疑問に思っていた」

直感は強まるのか?という質問を受ける羽生善治。

「うーん…判断能力だけは上がっている気はします。具体的にいうと、ある局面において良いのか悪いのか等の状況判断です。だけど、具体的に何をやればいいのか分からない(笑)」

自分で言って爆笑する羽生さん。

勝負の世界は勝ち負けがはっきりしているが、だからこそ切り替えられるとも、羽生さんは語る。

「世の中は、多くのことが玉虫色のまま進んでいく。しかし、将棋の世界は結果が明解な形で出てくれるので、1日で完結できる」

羽生さんは結果をあまり引きずらないイメージがあったが、話を聞いて合点がいく。

そして、羽生さんの目指す領域について話が出た。
すると、羽生さんは大山十五世名人の対局風景を語り出す。

「私が一番印象に残っているのは大山先生です。大名人に対し凄い失礼なんですけど、本当に考えているようには見えないんですよね。だけど、手はいいところに来る。本当の達人のような先生でした。私もそれが出来たらいいなとは思うんですけど、全然できない(笑)」

そして、次の言葉がとても印象に残った。

「なんというか、一枚の絵を見ているというか…そんな感じで手を選んでいるような感じがした」

藤村ディレクターに「そういう姿を見て、いいなと思うんですか」と訊かれ、羽生さんは笑いながら答えた。

「楽そうじゃないですか(笑) 考えなくていいんだから」

これまでも何度か、羽生さんは大山十五世名人について言及してきた。
だが、こんな砕けた調子での発言は記憶にない。
さすがに半分冗談だろうが。

私は「一枚の絵を見ている感じ」という表現に、なぜか感銘を受けた。
昔、「麻雀を打つときには、点棒などの数を追うのではなく、絵心をもつことが肝要だ」という言葉を聞いたことを思い出したのだ。
盤面をキャンバスに見立て、まるで絵師のように指し手を描いていく。
もはや、それは芸術の領域である。

羽生さんがなぜ、前述した経験が反映される世界と、スポーツなどの若さが絶対的な価値を持つ世界の違いに着目したのかというと、実はこの大山康晴の存在だったという。
将棋は本来、スポーツと同じく若さが重要なはずである。
だが、それに待ったをかける大山十五世名人の威容。
まさに、大山将棋は経験を積み重ねた末にたどり着いた、達人の妙技なのだから。

羽生さんから晩年の大山将棋への所感と美しい表現を聞くことができ、大変有意義な時間となった。


才能とは続けられること

まとめ

羽生さんは若い頃から好奇心旺盛で、様々な分野の方々と対談などを通じ交流を図ってきた。
そんなところも、羽生さんが専門バカになることなく、高い視座と広い視野を持つ要因なのではないか。
どうしても、特殊な世界にばかり身を置くと、視野狭窄に陥ってしまう。

人の笑顔を見ていると、こちらまで知らずに頬が緩んでいく。
でも、なぜだろう。
羽生さんの笑顔はそれ以上に、人の心を幸せにしてくれる。

前後編合わせ約30分の番組だったが、あっという間に見終わってしまう。
羽生さんの新たな魅力を知ることができた。

下記にリンクを貼っておくので、興味がある方は是非どうぞ。

第一弾
https://www.youtube.com/watch?v=pYxC6pR9Co0&t=0s

第二弾
https://www.youtube.com/watch?v=s1gvIhSzcyw&t=0s

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする