「純粋なるもの」~若き日の羽生世代を描いた青春譚~




先日、羽生善治永世七冠が1500勝を達成した。
足掛け36年と5ヵ月の偉業であり、一ファンとしても感慨深い。

それから少し経ち、私は昔読んだ本を思い出す。
それは、羽生善治の七冠制覇に沸く1996年に上梓された、羽生世代の棋士たちを描いた青春譚である。

私はその本を読むまで、チャイルドブランドといわれた羽生世代に物足りなさを感じていた。
もちろん、羽生善治の偉業、そして棋界への貢献はすでに知っており、深い敬意も払っていた。
しかし、羽生同様、佐藤康光や森内俊之ら羽生世代の棋士は優等生然としており没個性に思えたのだ。
大山、升田、米長、中原ら昭和の大棋士が、個性にあふれファンを魅了したのとは対照的に…。

そんな中、私は島朗の著作「純粋なるもの」という本を手にとる。
そして、そこに書かれている羽生世代の魂の美しさを知り、甚く感動した。
島が描く彼らは、まさしく“純粋なるもの”だったからである。


純粋なるもの: 羽生世代の青春

著者・島朗とは

島朗は高柳敏夫名誉九段門下の棋士であり、段位は九段である。
花の55年組の一人に名を連ね、初代竜王にも輝いた。
1963年生まれの島は羽生世代よりも少し上の世代にあたり、よき兄貴分的存在といえるだろう。

そんな島は、研究は単独でするのが主流であった昭和60年代当時、伝説となる島研を起ち上げる。
そのメンバーはまだ10代の羽生善治・佐藤康光・森内俊之という、後に棋界を席巻する俊英たちだった。
その証左として、主催者の島を含めた全員がタイトル保持者となっている。
しかも、島以外の3人はいずれも名人経験者なのだ。

そんな先見の明に富む島は若手時代、新人類と呼ばれていた。
伝統と格式を誇る将棋界ではタイトル戦に出場する際、和服姿で対局するのが慣例である。
ところが、島はアルマーニのスーツで登場する。
当時、保守的な私はこの行動に首を傾げてしまう。
だが、旧来の型に嵌まらない島だからこそ、若手を集めて研究会を開くという斬新な発想が生まれたのかもしれない。

そして、その時の交流が、「純粋なるもの」という名著へと続くのである。

所感

羽生本といえば、「序盤のエジソン」こと田中寅彦九段である。
羽生善治が七冠を達成した1996年2月の翌月に「羽生善治 神様が愛した青年」を刊行すると、同年8月には「羽生必敗の法則」も立て続けに発売している。
また、公文式のCMでも自らが仕掛け人となって羽生と共演し、将棋だけでなく不動産投機にも精通するやり手としての顔も持つ。
一方、島朗は羽生の七冠フィーバーから少し時を空け、1996年11月に当書を上梓している。

田中の書籍がキャッチーでセンセーショナルな言葉を散りばめるなど商業主義的な面も覗かせる中、島が認めた当書は羽生世代へのあたたかい眼差しを感じさせると共に、彼らの魂の純粋さを虚心坦懐に描いている。

名伯楽・高柳敏夫名誉九段の下で研鑽を積んだ同門の士ながら、この辺のスタンスの違いが興味深い。
これは決して良し悪しの問題ではない。
田中寅彦は話も上手く、羽生の魅力や偉業を世に広める宣伝マンとして役割を果たしていた。
事実、当時私も楽しませてもらった。

だが、やはり私は島朗の在り方がとても好きなのだ。
チャイルドブランドと呼ばれた羽生善治・佐藤康光・森内俊之とともに、自らが起ち上げた研究会で切磋琢磨した島は皮膚感覚で彼らの人となりを知っている。
そんな若者たちの将棋にかける純粋さに感じ入ればこそ、書籍のタイトルに用いたのだろう。
そして、だからこそ、七冠フィーバーに便乗するのではなく、彼らへの敬意や想いを大切に扱いたかったに違いない。

たしかに、この本は羽生世代の面々が純粋な魂を持つがゆえ、読者の心を打つのだろう。
しかし、筆者自身の心もまた純粋なればこそ、彼らの内面を鮮やかに描くことができたのではないか。


羽生善治 神様が愛した青年

印象深いエピソード

当書では、普段知ることのない棋士の日常を描いている。
それも、棋界に一大旋風を巻き起こした羽生世代たちを中心とするエピソードなのだ。

小学生時代からの羽生善治のライバルであり、十八世名人の資格保持者・森内俊之。
「駒得は人を裏切らない」という台詞で知られ、棋界随一の礼儀正しさで知られた森下卓。
彼らのエピソードはどれもが爽やかで清々しい。

そんな素晴らしき羽生世代の中でも、特に印象に残る話を紹介する。

1.佐藤康光

当書で最も心打たれたのが、佐藤康光のエピソードである。

その日、佐藤康光は動揺していた。
青森で開催される将棋のイベントに向かっていたのだが、飛行機に乗り遅れてしまったのである。
18時から前夜祭が行われ、翌日に指導対局をする予定となっている。
仕方なく、直近で出発する秋田行きの便に乗ったのだが、秋田空港から目的地まで行くのに手間取り、前夜祭に遅れてしまう。

それを深く反省した佐藤は翌日、色紙を目一杯書き、指導対局も精力的にこなすなど、ファンサービスのために誰よりも汗を流した。
その甲斐あって、イベントは好評を博し無事幕を閉じる。

私が、佐藤康光に感じ入ったのはこれだけではない。
主催者から渡された謝礼を固辞し、受け取らなかったのだ。

そのイベントは、年に1度だけ開かれる身障者のための大会だった。
参加者は、毎年プロ棋士と会えることをとても楽しみにしていた。
にもかかわらず、その大切な大会に遅刻した自分が謝礼を受け取るわけにはいかないと…。

実は、佐藤は秋田からタクシーを使って移動していた。
青森行きの特急列車は3時間以上なく、現地に着くのが23時を回ってしまう。
少しでも早くとの思いからタクシーを使ったが、4時間近く乗車したこともあり、途方もない乗車賃が待っていた。
そんな出費がありながら、佐藤康光は一切の謝礼を受け取らなかったのだ。

遅刻したことも含め、様々な意見はあるだろう。
だが、私は佐藤康光の高潔な精神に深い感銘を受けた。
羽生善治だけでなく、ここにも高い志を持つ同世代の若者がいたのだ。

私は確信する。
佐藤康光の魂には間違いなく“純粋なるもの”が存在するのだと。

2.羽生善治

月刊現代の記者・山岸浩史は疑問に感じていた。
佐藤康光との竜王戦の対局で勝負処を迎えたとき、羽生が笑っていたからだ。

後日、山岸は思い切って本人にその疑問を尋ねた。

「僕が笑っていたんですか…。たぶん、思い出し笑いでしょうね」

羽生はそう答えると、隣にいた島に微笑みながら話しかけた。

「将棋をやっていて、そんなに楽しいことなんてあるはずないですもんね」

その瞬間、島と山岸は目が合った。
そして、おそらく同じことを思っていた。
これだけ勝ちまくる羽生でさえ、将棋は苦しいのだ。
常に涼しい顔で世間の期待に応え続ける羽生善治だが、一見すると優雅に泳いでいる白鳥と同様に、水面下では懸命に足を動かしているのだと…。

我々はつい、目に見える表層的な事象が全容を表していると思いがちである。
しかし、その奥には、他人には分からぬ真実や苦労が潜んでいる。
それは棋界のスーパースター羽生善治も例外でなく、その苦しさを乗り越え、今もなお継続する姿に感銘を受けるのだ。

まとめ

当書が世に出てから、早いもので25年以上の月日が流れた。
20代の若手だった羽生世代も、今や五十路を過ぎたベテランである。
年齢や時代の前に、盤上で苦しい戦いを強いられることも珍しくない。

しかし、彼らには決して変わらないものがある。
それは純粋なる魂だ。
未だ、盤上に真理を追い求め、棋界の発展のために尽力する羽生善治。
現役のA級棋士でありながら、日本将棋連盟会長という重責を担う佐藤康光。

人は齢を重ねていくごとに、魂を汚し、垢にまみれていく。
どうしても、現実という名のしがらみに縛られ、若き日の純粋さを保てない。
だが、羽生善治や佐藤康光には人間の穢れや醜さ、そういった類の濁りを感じない。
これは、将棋の実績以上に特筆すべきことではないか。

「純粋なるもの」。
時代を超えて我々に語りかける名著に本題名をつけた、著者の慧眼には感嘆を禁じ得ない。

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