「百折不撓 魂の受け師」木村一基 ~俺たちのかずきの物語~





「千駄ヶ谷の受け師」「将棋の強いおじさん」と呼ばれる将棋棋士。
それが木村一基九段である。
解説者としても定評がある彼は、とにかくファンに愛される。

そして、46歳3ヶ月で史上最年長となる初タイトルを奪取した。
そんな“俺たちのかずき”は中高年を筆頭に、多くのファンを勇気づけたのだ。

木村一基とは

木村一基は1973年6月23日生まれで、故・佐瀬勇次名誉九段門下に弟子入りした。
1997年に23歳でプロデビューを果たすと、高勝率をマークし、トップ棋士として活躍する。

なかなかタイトルには縁がなかったが、7度目のタイトル挑戦で王位を獲得した。
ユニークなキャラを活かした解説は好評を博し、「解説名人」とも称される。

棋風は「千駄ヶ谷の受け師」の異名が示すように、強靭で粘り強い受け将棋である。
とはいえ、敵の攻め駒を逆に叩き潰すような、アグレッシブな受けの勝負手が特徴だ。
ときには、王様自らが守りに参戦し、顔面で受けることも厭わない。



俺たちのかずき

木村九段は、一部のファンから “俺たちのかずき”と呼ばれている。
その秀逸なネーミングセンスに、私は感嘆を禁じ得ない。

俺たちのかずき…。
その響きは、なんと我々の心に迫るのだろう。
苦労人ならではの趣がファンを惹きつける。

ではなぜ、ファンは木村九段に対し“俺たちの”という枕詞を付け、名字ではなく名前で呼ぶのだろうか。
それは、彼の座右の銘「百折不撓」を思わせる棋士人生が、市井の人々の心を打つからだ。
そして、何度転んでもその度に立ち上がる姿に、己の人生を投影できるに違いない。
そんなところが、親しみを込めて“俺たちのかずき”と呼ばれる所以だろう。

木村九段は一見すると「将棋の強いおじさん」と呼ばれるように、中間管理職のサラリーマンに見えなくもない。
なので、羽生善治や谷川浩司らと比べると、エリートといった雰囲気があまりしない。
むしろ、“叩き上げ”“雑草魂”といった感じの風情である。
だからこそ、“俺たちのかずき”なのである。

普段から気遣いの人で知られる木村九段は、ファンサービスにも余念がない。
その旺盛なサービス精神が発揮されるものの一つに大盤解説がある。

明瞭な声で丁寧な解説は、初心者にも分かり易い。
さらに、ユーモアまで散りばめるのだから、人気が出ないはずがない。
まさに「解説名人」の真骨頂、ここに極まれりである。

また、木村一基は奨励会時代から、加瀬純一七段と一門の枠を越えて交流がある。
そうした縁もあり、木村は未だに加瀬が開く将棋教室の講師として顔を出す。
だから、加瀬の弟子たちとも自然と懇意になっていく。
遠山雄亮もそのひとりだった。

2005年、遠山が晴れて四段になり、祝賀会が開催された。
遠山は締めの挨拶を、同門ではない木村一基に依頼した。
すると、挨拶を終えた木村は、“弟弟子”の苦節に思いを馳せ涙する。
木村自身、三段リーグで苦労したこともあり、遠山のプロ入りを我がことのように喜んでいた。
実は、遠山は間もなく年齢制限を迎える25歳で、ようやく三段リーグを抜けたのだ。
“兄弟子”の優しさが何よりも沁みたという。

こんな逸話もまた“俺たちのかずき”らしい。

百折不撓の棋士人生

実は、私は木村九段の存在をプロ棋士になる前から知っていた。
当時、よく駅の書店で「将棋世界」を立ち読みしていたが、たまに三段リーグの星取表も眺めていたのである。
基本的に、奨励会員の名前はほとんど記憶に残っていなかったが、なぜか木村一基と近藤正和の両名は印象に残っていた。
もしかすると、三段リーグに長らく在籍していた彼らゆえ、何度も名前を目にするうちに自然と覚えてしまったのかもしれない。

このように、木村一基は三段リーグで苦戦する。
結局、三段リーグを抜け出すのに6年以上かかり、プロデビューしたのは23歳のときだった。
その鬱憤を晴らすように、プロ棋士になってから木村一基は勝ちまくった。
だが、私が彼のことで一番に思い出すのは、ある雑誌のインタビュー記事である。
奨励会時代の苦しみを吐露する木村一基は、なんと取材中に涙ぐんだのだ。
まだ若かった私は、かくも三段リーグとは厳しきものだと痛感する。
そして、プロになれるか否かは、大袈裟でなく天国と地獄ほどの違いがあることも知った。

私は、勝率一位をはじめとし将棋大賞の常連である木村ならば、程なくタイトルを獲得するものだと思っていた。
ところが、挑戦者にはなるものの、どうしてもあと一歩が届かない。

木村九段の前に大きな壁として立ちはだかったのが、羽生善治だった。
全く歯が立たないといった感じではないのだが、どうしても勝負処で勝ちきれない。
事実、棋聖戦では2勝1敗、王位戦でも3勝2敗とタイトル奪取に王手をかけながら、いずれも連敗し敗退する。

そんな木村九段にとって、第50期王位戦で絶好のチャンスが訪れた。
初戦から、いきなり深浦王位に3連勝したのである。
将棋界では長らくタイトル戦で、3連敗4連勝は実現しなかった。
前年の渡辺明vs羽生善治の竜王戦で史上初となる3連敗4連勝が実現したが、そうそう奇跡のような出来事が起こるとも思えない。
ところが、まさかの坂は存在したようで、木村九段は4連敗を喫してしまった。

こうして、通算6度のタイトル戦でことごとく敗れ去った木村九段に、2019年棋士人生最良の日が訪れた。


木村一基 折れない心の育て方 一流棋士に学ぶ行動指針35

念願の初タイトル

第60期王位戦、豊島王位への挑戦権をかけ、木村九段は羽生永世七冠と対局した。
つい先日、王位リーグのプレーオフで難敵・永瀬拓也叡王を下し、史上最多勝利数を更新した羽生善治。
タイトル通算100期に期待がかかる羽生さんに、世論の多くは味方した。
羽生ファンの私もご多分に漏れず、永世七冠を応援する。
結果は、木村九段が勝利を収め、挑戦権を獲得した。
木村九段には申し訳ないが、私は羽生さんの敗戦にとても落ち込んだ。
だが、そんな私の思いをよそに、木村九段は“俺たちのかずき”の生き様を見せつける。

王位戦が開幕すると、木村九段はいきなり2連敗してしまう。
特に、2局目は木村九段が有利に進めていただけに、痛い敗戦だった。
やはり“序盤・中盤・終盤に隙が無い”指し盛りの豊島王位には通用しないのだろうか。
シリーズが始まり、気持ちを新たに木村応援団と化した私は、諦めムードに襲われた。
なぜならば、棋界の覇権を窺う三冠王・豊島将之に、ここから最低でも4勝1敗でいかなければならないのだ。

だが、“百折不撓の魂の受け師”は、こんなことではヘコたれない。
第3局・4局と連勝し、タイに追いついた。
第5局を落とし、後のない“俺たちのかずき”は、第6局を執念で勝ち切った。
タイトル戦でお馴染みの老舗旅館・陣屋で行われる白熱の攻防を一目見ようと、大盤解説会は立錐の余地もなかったという。

そして、運命の第7局。
振り駒の結果、先手は豊島王位となった。
是が非でも先手番を渇望していた王位は、得意の角換わりに誘導する。
熱戦が展開される中、わずかに豊島よしで迎えた中盤で、木村は勝負手の自陣桂を5三に放つ。
その桂馬が終盤、勇躍し決め手となった。

敗れたりとはいえ、豊島将之もさすがタイトル保持者である。
その証拠に、この第7局は「名局賞」に選ばれた。

前述したとおり、何度もタイトルまであと1勝という場面を迎えてきた木村九段は、その重圧をしみじみと語る。

「あと1勝となると、夜眠れなくなった」

だが、このときは不思議とよく眠れたという。
プレッシャーのみならず、これまでの蹉跌を乗り越え、大願成就を果たした木村一基。
“俺たちのかずき”は目の前の強敵と、内なる自分との戦いにも勝利して、悲願の初タイトルを戴冠した。

まとめ

第60期王位戦七番勝負・第7局を制した対局後、木村一基はインタビューを受けていた。
普段とは異なり、静かに、そして訥々と喜びを語っていた。
ところが、表情が一変する。
それは、質問が支えてくれた家族への思いに及んだときだった。

しばしの間の後、眼鏡を外し、光る双眸を拭う。
そして、再び眼鏡を掛けると、ようやく声を絞り出す。

「家に帰ってから伝えます」

そう言うと、あふれ出す涙が止まらない。

“俺たちのかずき”の男泣きに、見ている私も感無量の思いが駆け巡る。
幾たびも艱難辛苦のときを経験し、それでも諦めず歩み続けた男の佇まいが胸を打つ。

7度目のタイトル挑戦で手にした棋士の勲章。
「新王位」木村一基は百折不撓を体現し、しみじみと栄光の瞬間を噛みしめた。


受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基

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