前人未踏の通算1500勝!羽生善治永世七冠 ~いままでもこれからも~





36年と5ヵ月。

これは、棋士・羽生善治がプロになってからの年月である。
10代の頃から、この将棋の神に愛された天才を見てきた身としては、月日の経つ早さに驚いている。
光陰矢の如しとは、よく言ったものだ。

そして先日、ついに羽生善治永世七冠は1500勝を達成した(本稿では永世七冠を使用)。

この記録は、プロ入りしてから毎年40勝しても1500勝には届かない。
いかに息長く、羽生善治という棋士が勝利を積み重ねて来たのか、分かるだろう。


才能とは続けられること

前人未踏 1500勝

その記念すべき対局は、山崎隆之八段とのB級1組順位戦だった。
ふたりとも、今期はA級から陥落しての参戦であり、心機一転を図る上でも重要な対局となる。

後手番になった羽生永世七冠は、横歩取りに誘導する。
一方、山崎八段は先手番ということもあり、序盤から積極的に仕掛けていく。

これを羽生永世七冠は深く正確な読みで対応し、△2六歩と歩を伸ばす絶妙手を放つなど、優勢を築いていく。
そして、金頭に飛車を打つ意表の一手で勝利を引き寄せた。

記念すべき通算1500勝にふさわしい、硬軟織り交ぜた会心譜と呼べるだろう。

記者会見

さすがの羽生さんも、頭に白いものが交り始めてだいぶ経つ。
髪を染めていることも多いが、実をいうと、私は手を加えないありのままの羽生さんも好きなのだ。
イチローもだが、白髪姿の方が年輪と趣を感じ、かえって様になっている。
ふたりとも、元が良いからかもしれないが…。

「大きな節目を迎えられ、嬉しく思っています」

記者会見で、そう語る羽生さんは髪をきちんと染めている。
そのせいか、今年9月で52歳を迎えるというのに、全くそんな風には見えない。
もし羽生さんを知らなければ、私の節穴の目では30代といわれても信じてしまうだろう。

これほどの実績を積み上げた羽生永世七冠である。
きっと、A級から陥落し、B級1組で指すのは様々な葛藤もあるだろう。
しかし、その曇りなき表情を見る限り、いつまでも変わらぬ羽生さんがそこにいる。

会見終了後、羽生さんは写真撮影に応じた。
順位戦にしては比較的早い終局とはいえ、朝から脳をフル回転させていたのである。
当然、疲れもあるだろう。
ところが、あちこちのカメラから様々なポーズを要求されても、嫌な顔ひとつせず、にこやかに応対している。

ネットのコメントにもあったが、その表情が実に愛らしいのだ。
書いている私も、いい年した男性に対して少し気持ち悪く感じるが、事実なので仕方ない。
その笑顔には、魂の美しさが現れている。
齢50を過ぎ、あれほど邪気のない表情は滅多にお目にかかれない。

かつて、米長邦雄永世棋聖は羽生善治に感嘆していたことがある。
現役時代、「さわやか流」の異名をとり、ファンサービスには一家言あった米長。
あるとき、羽生善治と共に書籍のサイン会に赴いた。

笑顔と軽妙なトークを振り撒き、米長はファンを楽しませる。
ふと、隣に目をやると、驚きを隠せない。
なんと!若き羽生善治はあの素晴らしい笑顔を讃えながら、自ら手を差し出し、一人ひとりと握手を交わしているではないか!

米長は述懐する。

「ファンサービスで、ここまで完敗したことは記憶にない」

もちろん、羽生さんは一貫してその習慣を続けている。
ノートの切れ端にサインを求める小学生に対し、わざわざ住所を聞き、直筆のサインを認めた色紙を贈ったこともある。
それは七冠達成前後であり、羽生さんがまだ20代のことだった。
少年にとって、その色紙は一生色褪せぬ宝物になったことだろう。

“いままでもこれからも”羽生善治はファンのため、棋界の発展のために行動する。

まとめ

「ずいぶん長く棋士をやって来たんだなあ~と感じました。これで終わりではないので、少しでも上達し、これからも前に進んで行けるよう目指したい」

対局を終え、そう語る羽生善治永世七冠。
その姿に、私は大山康晴十五世名人を思い出す。

50歳を目の前にし、無冠になった大山は決意を新たにする。

「50歳の新人として再出発を果たす」のだと。

昭和と平成の時代を駆け抜け、令和の世でも歩み続ける羽生善治。
“いままでもこれからも”その背中を追い続けたいのは、私だけではないはずだ。

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