棋士のキャッチコピー ~昭和は遠くなりにけり~





昔に比べて、将棋の棋士に対する「~流」などのキャッチコピーが、あまり付けられなくなったような気がする。
羽生世代までは「緻密流」佐藤康光、「鉄板流」」森内俊之、「激辛流」丸山忠久、「ガジガジ流」藤井猛など、棋風に応じたキャッチコピーがついていた。

しかし、その頃から、私は若干の違和感を覚えるようになる。
それは、どうしても昭和の時代と比較するからだ。
昭和の棋士に付けられた呼び名は実に風流で、棋風のみならず、人柄まで言い表すものが多かった。

昭和の棋士のキャッチコピー

「~流」という呼び方の多くは、将棋連盟会長も務めた原田泰夫九段によるものである。
彼の付けるキャッチコピーは、まさに言い得て妙だった。
この将棋界の広報担当は実に品が良く、人の悪口は一切言わない人格者でもあった。

原田九段の素晴らしいところは人柄だけではなく、将棋の普及活動にも熱心に取り組み、「三手の読み」「桂の高飛び歩の餌食」「歩のない将棋は負け将棋」など、初心者にも分かりやすい格言を創作したことが挙げられる。

ここでは、棋士の特徴を捉えた昭和の名キャッチコピーを紹介する。

1.自然流 

中原誠十六世名人に付けられたのが「自然流」である。
全盛時代の中原将棋は攻め六分でバランスに優れ、全く無理と無駄のない、これぞ王道と呼ぶにふさわしい指し回しであった。

将棋界の名伯楽・原田泰夫をして「攻めるべき時に攻め、受けるべき時に受ける。まるで大河の流れのような自然な指し回し」と言わしめ、そこから「中原自然流」と名付けられた。

また、中原は若い頃から温厚な人格者として知られ、その悠揚迫らぬ物腰や自然な立ち居振る舞いも、自然流と呼ばれた所以である。

2.さわやか流・泥沼流

これは、中原の終生のライバル米長邦雄に付けられたキャッチコピーである。
「さわやか流」は弁舌爽やかな米長の人柄を、「泥沼流」は米長将棋を言い表したものだった。
中終盤のねじり合いに真価を発揮し、相手を泥沼に引きずり込み剛腕でねじ伏せる米長らしさ全開のニックネームである。

二つの好対照なキャッチコピーが面白い。

3.自在流

天が二物も三物も与えた代表格、それが内藤國雄である。
スラリとした長身に甘いマスク。
棋士としてはタイトルを4期獲得し、詰将棋作家としても名を馳せる。
歌手としても「おゆき」でミリオンセラーを達成した。

このように何でもそつなくこなす芸達者な内藤が、「自在流」と呼ばれたのはむべなるかなである。
また、様々な戦法を自在にこなす内藤が、最も得意としていたのが当時珍しかった空中戦法である。
その華麗で独創性の高い将棋はファンを魅了した。

4.怒濤流

穴熊の堅陣に守りを固めるやいなや、飛車角を叩き切り、相手の王様目指して濁流の如き怒濤の攻めで襲い掛かる。
それが豪快の二文字が誰よりも似合う、大内延介「怒濤流」の真骨頂であった。
敵陣を木端微塵にする破壊力と、気風の良い江戸っ子気質とが相まって、秀逸なネーミングセンスが際立っている。

この大内、天下を取り損ねた実に惜しい一番があった。
ときは昭和50年、中原誠との名人戦最終局。
必勝の局面を迎え、すわ新名人誕生かと控室がざわめく中、痛恨の悪手を指し大魚を逸してしまう。
何とも悔やまれる敗戦であった。

5.薪割り流 

今の時代、ほとんどお目にかかれなくなった昭和の匂いがする棋士。
それが「薪割り流」佐藤大五郎である。
豪傑然とした風貌に、これまた豪快な言動。
そして、盤上でも力強い指し手で相手を圧倒する様は、まさしく斧で薪を叩き割る姿を彷彿とさせる。

そんな「薪割り」大五郎も、晩年は妻とふたり田舎で暮らし、美しい景色に囲まれながら穏やかな余生を過ごした。

6.地蔵流

リトル大山と呼ばれ、朝の対局開始から深夜の対局終了まで、一切正座を崩さないことで有名なのが南芳一である。
その黙して語らずお地蔵様のような佇まいと、堅実無比で腰の重い棋風は「地蔵流」というキャッチコピーが言い得て妙だろう。

ちなみに、南は自身の棋風を尋ねられた際、「軽快」と答えていた。
これは、本心だったのか…。
それとも、南芳一渾身のギャグだったのだろうか…。
なんにせよ、私はそのギャップに腹筋が崩壊した。

7.光速流・前進流

相手の玉を「光の速さ」で詰ましてしまう、電光石火の寄せを携えた棋士が現れた。
その棋士の名を谷川浩司という。
驚異の寄せは「光速流」「光速の寄せ」の通り名を得るのに、さして時間を要しなかった。
この稀代の天才は、終盤に速度という概念をもたらし革命を起こしたのである。

また、攻守の選択を迫られる難しい局面では、常に前へと駒を進める棋風から谷川浩司「前進流」とも言われた。

8.不思議流・受ける青春 

20代前半から半ばにかけて、棋界に一代旋風を巻き起こしたのが中村修である。
王将戦で、当時の第一人者・中原誠を2年連続で撃破したことは、棋士人生のクライマックスであった。

中原を翻弄したのが「不思議流」といわれる独特の感覚である。
百戦錬磨の中原をして経験したことのない受けの妙手を連発し、時の名人を大いに苦しめた。
ひたすらに不思議な受けを続ける姿から「受ける青春」と命名されるのであった。

9.火の玉流

有吉道夫は大山康晴十五世名人の弟子であり、師弟で名人位を争ったこともある関西将棋界の大御所である。
対局中は、顔を真っ赤に紅潮させ闘志満々な姿で将棋に没頭し、手を指す時は一際高い駒音を響かせることから「火の玉流」と名付けられた。

しかし、解説者としての有吉は紳士然とした穏やかな語り口で、対局中とは一味違う姿をファンに見せていた。

10.忍者流

18歳6か月で初タイトルを獲得し、藤井聡太に破られるまで史上最年少のタイトル記録保持者だったのが屋敷伸之である。
変幻自在の指し回しと名前から「お化け屋敷」「忍者屋敷」と呼ばれ、「忍者流」の異名も取った。

大の競艇ファンであり、将棋の研究はスポーツ新聞の詰将棋を解くだけで、1日1分、長くて3分しかしないと語っていた。
無頼派を装うも、いつもニコニコ笑顔を絶やさない屋敷は、とても温厚で優しい心の持ち主である。

11.その他

形に拘らない力強い応手が特徴で、何度倒されてもしぶとく起き上がる粘り強い棋風から「だるま流」と呼ばれた森安秀光も個性的だった。
また、長手数の美学といわれ決して簡単には土俵を割らない「不倒流」淡路仁茂、鋭い切れ味を身上とし「カミソリ流」のネーミングで親しまれた勝浦修らも盤上で存在感を示した。

個性溢れるニックネーム

「~流」という呼び名ではないが、個性的なニックネームや発言で棋界を沸かせた棋士がいる。

1.終盤の魔術師 

「終盤の魔術師」。
何ともイカしたキャッチコピーではないか。
その巧みな終盤戦術から、この名が付けられたのが森雞二である。

森は昭和53年の中原との名人戦で一時は2勝1敗とリードしたが、その後3連敗で敗退する。
実はこのシリーズ、森の名を棋界のみならず世間に広めた事件がある。
それは、名人戦第1局に剃髪して現れたのだ。
さすがの中原名人も、森の坊主頭に動揺を隠せない。

また、森はタイトル戦に臨むにあたり、前哨戦とばかりに相手を挑発することも多々あった。
前述の名人戦が始まる前、「中原名人は決して強くない。対戦相手が勝手に転んでいるだけだ」と時の大名人に対しても放言する。
谷川浩司に挑戦した王位戦でも、「身体で覚えた将棋を教えてやる」とこれまた時の名人を挑発した。
そして、不利と言われた下馬評を覆し、見事4勝3敗でタイトルを奪取する。

「終盤の魔術師」こと森雞二。
盤上だけでなく、盤外でもファンを沸かせる棋士だった。

2.序盤のエジソン 

若手時代は一際高い勝率を誇り、序盤研究の第一人者として知られ、常に作戦勝ちを収めていたのが田中寅彦である。
その革新的な序盤戦術は棋界の発展に貢献し、「序盤のエジソン」と称された。
事実、序盤に難があった若い頃の羽生善治を圧倒し、羽生キラーの異名をほしいままにする。

そんな田中であるが、たびたび物議を醸す発言もしていた。
代表的なものに、谷川浩司が史上最年少の21歳で名人になった際、「あの程度で名人か」と口走る。
これは、同期の谷川に強烈なライバル心を燃やしていたからであった。

3.塚田が攻めれば道理が引っ込む 

塚田泰明は“花の55年組”の一角を占める強豪であり、中原名人から王座のタイトルを奪取し、歴代4位の22連勝を飾った。

特に対戦相手から恐れられたのは、攻め100%といわれた強烈な攻撃力である。
「塚田スペシャル」という超急戦の戦法を引っ提げ、序盤から敵陣を粉砕してしまう。
その当時、棋界の合言葉が「塚田が攻めれば道理が引っ込む」というフレーズであった。
このことからも、その破壊力の程が窺える。

4.地道高道(地道流)

決して派手さはないが、ミスの少ない堅実な棋風でタイトル5期を獲得したのが高橋道雄である。
地道で確実な指し手が高橋道雄の個性となり、いつしか「地道高道」の呼称が定着する。
谷川浩司の「光速流」をして、重厚な「地道流」を攻略するのは容易でなかった。

高橋もまた大内延介同様、棋界の最高タイトルを取り損なう。
ときは、平成4年の名人戦。
中原名人を3勝1敗と追い込むも、そこから3連敗を喫し悲願達成とはならなかった。

まとめ

改めて振り返ると、これほどまでに多種多様なキャッチコピーがあったのかと驚かされる。
様々な棋士のキャッチコピーを見て思うのは、それだけ昔の棋士に個性があったということだ。

「昭和は遠くなりにけり」。

往時の将棋界を彩った多士済々の将棋指し。
彼等もまた、いずれ記憶の片隅に追いやられるのかもしれない。

しかし、盤上に人生をかけた棋士たちの強烈な個性と名勝負の残照は、間違いなく我々好棋家を魅了した。

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