北京オリンピック名勝負⑩ スピードスケート男女500m ~苦難の末に立った檜舞台~




北京オリンピック・スピードスケート500mが男女で行われた。

男子は、初出場の弱冠21歳の森島航が銅メダルを獲得する。

女子は、高木美帆が銀メダルに輝いた。
連覇がかかった小平奈緒は、まさかの17位に沈む不本意な結果でレースを終えた。

スピードスケート男子500m

レース結果

前半の組で、高亭宇(コウテイウ)が五輪レコードを更新する34秒32を出しトップに立つ。
韓国の車旼奎(チャ・ミンギュ)も肉薄するが、34秒39でわずかに届かない。

残すは2組だけとなる。
まず、14組に森重航が登場する。
森島は、今年急成長を遂げた21歳の若武者だ。
もちろん、オリンピック初出場である。
只でさえ緊張する場面で、森島にアクシデントが襲う。
スタートを切った瞬間、微妙な判定ながらフライングを取られてしまったのだ。

仕切り直しとなり、スタートの構えをとる森島にプレッシャーがのしかかる。
もう1度フライングを犯すと、失格になってしまう。
さりとて、短距離の500mではスタートの出遅れは致命傷になる。

そんな追い込まれた場面にもかかわらず、森島は冷静にスタートを決めた。
最初の100mこそ9秒63とそれほど速くなかったが、森島の持ち味はここからである。
カーブに差し掛かると、得意のコーナリングで加速していく。
序盤はリードを許した同走のムシュタコフを捉えにかかる。
そして、最終コーナーも巧みに回り、最後の直線も渾身の滑りでゴールする。
タイムは、トップから0秒17遅れの34秒49でフィニッシュした。
ここまでの3位である。

いよいよ残るは最終15組、日本のエース・新浜立也がスタートに立った。
だが、またもや微妙な判定により、同走者がフライングになってしまう。
後のない最終組のふたりはスタートの影響もあったのか、精彩を欠く滑りでゴールした。

この瞬間、森重航の銅メダルが決まった!

日本勢は村上右磨が8位、新浜立也は20位となる。
日本代表の3名はいずれもメダル候補といわれていた。
特に、新浜はスタート直後に躓いてしまい、力を出し切れずにレースを終えた。
だが、この4年間、日本のスピードスケート短距離界を牽引してきたのが、新浜立也である。
残る1000mに捲土重来を期待したい。

森重航

森重航は酪農を営む家庭の8人兄弟の末っ子として、2000年7月17日に北海道で生まれる。
現在は、オリンピック銅メダリスト・黒岩彰氏を指導した、前嶋孝氏が監督を務める専修大学に進学している。
その前島監督をして「修正する箇所がないほど、いい滑りをしている」と唸らされたという。

そんな森島のスケート人生を支えたのが家族であり、とりわけ母・俊恵さんだった。
往復に数時間もかかる遠く離れた練習場への送迎に加え、大会があると必ず応援する俊恵さんの姿があった。

2019年、俊恵さんはガンにより泉下に旅立った。
最期の言葉は「スケート、頑張れ」だったという。

今回の北京オリンピック出場は家族の、そして母・俊恵さんの悲願だった。
きっと、今回の銅メダルは俊恵さんが一番喜んでいるに違いない。
どの色よりも輝く銅メダル、それは何よりの供養であり、親孝行だった。  

スピードスケート女子500m

女子500mはアメリカのエリン・ジャクソンが37秒04をマークし、高木美帆を僅か0秒08かわして金メダリストに輝いた。
冬季五輪のスピードスケート個人種目としては、史上初となる黒人女性のメダル獲得という偉業を成し遂げた。
それも金メダルで!

日本選手では、34歳のベテラン・郷亜里砂がトップから0秒94差の37秒98、15位で大会を終えた。
郷は「メダルには程遠い結果となったが、悔しさよりもやり切った気持ちの方が大きい」とレース後に語る。
平昌オリンピックの同種目で8位に入り一度は現役を引退したが、再びオリンピックの舞台に戻って来ると、開会式では旗手の大役も務めた。

30歳で五輪初出場を果たした4年後、北京の地で“遅咲きのヒロイン”は完全燃焼した。

髙木美帆

前日、髙木美帆は団体パシュートに出場し、2400mの距離を完走していた。
しかも、エースの髙木美帆は全部で6周するうち、3.5周を負担のかかる先頭で走っていたのである。
レース終了後、疲労が色濃く残る彼女は今後の団体パシュートのことも考慮し、本レースの棄権も検討したと言う。
そんな中での、本職とはいえない500mの出場であった。

今シーズン、本種目ではほとんど実績を残していない髙木美帆は、前半の4組目で登場する。
最初の100mを、10秒41の好タイムで入る髙木美帆。
文句なしの絶好のスタートを切る。
後半に強い髙木美帆は、さらに素晴らしいラップを刻んでいく。
最終コーナーもスムーズに回り、スピードに乗ってゴールした。

タイムは37秒12の自己新記録を叩き出す。
高地の高速リンク・カルガリーでマークした37秒22を0.1秒も上回ってきた。
今大会は低地リンクで、しかも重い氷の中、優勝争いに加わるような素晴らしい記録である。

前半に好タイムが出たことにより、後半に登場する優勝候補たちにプレッシャーがかかり、なかなか髙木の記録を破れない。
だが、エリン・ジャクソンが際どく記録を更新し、髙木美帆は銀メダルとなった。
その差0秒08は、序盤の100mのタイム差そのままであった。

金メダルまであと一歩だった髙木美帆だが、同じ銀でも1500mの時とは打って変わって満足そうな笑みがこぼれている。

今大会はここまで1500mの銀メダルこそあるが、必ずしも絶好調というわけではなかった。
しかも、5種目に出場することもあり、体力的にも非常に厳しい戦いを強いられている。
だが、髙木は得意とはいえない500mで会心のレースを展開した。
その精神力と修正力は見事である。
そして、ここ一番での勝負強さは、1500mで苦杯を舐めたイレーン・ビュストを思わせる。

残るレースが、非常に楽しみになってきた。

小平奈緒

平昌オリンピックに続き、2連覇の期待がかかる小平奈緒。
ところが、スタート直後の1歩目で、氷に足が引っ掛かってしまった。
その後、必死に滑るも、頭が真っ白になってしまい全く自分のレースを出来なかったという。
まさかの17位に沈む。

平昌オリンピック以降は、心身ともに苦しんだ小平。
金メダリストとなった翌シーズン、股関節に違和感を覚えながらも、周囲の期待に応えようと無理を重ねていく。
その綻びが決壊し、とうとう小平奈緒は自分の滑りが出来なくなってしまう。
年齢もあり限界説も囁かれる中、リンクから離れ己の心を見つめ、陸上で体の土台を作り直す。
それは文字通り「一度、身体のパーツをバラバラにして再構築していく」作業だった。
その成果が実り、今季はワールドカップでも優勝するなど、復活を遂げてのオリンピック出場なのである。

そんな苦難の道程を知るからこそ、現役時代オリンピック2連覇を達成し、小平の親友にして良きライバルだった元韓国代表の李相花(イ・サンファ)は、小平のレースに滂沱の涙を禁じ得なかったのだろう。

レース後のあるエピソードを知り、私は感銘を受ける。
17位でレースを終えた小平奈緒は、当然ながら酷く落胆していた。
だが、涙を浮かべるほど失意のどん底に叩き落されながらも、彼女は優勝したエリン・ジャクソンに駆け寄り祝福の言葉を送ったのである。

李相花はかねてより、小平の人格を絶賛していた。
だが、李相花ならずとも、こうした言動から小平奈緒の素晴らしい人間性を実感できるだろう。

結果は残念だったかもしれない。
しかし、決して小平奈緒がこれまで築き上げてきたものは色褪せない。

まだ、1000mが残っている。
郷亜里砂がオリンピックを笑顔で締めくくったように、小平奈緒にも完全燃焼してほしい。

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