「偉大なる将棋界の巨人」大山康晴十五世名人 後編




心の支え

升田幸三に完膚なきまでに打ちのめされていた頃、大山は必死に立ち直ろうともがいていた。
香落ちで敗れたことにより、名人の権威を失墜させたとの烙印を押され、世間の冷たさを実感したに違いない。

その辛い時期に、何度も折れそうになる大山の心を支えたのが、倉敷レイヨン社長・大原総一郎から贈られた二枚の陶板に認められた言葉であった。
その言葉とは「助からないと思っても助かっている」 と「一灯破闇」である。

終盤で追い込まれ諦めかけたとき、「助からないと思っても助かっている」の言葉を思い出し、盤面を見つめ直す。
すると、局面を打破する「一灯破闇」の手が浮かんでくるのだと、大山は語る。

二枚の陶板の文字を見つめながら、大山は幾度となく自らに言い聞かせた。

「現在の状況は、絶望を絵に描いたようなものである。だが、決してこれで終わりではない。もう助からないと思っても諦めずに懸命に努力を続ければ、道は必ず開けるのではないか。そして、永劫にも感じられる暗闇の中にあっても、一筋の光明が灯されるはずだ」

大山が終生この言葉を座右の銘としたことからも、どれほど二枚の陶板に認められた一文が心の支えになったのかが窺える。


大山康晴扇子 日本将棋連盟 正規品

無敵の大山時代

升田幸三の後塵を拝し、無冠となった大山は初心に帰り、徐々にスランプを脱していった。
昭和33年、4勝3敗のフルセットの末に升田から王将を奪還する。
九段戦でも挑戦権を勝ち取ると、同じく升田に2連敗から4連勝し二冠王に返り咲く。

いよいよ残すタイトルは名人のみとなる。
昭和34年の名人戦、A級順位戦を制した大山康晴は升田幸三に戦いを挑む。
初戦こそ落としたが、その後4連勝で名人に復位した。
その瞬間、升田に続く史上二人目の三冠王に輝いた。

以後、比類なき無敵の大山時代を迎えた。
昭和35年、新設の王位のタイトルを獲得し四冠王となる。
昭和37年には同じく新たに設けられた棋聖戦も制し五冠王。
全盛時代、大山は全冠制覇となる五冠王を4度も成し遂げる。

そして、最も充実していた極盛期においては50期連続タイトル戦登場、19期連続タイトル獲得など、完全に棋界を統一した。
大山の時代は現在とは異なり、タイトル数が初期の頃は3つ、中期以降になってようやく5つに増えた。
50期連続タイトル戦登場ということは10年以上もの間、タイトル戦に必ず大山が登場していたのである。
また、19期連続タイトル獲得にしても足掛け4年にわたり、大山以外、誰もタイトル保持者が存在しない状況が続いていた。
史上最強といわれる羽生善治でも、とても及びもつかない空前絶後の大記録である。

将棋の技術はもちろんだが、これだけの期間、勝ち続けるためには体調管理も必須となる。
心技体という言葉があるように、長時間にわたって対局する将棋のタイトル戦は心と技だけでなく、体調面が勝敗を左右する。
ヘビースモーカーだったにもかかわらずタバコを止め、ゴルフを始めた時も「こんなに面白いものが将棋に良いはずがない」と、すっぱりやらなくなった。
このように、常に将棋の対局を第一に考え、日頃から節制に努めていたのである。

では、時代の覇者となった大山の将棋の特徴は、如何なるものであったのだろうか。
それは、地味ながらも巌のような難攻不落な受けにある。
大山の代名詞である“受け潰し”により、一体どれほどの棋士の心が折られたことだろう。
そんな大山将棋の根底を支えたものは、「平凡は妙手に勝る」という信念である。

大山は言う。
「派手な手は本物とはいえない。そういう手を指そうとすると長続きしない」
継続は力なりを体現した大山ならではの金言であろう。

そして、もう一つ挙げられるのが、恐るべき終盤の逆転術である。
大山は座右の銘ともいうべき「忍ぶことは辱ではない」という忍の一字で耐え忍び、終盤で追い詰められても決して諦めない精神で戦い抜いた。
その容易に土俵を割らない様を評し、「大山の終盤は二度ある」「二枚腰の粘り」と形容されたのである。

大山時代の終焉

さすがの大山も45歳を過ぎた頃から、精密機械と謳われた盤石の指し回しに綻びが見え始めた。
そこに、“若き将棋界の太陽”中原誠がタイトル戦に顔を出すようになり、大山時代に暗雲がたちこめる。
棋聖戦や十段戦で中原とタイトルを争ったが、劣勢を強いられた。

そして、両者はついに、昭和47年の第31期名人戦で激突した。
さすがは大山である。
棋界の最高位である名人戦では、「どれ本気を出すか」と言わんばかりに巌の如き強靭な受けで3勝2敗と王手をかけた。

大山の受け潰しの前に苦戦が続く中原は、大山の十八番である振り飛車で挑む。
攻めてダメなら、攻めさせようと考えたのだ。
普段は居飛車の中原だが、A級順位戦で全勝した自信もあり「たとえ、今回の名人戦で負けても来期また挑戦すればよい。大山名人以外ならば勝てるだろう」と開き直ったことも、思い切った作戦を採用できた一因であった。
最終局の終盤では大山が優勢であったが、中原が逆転勝利を収め棋界の頂点に立つ。

こうして大山は13期連続、通算18期守った名人の座から陥落し、中原時代が幕を開けた。

50歳の新人として再出発

大山は中原に名人を奪われた後、王位と王将も立て続けに失冠し、ついに無冠になってしまう。
50歳を目前にしての凋落は、誰もが大山の落日を思わずにはいられなかった。
口さが無い者の中には、引退を噂する者まで現れる。

このような逆境の中、私は大山の50代からの生き方に深い感銘を受けた。
大山は無冠になると、腐ることなく冷静に敗因を分析する。
名人戦をはじめとする中原との対局も、決して技術的に劣っているとは思えない。
たしかに、体力の衰えは隠せないが、健康面での不安があるわけでもない。
これは一時的なスランプだと、長年の経験から確信した。

では、どうやって立ち直ればよいのか。
実は、これまでも大きなスランプは5年周期ぐらいに訪れていたという。
ただ、今度ばかりは長期戦を覚悟した。

無冠になると、周囲は大山の肩書を気にした。
だが、大山自身は肩書をそれほど気にしなかった。
むしろ、いつまでも過去の実績にとらわれ、過ぎ去りし栄光に縋り付く愚だけは避けねばならないと自戒する。
立ち直るためには、一刻も早く昔の自分の立場を忘れなければならないのだと。

大山は語る。

「今置かれている現実をありのままに認めるのが一番よい。そうすれば、精神的な負担も軽い。最後の王将のタイトルを4連敗のストレートで失ったことも、かえって良かったのかもしれない。無冠となって気持ちが軽くなった」

50代を目前にしたスランプにも、不思議と焦りはなかった。
しかし、年齢のハンデを考えると今度は新しいことに挑戦し、身に付けていかなければならないと思った。
なにしろ、自分の息子ぐらいの年齢の棋士と戦わなければならないのだ。
五十の手習いという言葉があるように、大山は心機一転50歳の新人として再出発を誓う。

多忙な対局の合間を縫って、講演会や普及活動に全国を飛び回った。
見知らぬ土地に赴き、見知らぬ人々と交流する。
それまでは、対局を優先するために断っていた酒席やゴルフにも顔を出した。
これまで経験してこなかった様々な付き合いの場に身を置くうち、忙しくも充実した新しい生活の中に復活の手応えを掴んでいく。

そして、ともすれば諦めの誘惑にかられる大山の心を救ったものがある。
それは名人を失った後に、全国のファン、とりわけ若者から届いた激励の言葉であった。
このことが、どれほど失意の大山を勇気づけたことか。
50代以降、大山は以前よりもファンサービスに力を入れるようになる。
これは、苦しい時期にファンの有難さが身に沁みたからかもしれない。

この大山の姿に、私は思わずにいられなかった。
本人の覚悟とやる気があれば、年齢に関係なく人は変われるのだと。

数多の金字塔を打ち立てた大山は、我々には想像もつかぬ高いプライドを持っていたことだろう。
その大山が、これまで何十年と貫いてきた習慣や流儀を変えたのである。
言葉で言うほど、簡単なことではなかったはずだ。

だが、大山は言う。

「変えられるはずがないと頭から決め込むのは、あまりにも臆病だ」

そして、無冠となった翌年、50歳となった大山は十段位に挑戦し、中原からタイトルを奪還する。
こうして復活の狼煙を上げた大山は数々の棋戦優勝を果たし、タイトル獲得も50代だけで11期に及んだ。

私自身、50代の大台が見えてきた。
刻々と変化し続け、先行き不透明な現代は、中高年には生きづらい世の中であろう。
そんな時代にあって、大山康晴が実践した「変化することを恐れない生き方」は、我々にとっても大いなる教訓となるのではないか。

大山康晴ほどの偉大な棋士が過去の栄光を捨て、新しいチャレンジを試みたのだ。
大した実績も、ましてや輝かしい栄光など無いに等しい我々が、変化できない道理があるだろうか。
幾つになっても未来に目を向け、挑戦することを忘れずにいたいものである。


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まとめ

名人失冠後も51歳と63歳で名人挑戦者に名乗りをあげ、生涯最後となるA級順位戦でもプレーオフにまで進出した大山康晴十五世名人。
命の灯が消えるまで、生涯現役を全うした大名人の名に恥じぬ戦いを貫いた。

そんな大山は日本将棋連盟会長として、棋界の発展や普及に尽力した。
そして、平成2年、大山は将棋界初となる文化功労者顕彰を受ける。
無敵の全盛時代の活躍と、将棋界のために身を粉にしてきた努力が報われた結果である。

「これまで勝負師の世界と見られてきた将棋が、文化として認められたことが何よりも嬉しい」

心から嬉しそうに喜ぶ大山康晴の姿が印象に残る。

偉大なり大山康晴。
まさに、「棋界の巨人」と呼ぶにふさわしい大棋士であった。

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