プロ野球 昭和のライバル達①「榎本喜八vs稲尾和久」
榎本喜八と稲尾和久。かつてパリーグを代表する選手として鳴らし、片や“打撃の神髄を極めし者”、片や“鉄腕”と呼ばれ、同時代の人々に畏敬の念を持たれていた。ライバルとして鎬を削った二人は、剣豪の如き18.44mの果し合いを演じた。
謎の中年ハック・フィンが、気の向くままに更新するヘッポコ記事のてんこ盛り。お暇なら来てよね~ (´ω`)
榎本喜八と稲尾和久。かつてパリーグを代表する選手として鳴らし、片や“打撃の神髄を極めし者”、片や“鉄腕”と呼ばれ、同時代の人々に畏敬の念を持たれていた。ライバルとして鎬を削った二人は、剣豪の如き18.44mの果し合いを演じた。
1992年から2年連続で相まみえた、ヤクルト対西武の日本シリーズ。いずれも最終戦までもつれた激闘は、今もなお至高のシリーズと謳われる。“勝負の鬼”森祇晶に挑んだ“野球の鬼”野村克也の思い。ついに「念ずれば花開く」の悲願が成就した。
「球界のソクラテス」こと野村克也。現役時代は打者として残した偉大な記録だけでなく、生涯一捕手を貫きチームを牽引した。また、監督時代もヤクルトで4度のリーグ制覇、3度の日本一など名将と呼ばれる。そんな野村は誰よりも深く野球を愛し続けた。
三冠王に3度輝いた落合博満の現役時代に迫る後編。“オレ流”落合の変遷していくプロとしての定義。そして、国民的行事といわれた1994年10月8日の巨人対中日「10.8決戦」での活躍と覚悟。落合博満こそ真のプロフェッショナルと呼ぶに相応しい。
現役時代、前人未到の3度の三冠王に輝いたのが落合博満である。紆余曲折を経てプロ入りし、卓越したバッティング技術で球界を代表する打者となる。プロフェッショナルという言葉がよく似合う、“オレ流”落合博満の打撃の魅力と極意に迫る。
偉大なるプロ野球人・三原脩に迫る後編。6年連続最下位の大洋を、奇跡の手腕で日本一に導いた魔術師の秘策とは…。そして、魔術だけでなく先進的戦術も編み出していく。そんな三原には、病床に伏す晩年、どうしても伝えたい思いがあった。
数多の名監督が誕生した日本プロ野球界。その中でも、私が最も偉大で最も優れた監督だと信じて疑わないのが、三原脩である。前編では、“智将”“魔術師”と呼ばれた名将の西鉄ライオンズ監督時代までの足跡を記していく。
今年のパリーグ覇者オリックス・バファローズにゆかりがあるのが、阪急ブレーブスと近鉄バファローズである。昭和の時代、この2チームを率いてペナントレースを制した名将がいた。「悲運の闘将」西本幸雄が選手たちへ注いだ、情熱と愛情を思い出す。
かつて打撃の頂を目指し、神の領域に到達した孤高のバットマンがいた。その打棒を目撃した関係者の多くが、その男を最強のバッターとして挙げている。“臍下丹田に意識を鎮め、そこを中心に五体を結ぶ”。打撃の神髄を極めた伝説の打者・榎本喜八に迫る。
現役時代には史上初の3度の三冠王、監督時代も8年間で4度のリーグ優勝と日本一にも輝いた“俺流”落合博満。野球を知り尽くした慧眼には恐れ入る。ドライで厳しいイメージのある落合だが、プロフェッショナリズムの中に意外な姿も垣間見える。