第2章 偉大なる王者
世界タイトルマッチ 名勝負
トーマス・“ヒットマン”ハーンズ戦
(1) 世紀の一戦「THE FIGHT」
圧倒的かつ誇り高き防衛ロードを突き進むハグラー11度目の防衛戦は、20世紀最後のビッグマッチと呼ばれたトーマス・ハーンズとの戦いであった。
そのハーンズ。
“石の拳”ロベルト・デュランを「ラスベガス恐怖の一撃」と呼ばれる戦慄のKO劇で葬り、勢いそのままに階級を上げて勇躍ミドル級戦線に殴り込みをかけてきたのだ。
ミドル級の帝王ハグラーを向こうに回しても、戦前の予想では意見が真っ二つに分かれるほど実力伯仲と見られていた。
185㎝あるハーンズは、1階級上げたミドルでも圧倒的な長身である。
階級を上げると良くない選手が多い中、ハーンズは間違いなく良くなるタイプだと目されていた。
“ヒットマン”の異名をとる、あの破壊的なハーンズのパンチが階級を上げたならば…。
想像するだけでも、恐怖を覚えずにはいられない。
この世紀の一戦は「THE FIGHT」と銘打たれた。
何とシンプルな名称なのだろう。
だが、その呼び名ほど、この戦いに相応しいものはない。
なぜならば、“マーベラス”マービン・ハグラーとトーマス・“ヒットマン”ハーンズの戦いには、ギミックも煽りも全く必要としないからだ。
只々、真の王者と最強の挑戦者の決闘を、刮目して両の眼に焼き付ければよいのである。
(2) 好対照の両雄
ハグラーは、ひた向きに自らの仕事を全うするブルーカラーのような存在といえよう。
思うようなマッチメイクにも恵まれず、地方の小さな会場からコツコツと実績を積んで這い上がってきたのである。
苦労を重ねた末に王者を戴冠した後も、贅沢とは無縁の地道な暮らしを続けていた。
一方のハーンズは、デビュー戦から僅か3年足らずで世界チャンピオンに輝く。
しかも、29戦全勝27KOという、あまりにも鮮烈なレコードを残して…。
まさに破竹の勢いでスター街道を疾駆していたのである。
「THE FIGHT」というキャッチコピーを付けられたビッグマッチを目前にした動静も、この両者は対照的だった。
ハグラーはパームスプリングスでキャンプを張っていた。
同行したのは宣伝マン1人と僅かばかりのスパーリングパートナー、そしてペトロネリ兄弟だけであった。
“黄金のミドル”に君臨する統一王者にしては、実に質素な陣容ではないか。
ハグラーが「牢屋」と形容した灼熱の砂漠の地で、王者はひたすら練習に没頭し禁欲的な日々を過ごしていた。
ハーンズもマイアミビーチで精力的に汗を流していた。
鍛え抜かれた肉体は完全にミドル級仕様に仕上がっており、スパーリングで垣間見せるパンチの迫力はライトヘビー級の選手と錯覚する程である。
しかし、ハグラーと異なり、いつも取り巻きに囲まれていた。
決戦の地ラスベカスに到着すると、さらに派手な言動が目立つようになり、スポットライトに照らされ大歓声を浴び続ける。
観衆を避け、時間さえあれば勤勉な労働者のように練習に励んでいたハグラーとは、全く異なる振る舞いに終始した。
だが、大観衆の目にさらされながらも、調整には余念がない。
両者とも自らの勝利を信じて疑わなかったが、決して楽観視していた訳ではなかった。
ハグラー陣営のペトロネリ兄弟は、ボクシング界随一ともいわれるハーンズのハンドスピードを特に警戒していた。
しかも、身長で約10㎝高くリーチも長い挑戦者は、フットワーク、パンチ力ともに申し分がなかった。
一方、ハーンズ陣営にとっても、ハグラーのプレッシャーをかけながら前に出続ける重厚なインファイトとタフネスさは脅威であった。
人間性もボクシングスタイルも、真逆のチャンピオンとチャレンジャー。
否が応でもラスベガス、いや世界中のボクシングファンが盛り上がりを見せたのは言うまでもないだろう。