50歳の新人、先生になる 第1回「塾講師を目指して」





これは50歳にして、これまで未経験の塾講師を志したアラフィフ男の体験談です。

講師として子ども達と関わる中で、気付いたことや所感を述べていこうと思います。

当ブログが塾講師を始めて間もない方や指導方法に悩んでいる方、あるいは新しい挑戦に興味のある方の一助になれば幸いです。

~本編スタート~

自己紹介

私はこれまで、主にデスクワークに勤しんできたアラフィフ中年でした。
正社員として平凡かつ退屈な毎日を送ってきましたが、退職の1年前、超激務の部署に配属され体を壊しました。
それが原因となり、自主退職の道を選びます。
現在は個別指導塾の講師として、大学生や20代の若者に交じって小中学生に勉強を教えています。

塾講師を目指した理由

元々勤労意欲が低く、病弱なこともあり、セカンドライフは正社員の道を諦めることにしました。
当初は、長年従事してきた事務系の仕事を考えます。
ですが、物欲、出世欲、名誉欲もないことに加え、どうせなら世間体など気にせずに好きなことをやってみようと思い立ったのです。

実は在職中から密かに、やってみたい仕事がありました。
何を隠そう塾講師です。
昔とあるイベントで、子ども達と何度か関わったことがきっかけでした。

当時、私の職場は高齢化が進み、40代にして最年少などということも経験します。
そんな中、シルバー人材センター付き事務員と化していた私にとって、はつらつとした子ども達の姿は新鮮に映りました。
それまでは、特に子どもが好きなわけではありませんでしたが、他愛もない会話でも子ども相手だと存外に楽しく感じるから不思議です。
なによりも、年配者にはない生命の輝きを感じました。

大学受験生を教えることには自信を持てませんが、難関私立受験生以外の小中学生ならば、昔取った杵柄で何とかなるのでは?と甘い考えで一念発起しました。
まあ、現実はそんなに甘くないのですが…(苦笑)。

塾講師になるまで

私は中学までは、わりと成績が良い方でした。
それも塾講師を目指した理由のひとつです。

しかし、高校に行くと自由な校風も手伝って怠け心に拍車がかかり、完全に落ちこぼれてしまいます。
ちなみに、高3の受験時には英語の偏差値が中学時代の半分になっていました(涙)。
まあ、親に浪人させてもらい、なんとか大学に行くことは出来たのですが…。

こんな私なので、受け持つ対象は小中学生と決めていました。
とはいえ、高校卒業から30年以上経っており、小中学校時代など更に大昔のことであります。
当然、勉強のことなど忘却の彼方に消え失せたのは言うまでもないでしょう。

なので、図書館に行って教科書を読んだり、ネットからテキストや問題集を見つけたりして、ボチボチ始めることにしました。
久しぶりにやり始めると、面白いとまでは言えなくても苦痛には感じません。
「あ~これやったな~」とか「この問題、苦手だったんだよな…」など、懐かしささえ込み上げました。
と同時に、私の時代には無かった単元もあり、ときの流れも痛感させられます。
そして、数か月後、現在の塾に採用されるに至るのでした。


塾講師のいろは

50歳の新人として                                  

塾講師になった経緯を述べてきましたが、この歳で未踏の領域へ足を踏み出すことは随分と勇気がいりました。
そんな私の背中を押してくれたのが、「将棋界の巨人」大山康晴十五世名人の50代からの生き方です。

大山は全盛期には50期連続タイトル戦登場、19期連続タイトル獲得、史上初の五冠王など、数々の金字塔を打ち立てた大棋士です。
そんな不世出の大名人が50歳を目前に名人をはじめとするタイトルを次々と失い、ついに無冠に転落してしまいます。
口さがない者の中には、引退を噂する者まで現れる始末でした。

逆風に見舞われる中、大山はスランプの要因を冷静に分析し、ある覚悟を決めます。
それは年齢のハンデを補うため、新しいことに挑戦し身に付けていくことでした。
それまでは対局を優先するあまり、酒の席にはつかず、ゴルフもすっぱりと止めていました。
しかし、大山は心機一転を図るため、「50歳の新人として」再びスタートラインに立ったのです。

多忙なスケジュールの合間を縫って、講演会や普及活動を精力的にこなします。
しかも、日本全国津々浦の見知らぬ土地にまで…。
そして、そこで出会った人々と交流しては語り合い、酒席はもちろんゴルフまで再開します。
これまで敬遠してきた人付き合いをしていくうち、充実感と復活の手ごたえを掴んでいったのでした。

そんな大山に全国のファン、特に若い人から激励の言葉が送られました。
こうして新しい挑戦の場に身を置き、様々な刺激を受け取った大山は復活の狼煙を上げ、50代以降としては類を見ない快進撃を見せ「大山健在」を知らしめしたのです。

大山は言います。

「変えられるはずがないと頭から決め込むのは、あまりにも臆病だ」

私は、この大山の言葉に深い感銘を受けました。
大山康晴といえば当時、史上最強と謳われた棋士です。
それほどの大棋士である大山は、我々には想像だにできぬ高いプライドを持っていたに違いありません。
にもかかわらず、長年にわたり培った流儀を変え、五十の手習いよろしく初心に帰り一から新しいことを始めたのです。
私のような年齢だけ重ねた凡人が、変われぬ道理があるはずがありません。
そもそも、私には守るべき栄光など皆無です。

年を取れば取るほど、変化することに臆病になります。
そして、失敗が怖くなるのです。
ですが、人生100年時代といわれる現代では、50歳など折り返し地点です。

日本は今後ますます、不透明な時代になっていくに違いありません。
そんなとき、リスクを冒さないことが最大のリスクになる場面もきっとあるでしょう。
いくつになっても、「挑戦というリスク」に怯んではいけないと思うこの頃です。

P.S. まだまだ塾講師歴1年にも満たない新米ですが、「50歳の新人」として再出発を果たす所存です。生温かく見守っていただけると幸いです!


棋風堂堂 将棋と歩んだ六十九年間の軌跡

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