升田幸三 番外編「名人に香車を引いた棋士」





「名人に香車を引いた男」。
このフレーズは、好棋家ならば一度は聞いたことがあるだろう。

木村義雄、大山康晴という時の名人を香落ちに追い込んだ棋士、それが升田幸三である。
そんな「将棋の鬼」と呼ばれた名棋士の往時を振り返る。

名人に香車を引く

1. 木村義雄

少年時代、升田には夢があった。
それは「名人に香車を引いて勝つ」というものである。

絵空事にしか思えなかった事柄が、昭和26年「常勝将軍」と謳われた木村義雄との第一期王将戦で実現する。
この王将戦の目玉は「指しこみ」制度であり、3勝差がついた時点で勝負が決定し、次局は“香落ち”で戦うというものだ。

実は、この制度に猛反対したのが他ならぬ升田幸三であった。
升田は必死に抗弁する。

「プロの将棋界は総平手の制度で秩序を保ってきた。それを指しこみ制にすると、敗者が不名誉な扱いを受けることになる。もし仮に、棋界の頂点にいる名人が指しこまれるようなことが起こったら…これまでの秩序が乱れ、大混乱が起こるのではないか…」

だが、理事たちだけでなく、時の名人・木村義雄も「そんな事態は起こりえない!」と一蹴した。
ところが、王将戦が始まると第1・2局と升田が連勝する。
第3局こそ木村が薄氷の勝利を収めるが、第4・5局と升田が勝ち、「指しこみ」が実現することと相成った。

制度に反対していた升田が「指しこむ」というのが、何とも皮肉である。
そもそもとして、子ども時代の夢が実現するかもしれないのに、反対するのもおかしな話とも言えるのだが。
逆にいえば、棋士になった升田は「名人」という地位の重みを、それだけ感じていたのかもしれない。
なにはともあれ、前代未聞の対局が行われる…はずだった。

というのは、世に喧伝された「陣屋事件」が起こったからである。
事件は対局前日に遡る。
ひとり升田は対局場の旅館・陣屋に向かい、玄関のベルを鳴らしたが誰も出てこない。
しばらく待っていたが、無視され続けたことに立腹した升田は「こんな無礼な旅館では対局などできん!」と言い張った。
先輩棋士たちが説得に赴くが升田は頑として受け付けず、対局拒否に発展してしまったのである。

升田はこの件について多くを語らなかったので真相は不明だが、そもそも陣屋にベルなど無かったともいわれており、今日では「名人」の権威を失墜させたくなかったが故の行動という説が有力だ。
事実、升田は「指しこみ」制度に反対していた。
そして、自著でも「木村名人との香落ちはできれば指したくなかった」「まだ若い弟弟子の大山君と指したときは、木村名人のときのように悩むことはなかった」述懐している。

きっと升田幸三は棋士になり、仰ぎ見る「名人」への憧憬や敬意の念が深まっていったのだろう。
だからこそ、理不尽に見えるわがままを通しても、「名人」という権威を守りたかったのではないか。
加えて、散々噛みつきながらも、大先輩にして棋界の第一人者たる木村義雄の名誉も貶めたくなかったと思うのだ。

升田は一連の騒動で迷惑をかけたことを気にして、後日陣屋を訪れる。
陣屋側も快く歓待し、両者のわだかまりは霧散した。

そのとき、升田は一句認めた。

「強がりが 雪に轉んで 廻り見る」

一体、どんな心境でこの句を詠んだのだろうか。
自分のわがままにより大騒動に発展し、渦中の人となり周りを見回した。
すると、多くの人に迷惑を掛けたことに気づき、恥じ入った。
詠んだ場所が陣屋ということも鑑みると、こんな感じではないか。
陣屋に対しての申し訳ない気持ちが、行間に滲み出ているように思うのは私だけであろうか。

なにはともあれ、即興でこれほど味わい深い句を詠む升田は、まこと風流な人物だった。

2. 大山康晴

昭和31年1月20日。
空前絶後の出来事が将棋界を襲った。
大山康晴名人が王将戦において、こともあろうに香落ちの下手で敗れたのである。

升田は香落ち戦について確信を持っていた。
それは、よほど実力に差がない限り下手必勝ということを。
下手としては序盤早々に端攻めを敢行し、攻撃側の香車と守備側の桂馬を交換していけば良い。
ただし、上手に△3四銀と組ませてはならない。
そうなると、仕掛けが難しくなるからである。

しかし、大山はあえて升田に△3四銀型の陣形を組ませたのである。
はなから端攻めなど歯牙にもかけず、△3四銀型を咎めにいき、中央を制圧しにかかった。
私は升田幸三の自伝解説を読み、大山康晴という棋士の矜持を見た思いがした。
あるいは、名人のというべきか。
名人としての意地と誇りにかけて駒落ち戦の常套手段ではなく、平手の感覚で堂々と勝ちに行ったのである。
おそらく大山ほどの技量ならば、普通に下手の定石で指せば苦杯を舐めることは無かっただろう。

だが、そのおかげで升田は振り飛車にして美濃から銀冠の堅陣に囲い、十分に陣形を整えることができた。
こうなれば、香車のないハンデが軽減されるのだ。
つばぜり合いが続く中、大山の疑問手に乗じ升田が華麗に寄せ切った。

ここに「名人に香車を引いて勝つ」という、升田幸三の悲願が成就した。

まとめ

第五期王将戦第4局、挑戦者の升田幸三は上座に着き、駒を並べ終えた。
そして、大山王将相手に1筋の香車を外す。
その年、大山は名人も5連覇を果たすなど、まごうことなき棋界の第一人者であった。

升田はその瞬間、感無量の思いが込み上げる。
名人に対して駒落ちで対局するということは、名人のさらに上手とみなされる証左にほかならない。
少年の日「名人に香車を引いて勝つ」という大志を抱いた升田ならば、感慨もひとしおであっただろう。

そして升田は対局の前日、郷里の兄から送られた一句を思い出していた。

「物差しの 裏字もかおる 梅の花」

自らに将棋の手ほどきをし、ゲンコツをお見舞いしながら詰将棋の特訓を課した兄。
升田は心からゲンコツに感謝した。


名人に香車を引いた男―升田幸三自伝 (中公文庫)

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