「闘犬」エドガー・ダービッツ





1998年フランスワールドカップ。
日本が初出場した大会で、最も魅力的なチームと謳われたオランダ代表はベルカンプやクライファート、オーフェルマルスら多彩な攻撃陣を擁し、素晴らしいフットボールを展開した。

そんなオレンジ軍団の中で、豊富な運動量と溢れんばかりの闘志で中盤を牽引したファイター。
その男こそ“闘犬”という二つ名が誰よりも似合うエドガー・ダービッツなのである。

ダービッツとは

エドガー・ダービッツは1973年3月13日に生まれた、スリナム出身のオランダのサッカー選手である。
ポジションは守備的ミッドフィルダーでオランダ代表や、アヤックス、ユベントスらクラブチームでも活躍した。

身長170㎝未満、体重も70㎏に満たない小柄な体躯ながら、筋肉の塊ともいえる屈強な肉体と無尽蔵のスタミナで中盤を制圧する。
欧州の190㎝前後の偉丈夫相手にも当たり負けしないフィジカルの強さに加え、心臓が3個あると言われた運動量、そして類まれなスピードをもってしてピッチのどこにでも顔を出す。
サッカーの1試合当たりの平均走行距離はポジションにもよるが、10㎞前後といわれている。
よく走る選手でも14㎞を走破する者はほとんどいない。
しかし、ダービッツは16㎞もの走行距離をマークすることも珍しくなかった。
いかに、ダービッツの運動量が驚異的なのかが分かるだろう。
そして、その激しいハードワークにより守るというよりも、ボールを奪い取るプレースタイルが最大の特徴だ。

こうみると、ただアグレッシブなファイターだと思うかもしれないが、テクニックにも優れスピードに乗ったドリブルは敵陣を切り裂いた。
加えて、機を見て放つ左足からの強烈なミドルシュートも効果的だった。
攻守にわたりチームを支えるブルファイター、それがエドガー・ダービッツといえるだろう。

さらに、ダービッツのプレーを支えたのが気の強さ、より分かりやすく言えば気性の激しさだろう。
ピッチ上でのプレーだけでなく、グラウンド外でもそうした一面が散見された。
私が最も驚いたのは、同じオランダ代表のヤープ・スタムにアッパーカットを見舞わしたことである。
スタムといえば190㎝を超える長身と体重も90㎏を誇る巨躯に加え、スキンヘッドの相貌は迫力満点の大巨人といった趣である。
肉体の頑健さのみならずスピードにも優れ瞬発力も兼ね備えたスタムは、個人的には最もケンカを売りたくないタフガイだ。
そのフィジカルモンスターに身長で20㎝以上、体重で20㎏以上も劣るダービッツが殴りかかったのだ。
エドガー・ダービッツ…恐るべしである。

また、代表やクラブの監督にも反旗を翻すことも日常茶飯事であった。
特に印象深いのは、1996年のヨーロッパ選手権において当時の代表監督フース・ヒディングと諍いを起こし、大会期間中にチームを追放されたことである。
その後、両者は和解をし、共にオランダ代表のために粉骨砕身したことも懐かしい思い出だ。

ダービッツの思い出

2022年ワールドカップ・カタール大会にて、オランダ代表のベンチに佇むある男の姿がネット界隈を揺るがした。
現役時代そのままのドレッドヘアにスーツ姿のダービッツがいたのである。
しかも、アシスタントコーチとしてチームに帯同しながらも、ベンチでサングラスをかけるダービッツは強烈無比なインパクトを与えていた。

思えばダービッツは現役時代の最盛期、緑内障を患い引退どころか失明の危機に瀕した。
そのピンチを手術により乗り越え、以後ゴーグルを付けて目を保護しながら現役の最後までピッチを駆け抜けた。
ゴーグルをサングラスに掛け替えたダービッツは、まさに往時の雰囲気そのままだったのだ。

そんな存在感あふれる“闘犬”の思い出といえば、1998年フランスワールドカップでの活躍が真っ先に浮かぶ。
それは決勝トーナメント1回戦、ユーゴスラビアとの試合でのことだった。
1-1で迎えた後半の終了間際、この日も獅子奮迅の活躍を見せるダービッツの左足が一閃する。
すると、ペナルティエリア外から放たれたシュートはゴールネットに突き刺さった。
オランダ代表をベスト8に導く値千金のゴールは、“エドガー・ダービッツここに有り“を世界に知らしめた。

また、同じくフランスワールドカップの準決勝ブラジル戦。
間もなく後半の30分に差し掛かろうかというとき、先制点を奪い勢いに乗るブラジルはロナウドが抜け出しキーパーと1対1になる。
時間帯からしても決めればブラジルの勝利が濃厚となる場面、背番号16のオレンジのユニフォームが後方からロナウドにスライディングタックルを決め、間一髪チームの危機を救う。
そう!ダービッツである。

当時のロナウドは怪我をする前であり、爆発的なスピードと破壊力抜群の決定力は間違いなく世界No.1だった。
そのロナウドがトップスピードで抜け出し、ペナルティエリア内でシュート態勢に入っていた。
誰もが、オランダの敗退を覚悟する。
ところが、ただ一人ダービッツだけが諦めず、必死に食らいつく。
そして、ロナウドに追いつき、魂のディフェンスで凌いだのである。
すでにイエローカードを1枚もらっていたこともあり、普通なら躊躇してもおかしくない。
だが、ダービッツはひるまない。
しかも、あのギリギリの場面で正確にボールへチャージする高い技術も披露した。
オランダイズムに心酔していた私は、“闘犬”の渾身のプレーに感動したことを昨日のように思い出す。

そして後年、私はある記事を目にする。
「水を運ぶ人の価値」というタイトルのその記事は、まさにエドガー・ダービッツを的確に表現していた。
1990年代後半のオランダ代表は、柔かいボールタッチと流れるようなパスワークを誇る美しくスぺクタルなサッカーを展開していた。
そんな中、テクニックはあるものの、泥臭い体を張ったプレーで誰よりもチームへ貢献したのがエドガー・ダービッツだった。
その姿を「水を運ぶ人」と表現したのである。

言い得て妙である。
「水を運ぶ人」は決して主役ではない。
運ばれてきた水を使うのが主役・マイスターの仕事である。
だが、水を運び、プレーのお膳立てをする者がいなければマイスターは輝けない。
リオネル・メッシのように“違い”を生むのが主役だが、華麗なプレーを見せるのは一瞬である。
一方で、「水を運ぶ人」は主役のような煌めきこそ見せないが、90分間のほとんどでチームのために献身する。
まさしく、エドガー・ダービッツではないか!

全盛期、世界中の監督がダービッツを欲したという。
この記事を読むにつけ、むべなるかなである。

まとめ

気性が荒く、喧嘩っ早いイメージのダービッツ。
だが、チャリティに熱心で、どこにでも手弁当で駆けつけた。

そんなダービッツはオランダ代表の盟友デニス・ベルカンプの引退試合にも馳せ参じる。
とかくオランダ代表といえば、スリナム系の黒人選手と白人選手の確執が取り沙汰され、チームの不協和音の元凶となっていた。
にもかかわらず、私の最も好きなフットボーラーの引退の花道に、共にオレンジのユニフォームを纏い戦ったあのダービッツがいる。
私はその光景に感無量の思いが込み上げた。

“闘犬”エドガー・ダービッツ。
たしかに、ユベントスのユニフォームも似合っていた。
だが、オランダ代表としてピッチを駆け抜けた雄姿こそが、忘れ難き思い出だ。

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