「飛ばないオランダ人」デニス・ベルカンプ ~輝けるオレンジへの憧憬~





1998年、それはフランスの地で開かれた夢のような宴であった。

日本代表が初のワールドカップ出場を決め、日本中が侍ブルーに熱い視線を送る中、偶然目にしたオレンジの輝き。
眩いばかりのユニフォームに身を包み、美しくもスペクタクルなフットボールを展開するオランダ代表にあって、ひと際存在感を放ち、チームにインスピレーションを与える一人のマイスター。

人智を超越したトラップから一筆書きのように決めたゴールの記憶は、忘却の彼方に消え去ることはないだろう。


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デニス・ベルカンプとは

1969年5月10日、オランダのアムステルダムでベルカンプは生まれる。

ちなみに、なぜベルカンプが「飛ばないオランダ人」と呼ばれるのかというと、大の飛行機嫌いだからである。
ワールドカップやチャンピオンズリーグなどで海外に遠征する際も、いっさい飛行機には搭乗せず、ひたすら船と陸路で移動した。

キャリアのスタートとして、アヤックスのユースチームに入団する。
しかし、高い潜在能力にもかかわらず、内向的な性格も手伝って今一つブレイク出来ずにいた。

そんなベルカンプに大きな転機が訪れる。
17歳の時、ハイレベルなテクニックがヨハン・クライフの目に留まり、トップチームへの昇格を果たしたのだ。

その後、順調に成長を遂げ、3年連続でオランダリーグの得点王に輝くなど才能が開花する。
特に、1992年のヨーロッパ選手権では得点王となり、その名を世界に知らしめた。

ヨーロッパ選手権での活躍が認められたベルカンプは、当時世界最高峰にあったセリエAのインテル・ミラノに移籍した。
ところが、アヤックスやオランダ代表の攻撃的なサッカーとは異なり、チームの守備的な戦術に馴染めず実力を発揮できないまま、わずか2年でイタリアを追われることになる。

ベルカンプが次に向かったのは、サッカー発祥の地イングランドのプレミアリーグであった。
1995年、アーセナルに入団すると、本来のプレーが随所に見られるようになる。

そして、翌年から監督に就任したアーセン・ベンゲルとの運命的な出会いは、ベルカンプにとって僥倖といえるだろう。
ベンゲルが唱える速いパスワークを駆使した攻撃的サッカーが、ベルカンプのプレースタイルに完全にフィットし、数々の伝説的プレーで観客を魅了したのである。

その中でも、プレミア史上No.1との誉れ高い、ベルカンプターンと呼ばれるゴールがある。

2002年のニューカッスル戦。
ゴール前中央に駆け込むベルカンプに、MFピレスがハーフライン付近から強めのグラウンダ―のパスを送った。
相手DFを背にしながらベルカンプは、左足のインサイドでトラップし、ボールを右側にはたく。
そして、自らはボールの進行方向とは逆の左側に反転しながらDFを置き去りにする。
すると、前を向くベルカンプの足もとに、あろうことかボールが戻ってくる。
追いすがるDFを躱し、キーパーのポジショニングを確認しながら、冷静沈着にゴールに流し込んだのだ。

まず、勢いの付いたボールを利き足とは反対の左足でトラップすると同時に、スピンをかけながら完璧なコントロールでゴール前に流したのである。
たとえ利き足でも、あのタッチを見せることができる選手は、いったい何人存在するのだろう。

さらに、それとは反対方向に体を反転させて相手を躱し、ボールに追い付く発想自体が有り得ない。
大袈裟ではなく、マンガの世界でしか存在しないプレーである。
そして、まるでベルカンプがかけた魔法により意志を持ったかのようなボールの動き。

当時、ベルカンプはあと数ヶ月で33歳を迎え、選手としての盛りは過ぎていた。
つまり、晩年までテクニックは衰えなかったことを物語っている。

初めてこのプレーを観た時、ベルカンプが何をやったのか理解ができなかった。
何度もスロー再生で確認して、ようやく意味が分かった次第である。
機会があれば、是非ともご覧いただきたい。

アイスマンの異名を取り、現役を退くその日までガナーズの中で重要な役割を担い続けたベルカンプ。
現役時代の在りし日の雄姿を偲び、アーセナルの新本拠地「エミレーツ・スタジアム」に銅像が建てられたことからも、ベルカンプがどれほどチームやファンに慕われていたかが分かるだろう。

フランスワールドカップ 忘れ得ぬゴール

ワールドカップ準々決勝、マルセイユを舞台に、オランダはアルゼンチンと白熱の攻防を繰り広げていた。
互いに一歩も引かず同点で迎えた後半の44分、ワールドカップ史に残る伝説のゴールは生まれる。

フランク・デブールの50mはあろうかというロングフィードを、ゴール前に走り込むベルカンプがジャンプ一閃トラップすると、真綿で包みこむような魔法のタッチでボールをピタリと止める。
そこに、DFのアジャラがお手本通りに体をタイトに寄せて来た瞬間、ワンタッチで躱すと、右足からアウトサイドに放たれたシュートがゴールネットを揺らした。

まず注目すべきは、フランク・デブールが蹴ったボールがベルカンプへと向かって、糸を引くかのごとく、ここしかないピンポイントに供給されたことである。
まるでベルカンプとボールとが、その場所での邂逅を約束されていたかのようなタイミング。
これは、針の穴を通すような正確無比なロングパスを送ったフランク・デブールと、完璧な目測でボールの落下点に最短距離で走り込んだベルカンプという、稀代のフットボーラーが揃えばこそのプレーだろう。
それに加えて、長年オランダ代表で苦楽を共にしていた二人ならではの、阿吽の呼吸もあったに違いない。

それにしても、背後から迫り来るボールの勢いを完全に殺した繊細なタッチは、オランダの代表的画家にして“光と影の支配者”レンブラントの筆さばきを思わせた。

そして、右足のつま先を駆使した柔らかなトラップから一転、今度は同じ右足の裏でボールを叩き付けて切り返し、アジャラの股間を抜き去った。
激しく競りかけてきた世界有数のDFと対峙しながらも、全く態勢を乱すことのないボディバランスとサイボーグの如き屈強な肉体にも目を見張らされる。

力強さと繊細さ。
まさに剛柔あわせ持つ一連の動きには、感嘆の声しかないだろう。

ベルカンプの神域のプレーは、これに留まらない。
ゴールを向くと、キーパーの動きを視野に捉えながら、恐ろしいまでの冷静さで決めたシュート。
しかも、アウトに回転までかける、念の入れようである。

時間にすれば、ほんの数秒の出来事である。
その刹那に、これほどまでの匠の技を散りばめたベルカンプ。

「剣豪伊東一刀斎は、刀を振り上げてから下ろすまでに360の刹那がある」という作家・五味康祐の言葉。
アルゼンチンを奈落の底に沈めたベルカンプのスリータッチは、この名言を想起させずにいられない。


デニス・ベルカンプに思う

アルゼンチンを劇的なゴールで退けたオランダ代表は、続く準決勝でブラジル相手にPK戦の末敗退する。

そして、ベルカンプはヨーロッパ選手権「EURO2000」を花道に代表引退を決断する。
その大会は地元開催に加え、オレンジのユニフォームを着てピッチに立つ最後の戦いでもあったため、是が非でも欲しいタイトルだった。
その想いを表すかのように、これまでの「プレーで魅せるベルカンプ」から「チームのためのベルカンプ」へと趣を変えていた。

しかし、イタリアとの準決勝で、またしてもPK戦で涙を呑む。
こうして、ベルカンプはビッグタイトルを戴冠することなく代表を去った。
ワールドカップ及びヨーロッパ選手権の開催当時、オランダ代表は世界最強と目されていたにもかかわらず…。

私はヨーロッパ選手権だけは、何としてもベルカンプに戴冠して欲しかった。

ある日、私はたまたま雑誌を手に取った。
すると、そこには作家・塩野七生が厳しくベルカンプを批判している。
「世界最強のオランダが勝てないのは、ベルカンプのせいである」と。

だが、次の一文を見て、私は熱いものがこみ上げる。
「でも、今回だけはオランダに、いやベルカンプに勝たせたかった…」

私は、同じ想いを分かち合えたようで感無量だった。
きっと塩野七生も、ベルカンプの勝負師としての精神的な弱さに哀愁を覚えながらも、そんなベルカンプだからこそ心惹かれ、栄光の瞬間を味わってほしかったのだろう。

まとめ                

アーセナルの名将アーセン・ベンゲルがベルカンプを評した言葉もまた、師弟愛を感じさせる。
「デニス・ベルカンプは疑いようもなく世界最高の選手の一人だ。だが、彼は世界の檜舞台に立とうとせず、自ら日陰者に甘んじている。そのことが残念でならない」

一見、この言葉はベルカンプを腐したようにも聞こえる。
だが、ベンゲルとベルカンプは深い師弟の絆で結ばれていた。
そして、ベンゲルは誰よりもベルカンプの才能と技術を高く評価し、チームにとって唯一無二の必要不可欠な存在として認めていた。
だからこそ、ワールドカップやヨーロッパ選手権、チャンピオンズリーグといった世界最高峰の舞台で栄冠に浴することなく、バロンドールも獲得できずにピッチを去った稀代のマイスターに悲哀を感じたに違いない。

デニス・ベルカンプ。
時は流れ、時代は変わりゆくだろう。
だが、その神技の如きトラップと孤高の背中に纏うオレンジの輝きは決して色褪せることはない。 

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