「皇帝」ミハエル・シューマッハ ~最強のターミネーター走法~





1990年代前半~2000年代半ばにかけ、F1の世界を席巻したドライバー。
それはドイツ帝国が誇る「皇帝」ミハエル・シューマッハである。

歴代最多タイとなる7度のワールドチャンピオンに加え、史上初の5年連続ワールドチャンピオンに輝くなど、数々の金字塔を打ち立てた。

この最強ドライバーの足跡を追いかける。

ミハエル・シューマッハとは

ミハエル・シューマッハは1969年1月3日にドイツで生まれる。

F1デビューを果たす以前の若手時代、メルセデスベンツが立ち上げた育成プログラムにカール・ヴェンドリンガー、ハインツ=ハラルド・フレンツェンと共に選ばれる。
彼らは「メルセデス3羽烏」または「ドイツ3兄弟」などと呼ばれた。

F1デビューを果たすと、いきなり戦闘力の劣るマシンで予選7位のパフォーマンスを見せつける。
こうして、若くして頭角を現したシューマッハはアイルトン・セナの不慮の死後、名実ともにF1の頂点に君臨した。
前述した記録の他に優勝91回、ポールポション68回など、ハミルトンに抜かれるまで数々の最多記録を保持していた。
ファーステストラップ77回や年間優勝13回(最多タイ)などは、レース数が増えた現在でも破られていない。

強靭な体力を誇るシューマッハは、古舘伊知郎に「ターミネーター走法」のニックネームを付けられる。
ちなみに、古館はそれだけでは飽き足らず「史上最強の若造」とも呼んでいた。
納得である。

ドライビングスタイル

私見だが、F1ドライバーには予選が得意な“速さ”を売りにするタイプと、決勝レースに本領を発揮する“強さ”に特徴がある者がいるように思う。
前者には“音速の貴公子”アイルトン・セナや、“ラップランドの狼”ミカ・ハッキネンなどが挙げられるだろう(もちろん、彼らは決勝も強い)。
後者の代表は“プロフェッサー”アラン・プロスト、そしてミハエル・シューマッハが該当するといえる。

プロストの場合、予選はそこまで本気モードではなかったように感じる(地元フランスGPでセナを圧倒するなど、たまに本気モードも見られたが)。
シューマッハは予選でも速さを見せたが、何といっても決勝本番での強さが際立っていた。

たしかに、予選から圧倒的な強さを見せ、一度もトップを譲らずチェッカーフラッグを受けるレースも展開した。
だが、記憶に残るのはライバルにマシンの戦闘力で劣る中、名参謀ロス・ブラウンとの阿吽の呼吸で見せたピット作戦をはじめとする、緻密な戦略で逆転する光景である。
もちろん、いくらロス・ブラウンの戦略が秀でても、シューマッハ抜きには実現不可能だった。

例えば、シューマッハは2位を走行していたとする。
トップを走るライバルが先にピットインした隙にガソリンが軽くなったアドバンテージを活かし、シューマッハは次々とファーステストラップを叩き出す。
そして、マージンを稼いでピットインした後コースに復帰すると、バトルなしにライバルの前に出ていたことが何度あったことか。
あるいは、再給油が認められるレギュレーションに変更されると、臨機応変にピットインを行い、変幻自在の作戦でレースの主導権を握っていく。

セナとプロストを比較すると、セナは雨が得意でプロストはからっきしであった。
また、周回遅れを抜く時もセナは大胆にパスしていくのに対し、プロストはあくまで慎重だった。

一方で、シューマッハは予選よりも決勝が強く、ピットイン作戦を筆頭に様々な戦略を駆使することからも、タイプとしてはプロストに近いのではないか。
だが、雨が降っても強いシューマッハは晴雨兼用型ドライバーであり、周回遅れもセナと同様に大胆に抜き去った。
こうみると、セナとプロストの長所を掛け合わせた感もあり、非の打ちどころがないドライバーであることが窺える。

しかし、勝利への執念が高じるあまり、そのドライビングスタイルはたびたび物議を醸していた。
一例として、ワールドチャンピオンがかかる94年と97年の最終戦、優勝争いをするライバルと接触事故を起こした。
94年は両者リタイアでシューマッハがワールドチャンピオンになるも、97年は悪質だと認定されFIAから制裁を受ける。
抜かれそうになると危険なブロックを仕掛けるだけでなく、ジグザク走行も試みるなど、ほかのドライバーから苦言を呈された。

チーム内での露骨なNo.1ドライバー制を敷くことでも有名であり、それも相まって毀誉褒貶相半ばしたことも事実である。

名門フェラーリ復活の立役者

個人的な実績の枠を超え、シューマッハの最も偉大な功績はフェラーリを復活に導いたことだろう。
フェラーリは1990年アラン・プロストがチャンピオン争いを繰り広げて以来、数年に1勝するのがやっとの長い低迷期を迎えていた。
そんな中、フェラーリ再建に名乗り出たのが、当時ベネトンで圧倒的な強さを誇示していたシューマッハだった。

1996年、チームに移籍したシューマッハはかく語る。

「3年でタイトルを獲得する」

シューマッハは初年度から、ウィリアムズ・ルノーと比較して明らかに信頼性と戦闘力の劣るマシンを疾駆させ、3レースで勝利する。
最近のフェラーリの成績を考えると、このシューマッハの活躍は信じられなかった。

翌年、早くもワールドチャンピオン争いに顔を出し、後一歩のところでタイトルを逃すことになる。
そして、ハッキネンとのつばぜり合いを制した2000年、ついに念願のワールドチャンピオンに三度輝いた。
以降、2004年までフェラーリは黄金期を迎え、シューマッハは5連覇を達成する。

私がシューマッハに感嘆するのは、間違いなく彼主導でチームを再建させたからだ。
名将ジャン・トッドに加え、ベネトン時代のスタッフたるロス・ブラウンやロリー・バーンを招聘し、格段に戦略と開発能力が飛躍した。
これもひとえにシューマッハがいたからこそ、有能な人材が馳せ参じたのである。

また、シューマッハはマシンの開発能力も秀逸で、開発の方向性を牽引した。
さらに、チームクルーとの関係性にも腐心し、「チーム・シューマッハ」としての求心力を高めていく。
フェラーリ時代、シューマッハが行った偉業は、いちドライバーの範疇を超えている。

こんなところも、彼が“史上最も偉大なドライバー”と言われる所以に違いない。

ライバル

1.「最大のライバル」ミカ・ハッキネン

1998・1999年と2年連続でワールドチャンピオンに輝いたF1ドライバー。
それは“白夜の国の王子様”ミカ・ハッキネンである。

キャリア初期はトップチームと比べると性能が劣るマシンに苦しめられたハッキネン。
だが、1993年マクラーレンに移籍した後、テストドライバーを経てシーズン終盤でシートを獲得する。
すると、いきなり予選でセナを上回り、関係者を驚かせた。

その後、低迷するチームでマシンの信頼性に悩まされる中、辛抱強くサーキットと向き合ったハッキネンは1998年、いよいよ本領を発揮する。
マシンの熟成が進んだフェラーリを操る“史上最強ドライバー”ミハエル・シューマッハとも、互角以上に渡り合いタイトルを奪取する。
マシンの信頼性さえ向上すれば、たとえシューマッハでも凌駕する速さと強さを見せつけた。

セナとプロストが去ったF1サーカスに情熱を失った私が、目を見張らされたライバル関係がハッキネンとシューマッハであった。
エゴ丸出しで冷徹な勝利至上主義を掲げるシューマッハに対し、F1チャンピオンには珍しく人間性も素晴らしいハッキネン。
対照的な両者だが、ライバルには情け容赦なく、ときには危険なドライビングを仕掛けるシューマッハもハッキネンとはクリーンに戦った。

シューマッハは事あるごとにこう語る。

「ミカは悪魔のように速い。そんな彼は最大にして最高のライバルだ。と同時に、彼の誠実さは尊敬に値する」

セナ亡き後、全盛期のシューマッハに唯一速さで対抗できたのは、ハッキネンだけだといっても過言でない。

“ラップランドの狼”ミカ・ハッキネン。
その走りと人柄でファンに愛されるドライバーだった。

2. アイルトン・セナへの想い

シューマッハはキャリア初期に、“伝説のドライバー”アラン・プロストやアイルトン・セナと戦った。
プロストとは折り合いが良く、円満な関係を築いていたといえるだろう。

ところが、セナとはたびたび摩擦を起こし、緊張関係が続いていた。
ときにシューマッハはセナのドライビングを批判し、ときにはコース上で口論や乱闘騒ぎまで起こすようになっていた。
自己主張の塊のセナに負けず劣らず、鼻っ柱の強いシューマッハらしいエピソードである。

そんなシューマッハの人知れぬ想いを、我々は後に知ることになる。
それは2000年イタリアGPでのことだった。
勝利を収め、セナの通算勝利数41に並んだシューマッハは、レース後のインタビューで言葉に詰まり号泣する。

当時、F1中継を観ていた私は驚きを隠せなかった。
そこまでセナへの深き想いを抱いていたのかと。
そして、セナの死により若くしてF1の柱石を担うことになり、ひとかたならぬ重圧を受け続けていたことに…。

思えば1994年5月1日、悲劇の舞台イモラ・サーキットでセナの直後を追走していたのはミハエル・シューマッハだった。
高速コーナーで有名なタンブレロを曲がりきれず、コンクリートバリアに激突するセナを間近で目撃していたのである。

以後、シューマッハは永遠に逃れることができない呪縛に苛まれることになる。
ただでさえライバルを喪ったショックを引きずる中、英雄の悲劇を境に様々な誹謗中傷を浴びるに至るのだ。
シューマッハはセナの葬儀に参列しなかったことを激しく批判されたが、一説によると心無いファンからの殺害予告があったせいだとも言われている。
そんなシューマッハは後年、妻とふたりでセナの眠る墓前を訪れた。

シューマッハの涙の理由は、決して他人には分からないだろう。
だが、あの涙と共に少しでも、その身に背負う呪縛から解放されたと願わずにはいられない。


皇帝ミハエル・シューマッハ―フォトドキュメント

まとめ

「皇帝」の二つ名を拝命し、F1史上最も偉大なドライバーと呼ばれるミハエル・シューマッハ。
個人的にも、史上最速がアイルトン・セナならば、実績を含め史上最強はミハエル・シューマッハのように思う。

ドイツ人らしい勤勉さと飽くなき勝利への執念で、F1の頂点に君臨したシューマッハ。
しかし、なぜか私は1990年代前半セナやプロストに「ターミネーター走法」で挑む、若き日の姿が瞼に浮かんだ。

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