「国民的俳優」渥美清 ~寅さんとして生き 寅さんに殉じた男~





わたくし 生まれも育ちも 葛飾柴又
帝釈天で産湯を使い 姓は車 名を寅次郎
人呼んで フーテンの寅と発します

ご存知「男はつらいよ」における、“フーテンの寅”こと車寅次郎が仁義を切る際の口上である。

昭和の盆と正月の風物詩だった同作品は、多くの人々に親しまれた。
寅さんと葛飾柴又の人々が織りなす、古き良き時代を懐かしむ。

「男はつらいよ」誕生の背景

渥美清が少年時代、縁日やお祭りで出会ったテキ屋たち。
彼らは軽妙洒脱な啖呵売で客を楽しませる、個性豊かな渡世人だった。

そんな懐かしい思い出を雑談がてらに話した相手が山田洋次であり、そこから着想を得て創り上げた作品が「男はつらいよ」なのである。
だからこそ、映画の中で寅さんの啖呵売は、立て板に水の如く展開していくのだろう。
とても付け焼き刃では、あれほど流れるような口上にはなりえない。 

“国の始まりが大和の国ならば 島の始まりは淡路島 泥棒の始まりが石川五右衛門なら 助平の始まりがこのおじさん”

“ヤケのやんぱち 日焼けのなすび 色が黒くて食いつきたいが わたしゃ入歯で歯がたたないよ”

“四谷赤坂麹町 チャラチャラ水がお茶の水 粋なネエちゃん立ち小便”

“けっこう毛だらけ ねこ灰だらけ お前のケツはクソだらけ”

“大したもんだよカエルのしょんべん 見上げたもんだよ屋根屋のふんどし”

などなど、寅次郎の啖呵売には思わず聴き入った。

また、渥美清はアドリブも秀逸だった。
寅さんの決め台詞「それを言っちゃあ、おしまいよ!」も、台本には書いてない渥美ならではの名調子である。

山田洋次は当時のことを述懐する。

「最初聞いた時、おもしろい言葉だなあ~って思ってね。きっと渥美さんが少年時代から、ケンカの時に使ってた言葉なんじゃないかな」

まさしく「男はつらいよ」は、渥美清なくして誕生しなかった。

当初、本作品はテレビ版で放送されていた。
全26話の最終回、寅さんはハブに噛まれて死んでしまう。
ところが、この結末を見た視聴者からクレームが殺到する。

「終わるのはいい。だけど、なんで寅さんを殺すんだ!」

こうした熱心なファンの存在もあり、映画化に至るのであった。

寅さんの人となり

寅さんは一度見たら忘れられない愛嬌のある相貌に加え、明朗快活な性格も手伝って、行く先々で土地の人々と打ち解けた。
昭和の時代、車寅次郎という登場人物に多くの日本人がシンパシーを感じていたのも、どこか懐かしい古き良き日本の心を宿していたからだろう。

そして、寅次郎は明るいだけでなく、義理人情に厚く心の機微にも敏かった。
そんな寅さんに甥っ子の満男はよく懐いており、両親には言えない悩みも相談する。
ある日、満男に「人間は何のために生きてるのか」と問われる寅次郎。

「なんだ、お前。難しいこと聞くな~」と言いながら、しばし思案にくれる寅次郎。
そして、あたたかい眼差しを向けながら語りかけた。

「ああ~生まれてきて良かったな…って思うことが何べんかあるじゃない。そのために生きてんじゃないのか。そのうち、お前にもそういう時がくるよ」

またあるときは、別れを惜しむ満男に寅さんはこう言った。

「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさん、どっからでも飛んで来てやるから」

風のように自由に生きる寅さんらしい台詞である。

ではなぜ、思春期で難しい年頃の満男が寅さんには心を開くのか。
それは、寅さんに人の哀しみや寂しさを知る心があるからだ。
人生の哀歓を知り尽くす寅さんだからこそ、こんなにも沁みる名言を紡ぎ出すのだろう。

笠智衆演じる柴又帝釈天の御前様。
怖い者なしの寅さんが唯一、頭が上がらない人物である。
普段は寅さんに説教をすることが多いのだが、実は良き理解者であった。

「寅のような無欲な男と話していると、むしろほっといたします」

戦後、日本は目覚ましい経済成長を遂げ物質的には豊かになったが、それと引き換えに拝金主義が横行し、金のためなら人を平気で蹴落とす世相になっていく。
しかし、どんなに時代が変わろうが、御前様の目には車寅次郎だけは決して変わらない、本当に大切なものを知っている男に映っていた。

それはスクリーンを通して寅さんに出会った我々も、きっと同じ思いに違いない。

渥美清の実像

渥美清は本名を田所康雄といい、1928年3月10日に東京で生まれる。
子ども時代から病弱で、20代の時には当時“不治の病”といわれた肺結核を患い、右肺を失った。
約2年にわたる闘病生活の末、サナトリウムから生還する。

この体験が渥美清の人生観に多大なる影響を及ぼした。
酒やたばこを完全に断ち、何よりも健康に気を配るようになる。
その様は、無頼派の寅さんとはかけ離れたものだった。

明朗快活な車寅次郎に比して、渥美清は人生の深遠を見つめる哲学者であり、人間の孤独を熟知した。
そんなことも関係していたのだろう。
プライベートについては親しい役者仲間にも一切語らず、深い付き合いも避けていた。

私見だが「国民的俳優」と言って真っ先に思い浮かぶのが、渥美清と高倉健である。
プライベートを切り売りする現代の芸能人に対して、あまりにも対照的な渥美清と高倉健。
役柄を厳選し、私生活をベールに隠したことによりイメージを毀損することなく、ある種のカリスマ性が生まれたのではないか。

晩年、渥美清はガンに蝕まれ、立っているのもやっとの状態だったという。
それでもファンの期待に応えるため、“当たり役”車寅次郎を演じ続けた渥美清。
まさしく「寅さんに人生を捧げ、車寅次郎に殉じた」生き様といえるだろう。


おかしな男 渥美清 (ちくま文庫)

まとめ

車寅次郎こと渥美清が逝去して27年になる。
早いもので、寅次郎を演じた年月と並んだ。

私はふとしたとき、無性に寅さんに会いたくなる。
あの愛嬌たっぷりな四角四面の顔、そして唯一無二の流暢な語り口。

そして、なぜか何もかもが懐かしくなる。
それは、寅さんが日本人の心を体現する故郷のような存在だからに違いない。

生前、渥美清はかく語る。

「チョウチョかトンボのように好きな所へ出かけて生涯を終われたら、末は野たれ死んでもいいんじゃないですかね」

風のようにふらりと現れて、風のように去って行く。
人懐っこい笑顔を浮かべた寅さんは、今もどこかを旅しているのだろうか。


寅さんのことば 生きてる? そら結構だ (幻冬舎単行本)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする