「F1ドライバー」のニックネーム ~1980年代~90年代編~





最近ではすっかり見なくなったF1だが、バブル期から1990年代後半にかけては熱心に観戦していたことを思い出す。
アイルトン・セナとアラン・プロストの“セナプロ対決”に胸躍らせたことが懐かしい。

また、当時のドライバーはそれぞれが非常に個性的だった。
人間臭く、エゴ丸出しで、サーキットで熱い戦いを繰り広げていた。
そんな面々に加え、実況中継に古舘伊知郎が登場すれば、起こることはただ一つ。
罵詈雑言…もとい、ニックネームのオンパレードだ。

本稿では古館語録を中心に、F1ドライバーの様々なニックネームを振り返る。

1.「プロフェッサー」「微笑み黒魔術」 アラン・プロスト

まずは私の最も好きなF1ドライバー、アラン・プロストから紹介する。
安定感抜群の高い運転技術に加え、戦略にも富んだ走りから「プロフェッサー(教授)」と呼ばれたことは世界共通である。

問題は、アンチ・プロストともいうべき古舘伊知郎が、F1中継のマイクを握ったことである。
「最強の偏差値走法」「微分積分走法」「F1詰将棋」「F1チェックメイト理論」までは、プロストの計算された緻密な戦略が感じられ、そこまで悪意は感じない。

だが、「勝ちゃいいんだろう走法」あたりから、古舘リサイタルの幕開けだ。
しかし、勝ちゃいいんだろう…って(苦笑)

なおも「氷の微笑」「微笑み黒魔術」と怒涛の如く畳みかける。
相手のミラーに自分が操るマシンをちらつかせ、前を走るドライバーにプレッシャーをかけていく。

すると、あら不思議…ライバルがドライビングミスを犯し、労せずしてプロストが前に踊り出る。
幾度なく古館はこんな光景を目撃し、魔女風味のプロストの相貌も手伝って「微笑み黒魔術」の完成となったのだろう。

2.「音速の貴公子」「雨のセナ」 アイルトン・セナ

「音速の貴公子」と名付けたのは、もちろん古舘伊知郎だ。
プロストとはあまりにも対照的な好印象100%のニックネーム。
それは、単に古館がセナ好きだからである。

たしかに、プロストも人間的には品行方正とはいえず、いろいろと問題があるのも否定しない。
しかし、日本では好感度抜群で伝えられたセナはもまた、F1史上屈指のエゴイストであり、問題児である。
なのに、この差は…プロストファンの私は納得がいかない。

だが、当時のF1の主役は間違いなくセナであり、No.1ドライバーがセナであることは認めざるをえない。
特に「雨のセナ」と呼ばれたように、マシンの性能差がなくなる雨で濡れた路面になると圧倒的な走りを見せつけた。
天才アイルトン・セナには、やはり「音速の貴公子」というキャッチコピーがよく似合う。


アイルトン・セナ~音速の彼方へ [DVD]

3.「荒法師」「俺を誰だと思ってるんだ走法」 ナイジェル・マンセル

標題が示すように、豪快で少々荒っぽいドライビングが特徴のマンセル。
プロストの「勝ちゃいいんだろう走法」もだが、「俺を誰だと思ってるんだ走法」も笑ってしまう。
個人的には「荒法師」が一番しっくりくる。

若い女性の熱い視線を受けたのがセナならば、男性に人気があったのがマンセルだったと記憶する。
ちなみに、イケイケのセナとマンセルは、コース上でしょっちょう揉めていた。

そして、マンセルといえば、大事な場面でのポカである。
そのことで、ワールドチャンピオンを逃し続けた。
しかし、1992年ウィリアムズ・ルノーで、ついに念願のワールドチャンピオンの座を射止めた。
自慢の腕力でハイテクマシンのウィリアムズ・ルノーFW14Bをねじ伏せ、年間9勝を挙げた走りは圧巻だった。


N・マンセルのあばよ!F1―これを語らずにF1マシンは降りられない!

4.「私生活のワールドチャンピオン」 ゲルハルト・ベルガー

「F1住所不定男」ネルソン・ピケと並ぶ、F1界の女たらしことゲルハルト・ベルガー。
数ある古館語録の中でも、お気に入りの一つがこの「私生活のワールドチャンピオン」である。

さすがは好色一代男ベルガー。
元フジテレビの女子アナ・有賀さつきをナンパしたことでも有名だ。
「スピードと快楽のシンドバッド」の異名は伊達ではない。

私がベルガーで思い出すのは、彼の娘とのエピソードである。
あるパーティでベルガーは、娘の服装に目を丸くする。
まだ10代にもかかわらず、超ミニスカートのド派手な姿で現れた。
すると、ベルガーは「なんて恰好をしているんだ!全く…誰に似たんだ!」と憤る。

会場に居合わせた全ての人が、心の中で突っ込んだ。

「お前だよっ!!」

5.「アビニョンのハマコー」「一人ダイ・ハード」 ジャン・アレジ

ジャン・アレジは、“ゴクミ”こと後藤久美子と事実婚の関係になったことで知られる。
フランスのアビニョンで生を受けたアレジは熱い血をたぎらせ、“赤い跳ね馬”フェラーリでコースを疾駆した。
その直情的な性格はしばしばレースでも見られ、すかさず古舘伊知郎は「アビニョンのハマコー」と名付けてしまう。

そんなアレジは才能にあふれ、その走りは多くのファンを惹きつけた。
とりわけデビュー2年目、アメリカグランプリでのセナとのバトルは天才同士のみがなしえる、魂と信頼のサイドバイサイドであった。

6.「スピードのマフィア」 フラビア・ブリアトーレ

今度はドライバーではなく、ベネトンの監督としてミハエル・シューマッハとともに栄華を極めたフラビア・ブリアトーレである。

約190㎝の大きな体でサングラスをかけながら、我が物顔でサーキットをのし歩く強面。
その姿は、古館ならずとも「スピードのマフィア」を思わせた。

そして、世界的スーパーモデルのナオミ・キャンベルとも浮名を流すなど、さすが「スピードのマフィア」は女性関係も派手である。

7.「顔面バッキンガム宮殿」 マーク・ブランデル

大英帝国が生み出したF1ドライバー、マーク・ブランデル。
そんな彼は古舘伊知郎に「走るビッグベン」と呼ばれたことからも、おそらく「顔面バッキンガム宮殿」もイギリス人というのが理由だろう。
だって、マークの顔は全然バッキンガム宮殿に似ていない…。

このマーク・ブランデルのチームメイトとして“F1 300㎞劇場”を共に駆け抜けたのが、マーティン・ブランドルであった。
ほとんど同じ名前で、しかも同僚とは紛らわしいにも程がある。
アナウンサー泣かせの両名に古館は、「F1界の峰竜太と竜雷太」と秀逸なるネーミングを付けるのであった。

8.「ターミネーター走法」「史上最強の若造」 ミハエル・シューマッハ

数々の偉大な記録を打ち立て、「皇帝」と呼ばれたミハエル・シューマッハ。
信頼性にかけるマシンを開発し、見事フェラーリを復活に導いた。

だが、若き日に古館が名付けたニックネームが印象に残る。
「ターミネーター走法」は抜群の体力に裏打ちされた走りが、不死身のターミネーターを思わせることが由来であろう。

また、「史上最強の若造」は全くもってその通りである。
私見を申せば、「史上最強の若造」はシューマッハと将棋の藤井聡太が双璧だ。


皇帝ミハエル・シューマッハ―フォトドキュメント

9.「フライング・フィン」「ラップランドの狼」 ミカ・ハッキネン

白夜の国の王子様ことミカ・ハッキネンは、フィンランド出身のワールドチャンピオンである。
若き時代から、同僚のセナを予選タイムで上回るなど速さには定評があった。

個人的に北欧の人は素朴な人柄が多い気がするが、ハッキネンもまた同様である。
かつてセナが語ったように、F1はエゴの世界である。
そう意味では心優しいハッキネンは、珍しいタイプのチャンピオンといえるだろう。

デビューして間もなくは、美しい顔立ちだったハッキネン。
F1の世界で揉まれるにつれ、顔つきが徐々に変遷していった。
それだけF1という世界の厳しさが、垣間見えるようだった。

10.「振り向けばブーツェン」「忘れた頃のブーツェン」 ティエリー・ブーツェン

インテリジェンスで堅実な走りといえば、ブーツェンであろう。
レースが荒れ、上位陣が崩れる中、ブーツェンは安定した走りを続けていく。
その結果、いつの間にかポイント圏内に顔を出すのである。

存在感あふれない、地味なブーツェンに古館はようやく気付くとこう言った。

「振り向けばブーツェン」と。

11.「F1エキゾチックジャパン」 鈴木亜久里

「F1エキゾチックジャパン」「走るメンズノンノ」と呼ばれたのが、日本グランプリで表彰台に上がった鈴木亜久里である。
笑っていいとも!の特番で明石家さんまが、オグリキャップと鈴木亜久里を足して2で割った「鈴木オグリ」で盛大にスベったことも懐かしい。

鈴木亜久里といえば、何と言ってもリタイアした時の言い訳である。
たしかに、マシンの信頼性が低かったのは認めるが、明らかに自分のミスでも“ギアボックス”のトラブルのせいにする。
ある時からは完全にお家芸と化し、リポーターの川合ちゃんに聞かれる前に自ら「ギアボックス!」と宣わり、何かをやり遂げた雰囲気を醸し出していた。

月曜日の朝、友人は私と目が合うと、すかさず近づいて来る。
もちろん、挨拶代わりに私はこう言った。

「ギアボックス~!」

12.「錆びない鉄人」「史上最強のセカンドドライバー」 リカルド・パトレーゼ

長年、最多出走記録、連続出走記録を保持していたリカルド・パトレーゼ。
まさに「錆びない鉄人」にふさわしい名ドライバーである。
加えて、古館が命名した百戦錬磨ならぬ「二百戦練磨」がユニークだ。

マンセルやシューマッハとコンビを組み「史上最強のセカンドドライバー」とも称される。
まさしく“いぶし銀”“職人”ともいうべき、渋いドライバーだった。

私は、ベネトン時代に表彰台に上がったパトレーゼのスピーチが忘れられない。
チームがシューマッハを優遇する中、パトレーゼはチームスタッフの名前を一人ずつ挙げていき、感謝の言葉を述べていく。

苦労人の趣を湛えるパトレーゼの真骨頂を見た気がした。

まとめ

他にも「妖怪通せんぼジジイ」ルネ・アルヌー、「ローマの野良犬」アンドレア・デ・チェザリス、「F1貴花田」クリスチャン・フィッティパルディなど、枚挙に暇がない。

よくもまあ…次々と編み出したものだと、今さらながら感心する。
それだけ個性派のF1ドライバーが揃っていたのだろう。

古舘伊知郎とF1中継。
バブルという季節を彩る風物詩であった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする