先日、“男子テニス界の英雄”ロジャー・フェデラーが引退を表明した。
さすがのフェデラーも41歳を迎え、近年は故障続きで以前のパフォーマンスを発揮できなくなったこともあり致し方ない。
だが、個人的には本当に残念でならない。
いや、私だけでなく、世界中が一抹の寂しさを隠せない。
ロジャー・フェデラーこそ、史上最高のプレーヤーといえるだろう。
たしかに、グランドスラム大会の優勝回数ではフェデラー20回に対し、ジョコビッチ21回、ナダルに至っては22回にも及ぶ。
だが、歴代最多のツアー通算111勝、世界ランキング1位は237週連続を含む310週と、いずれも最長記録を保持している。
そして、優雅で品格を感じさせるプレーに加え、素晴らしい人間性は世界中から絶賛され、多くのファンやプレーヤーから尊敬の念を集めていた。
さらに言うならば、テニス界の枠を越えたアイコン的存在と呼んでも差し支えない。
そんな偉大なるテニスプレーヤーが、ロジャー・フェデラーなのである。
ロジャー・フェデラーとは
前述したように、輝かしい実績に彩られたフェデラーは1981年8月8日にスイスで生を受ける。
フェデラーはジュニア時代も世界ランキング1位を獲得していたが、プロ入り後、その存在を世に知らしめたのはウィンブルドンでの“芝の王者”ピート・サンプラス戦である。
直近の8年間で7度ウィンブルドンを制覇していたサンプラスを、フルセットの末に破ったのだ。
新しい時代を予感させる、そんな戦いであった。
2003年に初のグランドスラム制覇となるウィンブルドンで優勝を遂げると、ロジャー・フェデラーの破竹の快進撃が始まった。
翌年に世界ランキング1位の座につくと、3年連続で勝率9割越えを達成するなど、絶対王政を築いていく。
中でも、出色はビヨン・ボルグ以来となるウィンブルドン5連覇であろう。
以後、ウィンブルドンでは歴代最多となる8回の優勝を飾った。
フェデラーのプレースタイルは、一言でいうとオールラウンドプレーヤーといえるだろう。
200㎞を超えるサーブ、そつのないボレー、シングルハンドながら強力かつ多彩なショットを打ち分けるバックハンドなど、どれも穴がない。
特に、優雅で美しいフォアハンドは史上最高との誉れ高い。
そして、プレーだけでなく、コート上での立ち居振る舞いも美しい。
勝って驕らず、常に謙虚さを湛え、ときに悲嘆に暮れる敗者に寄り添う温かさも見せる。
また、敗れてなお相手への称賛を惜しまず、ひとり静かに敗北の蹉跌を受け止める。
そんな姿がファンの心を掴むのだろう。
ラファエル・ナダルとの物語
優雅なプレーの極致がロジャー・フェデラーならば、力感あふれる筋肉のパフォーマンスというべきがラファエル・ナダルであろうか。
攻めては強烈な重いトップスピンで相手を圧倒し、守っては驚異の脚力で縦横無尽にコートを駆け回る。
フェデラーにとってナダルは親友にして素晴らしきライバルだが、若かりし頃から天敵でもあった。
フェデラーの全盛期、ナダル得意のクレーコートでの試合が多かったとはいえ、大きく負け越していた。
ただ、フェデラーが得意とするウィンブルドンでは2年連続決勝でナダルを破るなど、要所ではさすがフェデラーを思わせた。
だが、2008年にはウィンブルドン6連覇を阻まれ、以降、ナダルはフェデラーを圧倒していく。
そんなライバルのふたりだが、晩年になりフェデラーが盛り返す。
一時は10勝23敗と大きく水を開けられていたフェデラーは、大怪我からカムバックした2017年全豪オープン決勝でフルセットの末ナダルを倒し、奇跡の復活優勝を果たす。
晩年は、フェデラーが6勝1敗と圧倒し、通算対戦成績は16勝24敗と相成った。
名勝負
フェデラーとナダルのライバル対決で、私が心に残る名勝負が3試合ある。
そのいずれもが、永遠に語り継がれるような手に汗握る熱戦だった。
1. 2007年ウィンブルドン決勝
前年の決勝でナダルを破り、大会4連覇を達成したフェデラー。
そして、5連覇がかかる2007年決勝も、相対するのはラファエル・ナダルであった。
同年の全仏オープンの決勝では、セットカウント3-1で“土の絶対王者”ナダルに軍配が上がる。
とはいえ、フェデラーの庭ともいえる芝のサーフェス・ウィンブルドンでは、“芝の王者”の5連覇が濃厚と思われた。
ところが、試合が始まると両者一歩も引かず、固唾を呑むようなラリーが続いていく。
私には、むしろナダルの方が若干優勢に見えた。
フルセットまでもつれ込んだ白熱の攻防は、最終セット底力を見せたフェデラーに紙一重の差で凱歌が上がった。
その瞬間、ビヨン・ボルグ以来の5連覇が達成される。
そして、私が非常に感慨深かったのが、そのビヨン・ボルグがセンターコートの観客席で見つめていたことだ。
齢50を越えて、なおカリスマ性を漂わせるボルグの佇まい。
その眼前で偉業を成し遂げたフェデラーの雄姿。
試合内容もさることながら、これほどの役者が揃ったことが大会に更なる権威と彩りを与えたように思う。
2. 2017年全豪オープン決勝
それから10年の歳月を経て、再びメルボルンの地で雌雄を決するふたり。
私がこの大会に思い入れがあるのは、フェデラーが奇跡の復活を遂げた舞台だからである。
30代の大台に乗ったフェデラーはここ数年、ツアー優勝こそするものの、グランドスラムの檜舞台での栄光からは遠ざかっていた。
そんな中、2016年、フェデラーの選手生命がピンチを迎えた。
シーズン序盤から怪我に悩まされ、ついに試合中の怪我により長期休養に追い込まれる。
膝を手術することになり、ウィンブルドンの大会終了後、2016年シーズンの全試合欠場を決断する。
こうした経緯のもと、苦しいリハビリを乗り越え、フェデラーが全豪オープンに戻って来た。
しかも、公式戦の復帰初戦がグランドスラム大会という、ぶっつけ本番なのだ。
正直、35歳という年齢もあり、フェデラーの復活は不可能だと思っていた。
にもかかわらず、タフな試合を際どく勝ち上がり、決勝に進出する。
ロジャー・フェデラーという英雄の偉大さに、胸が熱くなったのは私だけではないはずだ。
とはいえ、相手は天敵ナダルである。
フェデラーの快進撃もここまでかと思われた。
ところが、蓋を開けると、フェデラー優勢で試合が進んでいく。
とても、休み明けの選手とは思えない。
だが、第4セットを奪われフルセットに持ち込まれ、最終セットも先にブレイクを許す。
試合の流れからしても、万事休すといった雰囲気が会場を支配した。
ところが、どうだ!
そこから不死鳥のように甦ったロジャー・フェデラーは、ここ一番の集中力でスーパーショットを放ち、逆にナダルのサービスゲームを立て続けにブレイクする。
すると、観客の割れんばかりの大歓声が、フェデラーの背中を後押しする。
そして、ついに奇跡の瞬間が訪れる。
ロジャー・フェデラーのフォアハンドが一閃すると、オンラインのショットが決まった…。
実に2012年ウィンブルドン以来となる、18度目のグランドスラム大会での優勝であった。
3. 2019年ウィンブルドン準決勝
ロジャー・フェデラー37歳とラファエル・ナダル33歳。
そのふたりが、2019年ウィンブルドン準決勝で激突した。
同大会では11年ぶりに相まみえ、両雄による最後の対決となった。
久しぶりに、ナダルの試合を観て驚いた。
サーブのスピードが、飛躍的に上がっていたのである。
30歳を越えて、さらなる進化を遂げるラファエル・ナダル。
只々、脱帽である。
序盤からつばぜり合いを繰り広げる試合展開に、「ああ…やっぱり、ふたりの試合だな…」と妙に感傷に浸ってしまう。
相変わらず、優雅なテニスが健在のフェデラーに対し、自慢の脚力で拾いまくるナダル。
まるで様式美のように普段どおりのプレーに没頭する、偉大なテニスプレーヤーたちに、私は深い感銘を覚えた。
結果は、フェデラーがセットカウント3-1で勝利する。
勝負は時の運ともいう。
この試合も紙一重の戦いであった。
ロジャー・フェデラーとラファエル・ナダル。
テニス史に残る好敵手の物語が完結した。
最後の勇姿
宿命のライバル・ナダルを倒し、2019年ウィンブルドン大会決勝に進出したフェデラー。
9度目の戴冠を目指して対するは、ノバク・ジョコビッチである。
そして、この一戦がロジャー・フェデラー最後のグランドスラム大会決勝となった。
立ち上がりの第1セット、タイブレークを制しジョコビッチが取った。
激闘の予感が走る中、両者譲らず、フルセットにもつれ込む。
ファイナルセットに入ると、ジョコビッチが先にブレイクを果たすも、フェデラーも負けずにブレイクし返す。
5-5、6-5、6-6、7-6、7-7…いつ果てるともなく続く死闘。
そして、鳴りやまぬ大歓声。
第15ゲーム、ついにジョコビッチのサービスゲームを破り、8-7とフェデラーがリードする。
続く第16ゲーム、サービスエースを連発し、40-15とダブルマッチポイントを迎えるフェデラー。
誰もが、フェデラーの9回目のウィンブルドン制覇を確信する。
ところが、そこから4連続ポイントを奪いジョコビッチがブレイクする。
ノバク・ジョコビッチの信じられない底力!
あるいは、ふたりの死闘を永遠に見ていたい、テニスの神様の思し召しなのかもしれない。
結局、12-12となったところで規定により、タイブレークに突入する。
そして、本日3度目のタイブレークを制したのは、この試合全てのタイブレークに競り勝ったジョコビッチだった。
この試合は、フェデラーファンの私には悔しい結果となったが、それ以上に深い感動が上回った。
それは二人の戦いに技と体、そして何よりも究極のスピリットを見たからである。
勝敗を超越した究極の試合を観戦できた幸運に感謝したい。
まとめ
ロジャー・フェデラーとライバルたちが紡いだ、心技体の全てと人間の可能性を我々に示した究極の戦い。
それは、コート上で表現された人間賛歌といえるだろう。
息詰まる緊迫感の中、ファミリーボックスで祈りを捧げながら、固唾を呑んで見守る家族やコーチたち。
その祈りを力に変え、己の全てを出し切り戦い抜く選手たち。
そこには勝者も敗者もなく、ただ勇者のみが存在する。
大怪我や不調を乗り越えて、年齢の壁をも克服し、挑み続けたロジャー・フェデラー。
莫大な富と栄光を掌中に収めた彼を、そこまで駆り立てたものとは一体何なのだろう。
それは限りないテニスへの愛情と、痺れるような真剣勝負の醍醐味ではないか。
「何十年という長い年月、同じ姿勢で同じ情熱を傾けられることが才能ではないか。そして、何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続することこそ、私は才能だと思っている」
この箴言は羽生善治永世7冠が語った才能の定義である。
ロジャー・フェデラーがテニスに傾けた情熱を見るたび、なぜかこの言葉を思い出すのだった。