「鉄人」衣笠祥雄 ~人を想い 人に寄り添うジェントルマン~





“赤ヘル打線”と称された広島の主軸を担う衣笠祥雄(きぬがさ さちお)は、どんなボールもフルスイングする迫力満点の打者だった。

私が衣笠で印象に残っているのは、後楽園球場で行われたデイゲームのことである。
あれは、たしかゲームの中盤で、ピッチャーはこの日絶好調の江川卓であった。
落差のあるカーブが外角低めに決まり、衣笠は泳ぎながらバットの先でボールを払った。
平凡なセンターフライかと思いきや、グングン伸びた打球はフェンス間際まで飛んで行く。
結局、アウトになったが、あのときの衣笠のパンチ力には幼心に度肝を抜かされた。

それ以来、巨人ファンだった私だが、“スラッガー”衣笠祥雄から目が離せなくなっていった。

衣笠祥雄とは

衣笠祥雄は1947年1月18日に京都府で生まれた野球選手である。
平安高校時代はキャッチャーとして甲子園にも出場した。

高校卒業後は広島東洋カープに入団し、キャッチャーから一塁手に転向した後、サードにコンバートされる。
以後、カープ不動の三塁手として山本浩二と共にチームを牽引し、身長175㎝、体重70㎏台前半の小柄な体ながら、セリーグを代表する強打者として鳴らした。
通算安打は“世界の盗塁王”福本豊と並ぶ歴代5位タイの2543本、ホームランも張本勲と並ぶ歴代7位タイの504本塁打を数える。

だが、なんと言っても衣笠の最も偉大な記録は連続試合出場記録である。
ルー・ゲーリックが持つ当時の世界記録2130試合連続出場を更新すると、最終的には2215試合まで伸ばした。
足掛け18年にも及ぶ衣笠の記録は大リーグのカル・リプケンに破られはしたものの、日本プロ野球史に偉大な足跡を残したといえるだろう。

こうした実績が認められ、王貞治に続く2人目となる国民栄誉賞を受賞し、現役時代の背番号「3」は永久欠番となった。


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生い立ちと飛躍のきっかけ

私が初めて衣笠を見た時、その日本人離れした風貌に圧倒された。
それもそのはず、父親がアメリカ軍の黒人兵士というハーフだったのだ。
父はアメリカに帰還してしまったため、衣笠は一度も顔を見たことがないという。
それどころか、母親思いの衣笠は父のことを尋ねたことさえないと語っている。

衣笠には夢があった。
野球で大成し、アメリカに戻った父に会いに行くのだと。
そのために、野球の合間に英語の勉強をしたりもした。

しかし、入団したての頃の衣笠は、必ずしも品行方正とはいえなかった。
プロの壁にぶち当たり、捕手として大切な肩も怪我してしまい、気持ちが荒んでいく。
その憂さを晴らすため、外国車を乗り回す日々を送った。
当時は、先輩達でさえ国産車を乗る選手がほとんどの中、新人の分際でアメリカ車を乗る衣笠は異端児であった。

そして、毎晩のように宿舎の窓から脱走し、夜の街に繰り出した。
私生活の乱れぶりに、教育係の先輩から小言をもらったのも1度や2度ではない。

そんな衣笠に転機が訪れる。
それは、入団2年目の夏だった。
その日も衣笠は、アメリカ兵たちと仲良くなったジャズクラブで飲み明かしていた。

すると、米兵のひとりが呟いた。

「ベトナムに行くので、明日から俺はここにいない。もう生きて会うことはないだろう…」

当時、アメリカは泥沼化していくベトナム戦争の真っ只中であった。
自分と同年代の友の言葉に、衣笠は頭を鈍器で殴られたようなショックを受ける。

「彼らは命を懸けて任務に向かうのだ。それに引きかえ、自分は楽しみながら野球をできる環境に恵まれている。こんな幸せなことはないじゃないか!」

好きな野球をできる感謝と幸運。
初心に帰った衣笠は、それこそ命を懸ける気持ちで野球に打ち込んだ。


心優しき野球人

昭和のプロ野球選手は英雄豪傑ぞろいで、一癖も二癖もある者も少なくなかった。
それこそ、震えあがるほど怖い先輩も星の数ほど存在した。
こうした時代背景の中、生前の衣笠を語るとき、皆一様に声をそろえて言うのは “本当に優しかった”ということだ。

とりわけ衣笠祥雄といえば、打者としての品格が挙げられるだろう。

ガッツ溢れる衣笠は、ボールを恐れず踏み込んでいく。
なので、必然的にデッドボールを受けやすく、通算161死球は歴代3位である。
だが、デッドボールを当てられても、衣笠祥雄は決して怒らない。
それどころか、左手をサッと挙げ、「大丈夫だから」という態度で一塁に歩いていく。

私は子ども心に、この衣笠祥雄の振る舞いに感嘆した。
野球のボールは非常に硬く、石礫のような球が時速140㎞以上で打者に向かって来る。
自打球が当たり、足首や足の甲を骨折することもある。
一説によると、その衝撃は砲丸の鉄球を勢いよく落とすのにも匹敵するという。
そんなボールを頭や顔面付近に投げられれば、バッターが激高するのは当然だ。
おそらく、あれほどの紳士的態度を全うしたのは、球史で衣笠祥雄が唯一無二だろう。

衣笠を語る上で、欠かせないエピソードがある。
広島対巨人の試合で、巨人の先発は西本聖だった。
7回裏の広島の攻撃を迎えると西本は制球を乱し、二人の打者にデッドボールをぶつけてしまう。
殺伐とした空気の中、バッターボックスには連続試合出場記録を続ける衣笠が入った。
シュートピッチャーの西本は臆せずインコースを攻めていく。
すると、あろうことか衣笠の肩甲骨を直撃し、骨折させてしまったのだ。

勢い、広島ベンチは黙ってなく、両軍総出の大乱闘となる。
西本は慌てて衣笠の傍に駆け寄り、謝罪した。
激痛で倒れ込む衣笠は、西本を気遣いながら言った。

「俺は大丈夫だから…それより、危ないからベンチに下がれ」

野球選手は、やるかやられるかの気迫を漲らせグラウンドに立っている。
デッドボールは下手をすれば命にかかわりかねず、その後遺症で選手生命を絶たれる場合もある。
にもかかわらず、衣笠のスポーツマンシップには言葉もない。

これで終わらないのが、「鉄人」衣笠祥雄の真骨頂である。
翌日の試合、誰もが衣笠の出場を諦めていた。
だが、ただ一人、不屈の闘志を燃やす男がいた。
その男・衣笠祥雄は代打で登場すると骨折もなんのその、目一杯のフルスイングを披露する。
結果は3球とも空振りに終わったが、巨人ベンチのみならず巨人ファンからも大きな拍手が起こる感動的な光景だった。

そして、衣笠は試合後、全ての野球ファンの心震すコメントを残す。

「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のためスイングしました」

「鉄人」衣笠祥雄。
その真の意味するところは体の強さだけでなく、心の強さにこそ与えられるべき称号だ。

江夏の21球

日本シリーズ史上に残る名場面といえば“江夏の21球”を抜きに語れない。
それは1979年の広島対近鉄の最終第7戦9回裏に起こった。

広島のリリーフエース・江夏は先頭バッターにヒットを許すと、味方のエラーなどもあり無死満塁の絶体絶命のピンチに陥った。
ここまで4-3と広島が1点リードしているとはいえ、一打出ればサヨナラ負けであり、この回を同点で凌げれば御の字という苦しい場面である。
いかに百戦練磨の江夏といえども、最終決戦の土壇場9回、負ければ日本一が露と消えるこれほどの修羅場は経験したことがない。

ただでさえナーバスになる江夏のプライドを打ち砕く、さらなる追い打ちが待っていた。
なんと、江夏の視界にブルペンで投球練習をするピッチャーの姿が飛び込んで来たのだ。
これまでチームの守護神として最後のマウンドは誰にも譲らなかった自分に対し、救援投手を用意する首脳陣に怒りの炎が燃え上がった。

「自分を信用していないのか」と。

そんな江夏に対し、押せ押せの近鉄は代打の切り札を送った。
前年の首位打者にして、今シーズンも好調をキープする“左殺し”佐々木恭介である。
カウント1-1から佐々木が打った打球は三塁線を襲ったが、際どくファールとなる。

すると、そのタイミングで衣笠がマウンドに歩み寄り、江夏の目を見ながら語りかける。

「俺もお前と同じ気持ちだ。もしお前に何かあったら、俺も一緒に辞めてやる」

江夏の悔しさを我がことのように感じ、真摯に気持ちを伝えた衣笠祥雄。

この励ましで、江夏の心は吹っ切れた。
そして、後続を神がかり的な投球で抑え、チームを初の日本一に導いた江夏豊はこの日伝説へと昇華する。

このときのことを江夏は述懐する。

「あの言葉は本当に嬉しかった。あの場面、誰もが自分のことで一杯一杯だった。あの異様な雰囲気の中で、同じグラウンドに立つ人間の気持ちを読み取るのは至難の業だ。逆の立場だったら同じことができたか…自信がない」

そして、江夏は噛みしめるように言葉を継ぐ。

「衣笠は本当に素晴らしい友人だった。人一倍、中身の濃い付き合いをできたと思う」

江夏は毎年、4月23日になると衣笠を思い出す。
その日は、2018年に旅立った盟友の命日なのである。

 “江夏の21球”には、衣笠祥雄との物語が欠かせない。


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まとめ

私には、忘れられない衣笠祥雄の言葉がある。
それは、連続試合出場の世界新記録を樹立した際に語ったものだった。

「いつか、誰かにこの記録を破ってほしい。この記録の偉大さを理解できるのは、その人だけだろうから」

高き山を登る険しさは、踏破した人にしか分からない。
そして、その場所に立たなければ、決して見えない景色がある。

衣笠祥雄の口から紡がれた箴言は、そんなことを思わせた。

人を想い、人の心に寄り添った野球人・衣笠祥雄。
偉大な記録のみならず、その人柄にも敬意を表したい。

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