1985年の掛布雅之 ~バースが感謝した日本一の4番打者~





「掛布。君という日本一の4番打者が後ろにいたお陰で三冠王を取れた。ありがとう」

これは阪神が日本一に輝いた1985年のオフシーズン、ランディ・バースが掛布に送った言葉である。

この言葉の意味するものを、掛布雅之の述懐をもとに紐解いていく。

1985年の阪神タイガース

この年の阪神はまさに猛虎打線の名にふさわしい、恐るべき破壊力を誇っていた。
特に、甲子園バックスクリーン3連発を放ったバース、掛布、岡田は史上最強のクリーンアップトリオといえるだろう。

3番バース 打率.350 本塁打54 打点134 ※三冠王
4番 掛布 打率.300 本塁打40 打点108 ※130試合フル出場
5番 岡田 打率.342 本塁打35 打点101 ※打撃3部門でキャリアハイ

加えて、3人とも出塁率が4割を超えている。
さらに1番真弓も打率.322 本塁打34 打点84と、先頭打者で30本越えのホームランなど俄かには信じられない。

野球は基本的に、投手陣を軸とした守備力が高いチームが勝ちやすい。
打線は水物だからである。
しかし、この年の阪神は従来の常識を打ち破る猛虎旋風を巻き起こした。

1985年の掛布雅之

先で述べたように成績を見れば分かるのだが、掛布自身も4番として恥じぬ成績を残している。
だが、それ以上に印象に残るのはチームのために腐心した姿である。

そのシーズンは、開幕前から岡田が絶好調だった。
5番バッターの岡田を生かすには、その前を打つ掛布の立ち回りが鍵となる。
安易に凡打するのではなく、フォアボールでもいいから岡田に繋ぐ姿勢を見せたのだ。
その証拠にリーグ最多となる94個のフォアボールを選んでいる。

そして、3番バースが打ちまくった要因は岡田と同じく調子が良かったことに加え、3年目となり日本の投手に慣れてきたことも大きかったことだろう。
だが、後ろに強打を誇る掛布が控えていたからこそ、相手バッテリーはバースと勝負せざるを得なかったのである。
ランナーを溜めて、掛布に回す訳にはいかないからだ。

そして、もう一つ。
掛布は1981年から本年まで、全試合出場を果たしている。
4番と言えばチームの顔であり、中心となる存在だ。
常に矢面に立たされる厳しい立場だけに、不動の4番として常に試合に出続けること即ち、チームに安心と安定をもたらすのである。

日本一の4番打者

私には実際の成績ほど、掛布の活躍がそこまで目立ったようには見えなかった。
もちろん、バースが凄すぎたこともあるだろう。
岡田がキャリアハイの成績を残した影響もあるに違いない。

だが、それはチームのために掛布が黒子に徹したことに起因する。
日本一になる1985年以前から阪神は選手のポテンシャルだけを見れば、いつ優勝してもおかしくない力があった。
しかし、どうしてもチームとして機能し、優勝することはできなかった。
掛布は4番としての役割を自問自答する。

「開幕前から岡田もバースも調子が良い。そんな中で4番を打つ自分に何ができるのか…」

そうこうするうち、掛布はある結論に達した。

「好調なバースと勝負させるよう仕向けなければならない。そのためには40本前後のホームランを打ち4番の存在感を示さなければならない。そして、岡田は輪をかけて絶好調だ。なので、フォアボールでもいいから出塁し、岡田の前にランナーを溜めれば得点源となる」

私は思わず唸った。
4番といえば、自分で勝負を決めるバッティングをするのが常だろう。
だが、掛布は個を優先することを捨て、チームを活かす潤滑油としての役割を全うしたのである。
その上で自らが課したノルマであるホームラン40本、そしてフォアボールもリーグ最多を記録した。

優勝の要因を訊かれた吉田監督はかく語る。

「うちには日本一の4番がいますから」

バースでも岡田でも真弓でもなく、真っ先に4番・掛布を挙げたことが素晴らしい。


阪神タイガースの奇跡(1985年 感動劇の舞台裏)

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