忘れ得ぬオリンピック名勝負の記憶④
「ナミビアの求道者」フランク・フレデリクス




私が初めて陸上競技をテレビで観たのは、ロサンゼルスオリンピックのことである。
以来、数多の英雄達が名勝負数え唄を繰り広げてきた。

昨年の東京オリンピックに引き続き、今年の夏もオレゴンで世界陸上が開催された。
メインキャスターはご存知!織田裕二である。
学生時代、深夜アルバイトの休憩時間に元アスリートの先輩と堪能した世界陸上。
そこにはいつも、心から競技を楽しむ織田裕二の姿があった。
25年間、世界陸上の顔として活躍してきた彼が今大会で勇退するという。
先日も、全英オープンゴルフ中継に長年携わってきた、青木功と戸張捷の卒業が報じられたばかりである。
なんとも残念でならない。

織田裕二のラストランを目に焼き付けるうち、寂寥の念が募ってきたのだろう。
ふと、今も忘れ得ぬ名スプリンターの記憶が甦る。
その選手とは、“ナミビアの鉄仮面”フランク・フレデリクスである。


フランク・フレデリクスとは

フランク・フレデリクスは1967年10月2日にナミビアで生まれた陸上選手である。
1990年代に短距離種目で活躍し、五輪ではバルセロナとアトランタの2大会連続で100・200mの銀メダルを獲得した。

筋骨隆々としたスプリンター達の中に入ると、身長180㎝体重70㎏あまりのフレデリクスは細身に映った。
また、レース中、常に冷静でポーカーフェイスを崩さぬ姿から“ナミビアの鉄仮面”の異名をとる。

当時の男子短距離界は、まだカール・ルイスも健在で、マイケル・ジョンソンやドノバン・ベーリーなどの世界記録保持者が活躍する、豪華絢爛な陣容を誇っていた。
そんな目白押しのスーパースターの中にあって、フレデリクスはそれほど目立つ存在ではなかったように思う。

だが、いつの間にか、私はフランク・フレデリクスを応援するようになっていた。
スタート直前になると肉食獣のような闘争心を剥き出しにする他の黒人選手とは異なり、まるで修行僧のような静かな佇まいでレースに集中する姿が印象に残ったのだ。
その徳を感じさせる穏やかな表情は、ただただ己との戦いに没入しているようにも見えた。

さらに、フレデリクスは人柄も素晴らしかった。

競技人生の後半に差し掛かったとき、フレデリクスは語った。

「これからは故郷ナミビアのために尽力したい」

実際、フレデリクスは若手選手の育成だけでなく、貧困層の人々などにも惜しみない支援を送っている。
温厚篤実なフレデリクスの人間性は多くの人々に慕われた。

そして、私が“ナミビアの英雄”に心から敬意を払うのは他にも理由がある。
多くの競技連盟に体質的な問題があるように、選手達からすればIAAF(国際陸上競技連盟)に思うところがあるようだった。
しかし、ほとんどの選手は問題点を声高に発言しない。
ドーピング検査などで、IAAFに睨まれたくないからだ。
ところが、フレデリクスはIAAFに対しても正論で物申した。
私には、彼の言動は自らにやましさがない証明に感じたのである。

このように、現役時代のフレデリクスはアスリートとしてのみならず、人としても素晴らしかった。

アトランタオリンピック

バルセロナオリンピックで、2つ銀メダルを手にしたフレデリクス。
続くアトランタ大会で、悲願の金メダルに挑んだ。

まず100mに登場すると、順調に決勝進出を果たす。
ところが、決勝レースでハプニングが起こる。
前回大会優勝者リンフォード・クリスティがフライングで失格になってしまったのである。

波乱含みの展開の中、スタートの号砲が鳴る。
スタートダッシュを決めたアト・ボルドンが先頭を走る。
レース中盤に差し掛かり、フランク・フレデリクスが追いすがる。
すると、後方にいたドノバン・ベーリーが怒涛の追い上げを開始する。
ゴール前、一気に抜き去ったベーリーが金メダルに輝いた。
タイムは9秒84…世界新記録である!

2位に敗れたフレデリクスも、従来の世界記録に0.01秒差の9秒86でフィニッシュした。

そして、200m決勝。
結果、フレデリクスは世界記録に0秒02差に迫る19秒68を叩き出す。
ところが、優勝候補筆頭マイケル・ジョンソンが19秒32でゴールしたのだ。
世界記録を0秒34も更新しての金メダルであった。

こうして前回に引き続き、フレデリクスの挑戦は両種目とも銀メダルに終わった…。


悲運のシルバーコレクター

100m決勝。
敗れたとはいえ、世界記録に0.01秒差に迫るパーソナルベストを出したフレデリクスは、会心の走りを見せたといえるだろう。
だが、如何せんドノバン・ベーリーが強すぎた…。
終盤に見せつけた驚異の加速力は、まさにエンジンが違うとしか喩えようがない。
レース終了後、互いを認めるベーリーとフレデリクスは抱き合い、健闘を讃え合う。
世界新記録の前に屈しながらも、自分がなすべきことをやり遂げたフレデリクスの姿に、私は悔しさと誇らしさが交差する複雑な気持ちを抱いた。

そして、いよいよフレデリクスの本職ともいえる200mである。
期待が高まるが、この種目にはマイケル・ジョンソンという絶対王者が控えていた。
五輪直前のゴールデンリーグで本種目に敗れ、連勝記録が21でストップしたものの、圧倒的な優勝候補筆頭である。

しかし、私はフレデリクスにも少しはチャンスがあるのでは?と微かな希望を持っていた。
なぜならば、マイケル・ジョンソンの連勝をストップした選手こそ、フランク・フレデリクスその人なのである。

決勝レースが始まると、私の希望的観測など忘却の彼方に消え失せた。
マイケル・ジョンソンの走りは、まさに人類未踏のそれだった。
短距離種目で一気に0秒34も世界記録を更新するなど、見たことも聞いたこともない。
マイケル・ジョンソンが出した19秒32というタイムは当時、向こう100年は破られないと言われたのも納得である。
私はテレビの前で脱帽した。

そして、フレデリクスである。
またしても、この夢舞台でパーソナルベスト19秒68を叩き出し、世界記録に0秒02まで迫る渾身の走りは見事の一言に尽きる。
只々、相手が悪かった。

これほどの異次元の記録が出た背景には、やはり直前のレースでフレデリクスに苦杯を喫したことにあるだろう。
尻に火が付いたマイケル・ジョンソンは、間違いなく本気の走りをしたはずだ。
その影響により足を痛めたジョンソンは、予定していたリレー種目を欠場するはめになる。

当時、56連勝を飾るほど絶対的に強かった400mで世界記録が出なかったのは、マイケル・ジョンソンにライバルが存在しないためだった。
ちなみに、ジョンソンの400mの世界記録更新は、1999年の世界陸上セビリア大会まで待つことになる。

フランク・フレデリクスに思う

シルバーコレクターというと、大一番で重圧に負け、実力を発揮できないケースが目に浮かぶ。
しかし、前述したように、フレデリクスに関しては当てはまらない。
最も難しいオリンピックの舞台で、世界記録に肉薄する自己最速タイムをマークした。

私はフランク・フレデリクスを観て思う。
たしかに、彼はオリンピックで金メダルを手にすることはできなかった。
しかし、内なる自分との戦いに勝利した“ナミビアの求道者”は決して敗者などではないのだと。

レース終了後、全力を尽くした清々しい表情を湛えるフレデリクスに、万感の思いが込み上げる。
私はひとり、“素晴らしき求道者”フランク・フレデリクスに拍手した。

まとめ

陸上の華ともいわれる100m及び200mの短距離種目。
人はなぜ、この最も原始的な陸上競技にこれほどまでに惹かれるのだろう。
それは張り詰めた緊張感の中、超人達が爆発的なスピードで疾走する刹那の非日常体験にあるのではないか。
勝負は一瞬の中に真実が存在する。
その醍醐味が凝縮したもの、それが短距離走なのではないだろうか。

陸上の花形種目で一世を風靡した“ナミビアの英雄”フランク・フレデリクス。
往時のトラックを、史上最強のシルバーコレクターは疾風のごとく駆け抜けた。