忘れ得ぬオリンピック名勝負の記憶②
2000年シドニー五輪 男子200m自由形決勝




連日のように、心揺さぶる白熱の戦いが演じられた東京オリンピック。

特に、競泳では“新・水の怪物”ケーレブ・ドレセルが5個の金メダルを獲得し、圧倒的な存在感を示した。
そんな中、カイル・チャルマーズとの激闘を制した100m自由形では、0.06秒差という薄氷の勝利であった。

私はそのレースを見て、20年以上前に繰り広げられた名勝負を思い出すのだった。

男子競泳界のスーパースター

2000年に開催されたシドニー五輪のスーパースターといえば、競泳男子のイアン・ソープをおいて他にいないだろう。
イアン・ソープはオーストラリア出身で1982年10月13日生まれの17歳という年齢ながら、4冠を目指していた。

ソープは1998年の世界水泳において15歳で代表に選出されると、400m自由形で金メダルに輝き、世界のトップスイマーに躍り出た。
以降、10代という若さにもかかわらず圧倒的なポテンシャルで世界の競泳界の頂点に君臨し、破竹の快進撃を続ける。
地元開催の五輪ということもあり、否が応でも4冠制覇への期待が高まるのは当然だろう。

しかし、そんなオーストラリアの国民的英雄の眼前に、オランダからの刺客ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドが現れた。



男子200m自由形

準決勝

ホーヘンバンドは18歳で出場したアトランタ五輪で、100m自由形と200m自由形でいずれも4位入賞を果たし、1999年のヨーロッパ選手権では6個の金メダルを獲得するなど、ヨーロッパを代表する強豪として頭角を現す。
だが、世界的スーパースターのイアン・ソープに比べると知名度も低く、実力的にも劣ると目されていた。
事実、本種目の世界記録もソープが保持している。

そんな両者が200m自由形で激突する。

ところが、それは準決勝で起こった。
なんと、ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドが世界新記録を樹立したのである。

当時の日本のマスメディアはソープ一色であり、ホーヘンバンドの“ホの字も”知らぬ私は驚きを隠せない。

イアン・ソープも、ホーヘンバンドの記録に肉薄する好タイムで決勝進出を果たし、俄然おもしろくなってきた。

決勝

世界記録は破られたものの、私は直接対決ではソープが勝つものだと思っていた。

スタートの合図が鳴ると、並ぶように泳ぐふたり。
50・100・150mのターンでいずれも世界記録を上回ってきた。
イアン・ソープとピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドの両雄は完全に抜け出した。
まさしく一騎打ち、二人だけの世界といった様相を呈している。

ラスト50m、まだデッドヒートを繰り広げている。
オーストラリア国民の大声援が、イアン・ソープを後押しする。

しかし、プールの中ほどに差し掛かると、ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドがリードする。
ソープが徐々に離されていく。

観客の悲鳴が場内にこだまする中、、ホーヘンバンドが突き放し、ゴール板をタッチした。

再び、自らが準決勝で出した世界記録1分45秒35と同タイムを叩き出すピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド。
完全アウェーの大舞台で、ホーヘンバンドは見事にオーストラリアの国民的英雄を凌駕した。

ソープは準決勝でホーヘンバンドに世界記録を破られたことにより、プレッシャーがかかったのではないだろうか。
もしかすると、その影響が決勝での泳ぎに出たのかもしれない。

南半球シドニーの地で、オランダの新鋭ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドが世界を震撼させた。

まとめ

イアン・ソープは4冠こそならなかったものの、400m自由形とリレー2種目の合計3個の金メダルを獲得し、地元開催の五輪を終えた。

一方、ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドは100m自由形でも世界記録を更新し、大会2冠に輝く。

“魚雷”と呼ばれた若き王者イアン・ソープとオランダの新鋭ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド。
ミレニアムの幕開けを告げる激闘の余韻は、令和の世でも冷めやらない。