「悲運の王者」ウィルソン・キプケテル ~その走りは羽根のように軽やかに~





4年に1度開催される「スポーツの祭典」オリンピック。
アスリートにとってあまりにも長いその歳月が、ときに絶対王者の戴冠を阻んできた。
最たる例が、1990年代の男子800mにおいて無敵の走りを見せていたウィルソン・キプケテルである。

その走りは羽根のように軽やかで、まるで一人だけ空を飛んでいるようだった。

ウィルソン・キプケテルとは

ウィルソン・キプケテルは1972年12月12日にケニアで生まれた陸上選手である。
男子800mの元世界記録保持者で、世界陸上を3連覇するなど1990年代の最強ランナーであった。

特に1996年~1997年にかけての2年間は無傷の28連勝を飾り、前に行って逃げてよし、後方から差してよしという、全く死角の見当たらないレースを展開した。
それだけに、1996年のアトランタ五輪に出場できなかったのが悔やまれる。

1998年にマラリアに罹患しシーズンを棒に振ると、翌年以降はやや全盛期からは翳りがみえたものの、1999年の世界陸上では見事復活を遂げ優勝する。

オリンピックでは2000年シドニーで銀、2004年アテネで銅メダルを獲得した。
いずれもゴール直前までデッドヒートを繰り広げての結果であり、キプケテルほどの歴史的名選手がオリンピックで無冠に終わったことは残念としか言いようがない。

羽根のように軽やかに

1996年アトランタ五輪におけるスーパースターといえば、男子200mと400mに出場したマイケル・ジョンソンである。
ライバルが見当たらない400mだけでなく、大会直前に21連勝でストップした200mでも断トツの優勝候補筆頭だった。
事実、五輪本番では2冠に輝き、特に200mでは世界記録を0秒35も更新する19秒32で駆け抜けた。
このように、世間一般ではマイケル・ジョンソンこそ、最も金メダルに近い存在だと言われていた。

しかし、知名度こそ劣るものの、事情通の間では別の選手がさらに有力視されていた。
ウィルソン・キプケテルである。
キプケテルは、当時最古の世界記録であるセバスチャン・コーがもつ男子800mの記録を16年ぶりに破るなど、向かうところ敵なしの様相を呈していた。
全盛期のキプケテルの走りはスタートからスピードの違いで先頭に立ち、そのまま他を寄せ付けず一度もトップを譲らずゴールするというものが多かった。
世界記録を樹立した際も、このようなレースぶりだった。

そんな数ある彼のレースの中で、私が初めてキプケテルを見た1995年「世界陸上イエテボリ」大会こそ、個人的に最もインパクトを受けたレースである。
3レーンからスタートした若きキプケテルはスローペースの中、慌てず騒がず最後方からレースを進める。
素人目にはスローペースということもあり、ある程度好位に付けないと苦しいと感じていた。
2周目に入ると、徐々に上がっていくキプケテル。
その様は無理に押し上げるといった感じではなく、競馬でいうところの馬なりといった雰囲気である。
残り200mになると外から捲り気味に進出し、残り100を切ったところで先頭に並びかけると余裕をもって突き放した。

800mのレースは数ある陸上競技の中で最も過酷な競技といわれるが、ゴール後のキプケテルはそんなことを微塵も感じさせない。
“日本競馬の最高傑作”ディープインパクトを思わせる羽根のように軽やかなスパートと共に、キプケテルの知的で爽やかな佇まいが印象に残った。

無念のオリンピッ欠場

キプケテルは10代のとき、デンマークのコペンハーゲン大学に留学し電子工学を専攻する。
こんなところにも、彼の知性の高さが窺える。

そして、デンマークというお国柄が気に入ったこともあり、そのまま移住を決意する。
しかし、これが悲劇の始まりだったとは、キプケテルは予想だにしなかった。

1995年の世界選手権で初出場・初優勝を遂げたキプケテルは、前述したように翌年のアトランタ五輪では押しも押されぬ優勝候補筆頭であった。
ところが、デンマーク国籍の取得が出来ていなかったことにより、キプケテルの五輪出場は夢と消えてしまう。

実は、特例で祖国ケニアからの出場を打診されていた。
しかし、ウィルソン・キプケテルはこう言った。

「私が出場することにより、本来代表の資格を有していた選手が出られなくなる」

そして、後年かく語る。

「その決断に悔いはない」

もともと、私は彼のファンだった。
だが、この逸話を耳にした瞬間、私の中でウィルソン・キプケテルは永遠のチャンピオンとなった。
そこに、オリンピックでのメダルの色は関係ない。

自らの悲願成就よりも、人としての道理を貫いたウィルソン・キプケテル。
人の心が荒れ果てた現代で、高潔な魂の有り様を見た思いがした。

まとめ

陸上男子800mという過酷な競技で一時代を築いたキプケテル。

だが、偉大なるランナーも晩年は怪我を抱え、衰えを隠せなくなる。
それでも、31歳で出場したアテネ五輪では金メダリストから0秒2、銀メダリストには0秒04という僅差で銅メダルを獲得した。

“悲運の王者”ウィルソン・キプケテル。
その走りは羽根のように軽やかで、美を描き出していた。

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