北京オリンピック名勝負⑧ 「悲運の女王たち」髙木美帆と髙梨沙羅




北京オリンピック大会4日目、スピードスケート女子1500mに髙木美帆が出場し2大会連続の銀メダルを獲得する。

また、今大会から競技種目に採用されたスキージャンプ混合団体では、1本目のジャンプで髙梨沙羅が失格となる波乱の展開もあり、日本は4位で戦いを終えた。

フィギュアスケート混合団体での銅メダルはあったが、日本にとっては惜しい結果が続く1日となった。


Number(ナンバー)1046号 完全保存版 北京五輪熱戦譜

スピードスケート女子1500m

髙木美帆以外の日本選手では、佐藤綾乃が3位とわずか0.1秒差で表彰台を逃し4位となる、実に惜しいレースを展開した。
髙木菜那も8位と少し不本意な結果に終わった。
悔しさが残る結果ではあるが、日本の出場者3名全員が入賞したことは立派といえるだろう。

イレーン・ビュストの高き壁

この種目では、今季ワールドカップで3戦全勝と負けなしの髙木美帆が優勝候補筆頭であった。
だが、オランダのイレーン・ビュストに0.44秒届かず、2大会連続の銀メダルとなる。

実は、4年前の平昌オリンピックでも同じことが起こっていた。
そのシーズンも髙木美帆はワールドカップで破竹の快進撃を続け、最も金メダルに近い存在とみられていた。
ところが、当時31歳のビュストはベテランならではの調整でオリンピック本番にきっちりピークを合わせ、髙木美帆を僅差で破っている。

そして、今回もステップレースの欧州選手権で2位と調子を上げ、本番に臨んだ。
これでビュストは、2006年トリノオリンピック以降5大会連続での個人種目金メダルとなる。
まさに、史上最高のスピードスケーターの一人といえるだろう。

だが、さすがに35歳で迎えた北京オリンピックでも、髙木美帆を圧倒するとは思わなかった。
しかも、氷が重くタイムが出ない今大会のリンクで、オリンピック記録を出しての優勝だというのだから驚くばかりである。

オリンピックでこそ個人種目で金メダルがない髙木美帆だが、私はビュストにも負けない1500mでの女王だと思う。
たしかに、世間の注目度が高いオリンピックは、最も価値ある大会だろう。
しかし、1500mの世界記録をもち、ワールドカップや世界選手権で数々の実績を残し、オリンピックのたびに優勝候補筆頭に挙げられる髙木美帆は、間違いなく歴史に残るスピードスケーターである。

そんな髙木美帆には、残る種目も完全燃焼してほしい。

スキージャンプ混合団体

個人戦で表彰台に届かなかった髙梨沙羅。
その悔しさを晴らすように、1本目のジャンプは103mを記録した。
髙梨の顔に思わず笑みがこぼれる。
第1グループが終わり、日本は2位につける好調な滑り出しになった…はずだった。

すでにご存知かとは思うが、スーツの規定違反により髙梨は失格となったのだ。
さらに、ドイツ、ノルウェー、オーストリアと立て続けに失格になっていく。
こんなことは異例中の異例である。
しかも、日本を含め失格になった4か国はいずれも強豪国ばかりであり、失格になったのは全員女子選手なのである。
これほどまでに偏りがあるのは、不自然としか言いようがない。
FIS(国際スキー連盟)には何が起こったかの事実を公表し、きちんと納得のいく説明をする義務があるだろう。

ライバル国からも失格者が出たこともあり、日本はギリギリ8位で予選を通過した。
だが、失格が決まり泣き崩れる髙梨の姿は、痛々しくて見ていられなかった。
なぜ、オリンピックの舞台に立つと、髙梨には不運がつきまとうのだろう。
“悲運の女王”髙梨沙羅の心中は察して余りある。

1回目終了後の小林陵侑のインタビューを聞き、失格のショックで半ば放心状態と化していた私は目が覚めた。
失格の情報を聞いた中で1回目のジャンプをどんな思いで飛んだのか、そして2回目のジャンプへの意気込みを聞かれた小林は答える。
「僕は変わらず良いパフォーマンスをしようと思った。まだチャンスがあるので、もっと良いジャンプをしたい」

この試練の中、下を向くことなく普段通りの表情で冷静に答える姿に、私は勇気をもらったような気がした。
“何が起きても、自分のなすべきことに集中する”という小林陵侑の佇まい。
さすが、金メダリストだと感心してしまう。

2本目のジャンプが始まった。
しかし、現実問題として、自力で立てないほどの精神的ショックを受けていた髙梨が、そもそもジャンプを飛べるのだろうか…という疑問がよぎる。
もしかすると、棄権するかもしれない。

ところが、髙梨沙羅はジャンプ台に現れた。
それどころか、K点越えの98.5mの大ジャンプを飛んだのだ!
失敗すれば命の危険さえあるジャンプ競技に、あの精神状態で出ること自体、無謀に思えた。
にもかかわらず…。

私には、髙梨沙羅の2本目は彼女の責任感の強さのみで飛んだ、魂のジャンプに感じた。
なぜ、あの精神状態で、あのジャンプができるのだろう…。
試合後、小林陵侑も思わず「強い」と漏らした圧巻のジャンプ。
そして最後まで試合を捨てずに飛んだ髙梨沙羅の想い…。
言葉もない。
飛び終えた瞬間、涙をこらえきれず、うずくまる髙梨沙羅の姿は、見ているこちらまで胸が張り裂けそうになる。
そして、立ち上がると、数秒間カメラに向かって頭を下げた。

個人戦と団体戦は中1日しかないタイトな日程ということもあり、ほとんどの有力選手は前日の公式練習に参加していない。
そんな中、髙梨沙羅はジャンプ台に足を運び、団体戦に向けて黙々と最終チェックを行っていた。
そうした姿勢が日本選手のみならず、外国の選手やコーチ陣からも尊敬の眼差しを送られてきた所以である。
そして、長きに渡り努力を継続してきた髙梨だからこそ、競技レベルが上がり続ける女子ジャンプにあって、10年以上も世界のトップで戦えるのだ。

ルールとはいえ、そんな髙梨沙羅に対するこの仕打ちは、あまりにも残酷である。

だが、気持ちを整理しきれない私の目の前で、奇跡が起きようとしていた。
第1グループで2位となる髙梨沙羅のジャンプで一気に差を詰め、佐藤幸椰も踏ん張り、最終第4グループを残し4位まで順位を上げてくる。
3位カナダとは17.7ポイント差まで詰めてきた。
だが、距離にするとまだ9m近い差があり、かなり厳しいのも事実である。

いよいよ日本は泣いても笑っても、小林陵侑のジャンプを残すのみである。
髙梨沙羅は祈るように見つめている。
世界に誇るオリンピックチャンピオン小林陵侑がスタートした。
完璧なまでに踏み切ると、美しい飛型を描いて、どこまでも飛んでいく。
日本チームの想いを乗せたジャンプは、ヒルサイズ地点の106mで着地する。

ほとばしるような気合で、ガッツポーズをする小林陵侑。
そのジャンプに拍手する髙梨沙羅は、胸に手を当てながら倒れ込む。
さすが日本のエース!ここ一番の勝負強さが頼もしい。

さあ、メダルが懸かった大一番に挑むのはカナダのエース、マッケンジー・ボイド・クロウズだ。
土壇場での小林の最長不倒に、強烈なプレッシャーがのしかかる。

ところが、どうだ!
101.5mの会心のジャンプで切り返した!
ボイド・クロウズのもとへ駆け寄るチームメイトたち。
チームカナダに歓喜の輪が広がった。

それにしても、マッケンジー・ボイド・クロウズの心の強さに感服した。
日本・カナダ両国の、チームの柱石を担うエースに心からの拍手を送りたい。

そして、あの逆境からメダル争いまで繰り広げた日本は、凄いとしか言いようがない。
本当に素晴らしいものを見せていただいた。
日本チームに感謝したい。

試合後の小林陵侑のコメントが、我々一般視聴者の思いを代弁していた。
「波乱もあったが、すごく良いゲームだった。8位から4位までいったのは、本当にみんな凄い。2本目、沙羅も良いジャンプしてたし。本当に強いなって思う」

さらに、髙梨へどんな言葉をかけたいか、という問いに対する答えが秀逸だった。
「たくさんハグしてあげました」
ネット民の心を鷲掴みにするのも、むべなるかなである。

試合直後の興奮冷めやらぬ中、最後まで平常心を保ち続ける小林。
揺れない心を体現する小林陵侑は、まさしくオリンピックチャンピオンの看板に偽りなしである。

以前、“本当の友とは?”という命題について記した一文を見たことがある。
順風満帆なときではなく、逆境にあるとき隣にいてくれるのが本当の友である。
そして、世の中の不条理や残酷な現実に打ちひしがれ、生きる希望さえ消えかけたとき、黙って傍らに寄り添ってくれるのが真実の友なのだと。

余計なことは言わず髙梨沙羅を力いっぱい抱きしめた小林陵侑、アクシデントの中でもいぶし銀のつなぎ役に徹した佐藤幸椰、そして共に日本女子ジャンプ界を牽引してきた伊藤有希たちチーム日本は、絶望の淵で喘ぐ髙梨沙羅の傍らに寄り添っていた。
おそらく、独りではその場所に留まれなかったであろう髙梨が、最後までチームメイトの戦いを見届けることができたのは、チーム日本の仲間がいたからだ。

日本、そして髙梨沙羅の戦いは実に見事であった。
だから、髙梨は自分を責めずに、堂々と日本に帰って来て欲しい。
チームのために、あの2本目のジャンプを飛んだ彼女を、いったい誰が責められるというのだろう。

「継続は力なり」を体現する歴史的名ジャンパー髙梨沙羅。
ずっと走り続けてきた彼女に、私は思うのだ。
「こんな時ぐらい、たまにはゆっくりと、心と体を休めてもいいんでは…」と。


高梨沙羅 さらなる飛躍 (冬のアスリートたち)

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