東京パラリンピック競泳 「水の女王」成田真由美の大団円




東京パラリンピック大会7日目(8月30日)の競泳では、鈴木孝幸が男子200m自由形(運動機能障害S4)で銀メダルを、富田宇宙が男子200m個人メドレー(視覚障害SM11)で銅メダルを獲得した。
これで今大会、鈴木孝幸は4個目、富田宇宙は2個目のメダルとなった。

そして、51歳の成田真由美が女子50m背泳ぎ(運動機能障害S5)の決勝に進出し、人生最後のパラリンピックレースで見事6位入賞を果たした。

「水の女王」成田真由美

成田真由美は13歳で脊髄炎を発症し、車いす生活を余儀なくされる。
さらに、23歳の時には自動車事故に遭い、更なる障害を負った。
だが、その数年後に開催されたアトランタ大会に初出場を果たし金メダリストの栄誉に輝くと、金メダル15個を含む通算で20個のメダルを胸に提げてきた。
彼女が「水の女王」と呼ばれる所以である。

一度はパラリンピックから退いたものの、東京の地での開催が決まると復帰を決意し、リオ大会に出場する。
自分の泳ぎを見せることで、「誰もが暮らしやすい社会」の実現に少しでも貢献できれば…という気持ちもあったという。
成田の凄いところは自身が持つ日本記録のほとんどを、リオ大会以降の40代半ばを過ぎてから更新したことである。

今大会を競泳人生の集大成と位置付ける成田は、あと一歩のところで決勝進出を逃してきた。
いよいよ、最後の種目となる女子50m背泳ぎ(運動機能障害S5)。
ギリギリのところで、決勝の舞台に滑り込む。
すると、成田真由美はスタートから果敢に攻めの泳ぎを展開し、予選から約2秒もタイムを縮め、6位入賞で最後のレースを締めくくる。
“肩が壊れてもいい”という思いをのせた、「水の女王」の名に恥じぬ素晴らしい泳ぎだった。

これまでパラリンピックに疎かった私は、成田真由美のことを知らずに生きてきた。
日本のパラ競技界に、これほど偉大な人物がいることなど夢にも思わなかった。
彼女の最後となるパラリンピックで、その存在を知ることができたことは僥倖としか言いようがない。
それは、競技者としての実績だけでなく、人間性も含めてのことである。

パラリンピック史に燦然と輝く「水の女王」成田真由美さん、長い間お疲れ様でした。

胸に迫る表彰式

女子100m背泳ぎ(運動機能障害S9)で優勝を飾ったのは、ハナ・アスプデン(米国)である。
初出場のリオで銅メダルを獲得し、21歳で迎えた今大会で悲願の金メダルを勝ちとった。
そんな彼女は、生まれつき左足がない。

表彰式へと向かう彼女はひとり、松葉杖を支えに自らの足で大地を踏みしめ歩いていく。
そして、金メダルを受け取り、感無量の表情を浮かべている。
アメリカ国歌が流れ、星条旗が一番高い場所に上がると、彼女の瞳からみるみるうちに涙があふれ出す。

今大会、アメリカ選手は何度も金メダルを獲得していたが、私はこれまで1度も表彰式でアメリカ国歌を聴く機会がなかった。
日本国歌の君が代は当然として、なぜか表彰式で流れるアメリカ国歌を聴くと胸が熱くなる。
それに加え、隻脚の彼女が自力で立ちながら、星条旗を見つめて双眸を濡らしているのである。

セレモニーの進行中、金メダルとブーケで両手がふさがる場面があった。
すると、ハナ・アスプデンは松葉杖を床に置き、残された右足のみで立つ。
真っ直ぐに背筋が伸びた立ち姿は、神々しいまでの美しさである。
私は、何かとても神聖なものを見た気がした。

パラアスリートたちは皆、失ったものを嘆くのではなく、残されたものに目を向ける。
そして、障害によって出来なくなったことではなく、今可能なことに最善を尽くす。

“若き金メダリスト”ハナ・アスプデンが表彰台で見せた姿に、そんなことを思い出した。

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