東京パラリンピック 「生きるとは」そして「命とは」




私が初めてオリンピックを観たのは、1984年ロサンゼルス大会だったように記憶している。
大会の主役は陸上競技で4冠に輝いたカール・ルイスだった。

そして、完全にオリンピックフリークになったのは、1992年バルセロナ大会からである。
以来、30年近く観戦してきた。

ただ、パラリンピックについては、ほとんど観たことがない。
本日(8月25日)、パラリンピックデビューを果たした私は、今まで観てこなかったことを心の底から悔やむのだった。

山田美幸さんの偉業

私がこれまで観戦してこなかったパラリンピック中継にチャンネルを合わせたのは、知人が競泳の木村敬一選手のレースを観たいと言っていたことがきっかけであった。
その話を聞き、昔深夜に放送していた「金髪先生」でドリアン助川が、パラリンピックの素晴らしさを熱く語っていたことを思い出したからである。

競泳中継を観ていると、しばらくして山田美幸さんが出場した女子背負泳ぎ100mのレースが録画で流れる。
障害の重さによってレースが区分されているのは理解できたが、彼女の具体的な障害は知らなかった。
レースがスタートすると、ほとんどの選手が腕を回転させながら泳ぐ中、山田さんは腕を回さず泳いでいる。

すぐに、私は己の浅慮を恥じた。
彼女には動かしたくても、動かす腕がなかったのである。
加えて、足にも障害があるのだが、その足を懸命に動かして泳いでいるのだ。

彼女の泳ぎを観た私は、涙が止まらなくなった。
その時の感情を上手く言葉にすることはできない。
感動などという言葉では軽すぎる。
さりとて、気の毒とか憐れみのような感情は一切ない。
生まれつき両腕がなく、足にも障害を抱えて泳いでいる14歳の少女の姿に、人間の持つ無限の可能性や力強い生き様を見せられ、圧倒されたのかもしれない。
大袈裟かもしれないが、何かこう人間賛歌のようなものを感じたのだ。

前半のターンを2位で折り返すと、そのままゴールし銀メダルを獲得した。
14歳のメダリスト誕生は、日本のパラリンピック史上最年少記録となった。
2年前に逝去した父への最高の親孝行となったに違いない。

たしかに、銀メダルをとったことは偉業である。
しかし、パラリンピックの檜舞台で泳げたこと、さらに言えば、その場所に立つまでの山田美幸さんの人生そのものがメダル以上の価値なのではないか。

レースを終え、インタビューを受ける山田美幸さんの笑顔は実に素敵だった。

まとめ

男子平泳ぎ50mでは鈴木孝幸氏が銅メダルを獲得し、2大会ぶりの表彰台となった。
鈴木氏もレース後のインタビューで、20歳年下の銀メダリスト山田美幸さんに刺激を受けた様子である。

また、日本人の活躍の他に本競技の素晴らしさを実感したのは、10代の若者と60代の還暦を過ぎたベテランが一緒のレースで泳いでいたことだ。
健常者のアスリートが集うオリンピックでは、滅多に見ることのない光景である。

私は、山田さんたちのレースを観戦して教えられたことがある。
それは、「生きるとは」「命とは」という、人間にとって最も根源的なことだ。

我々健常者の多くは特に目的もなく、ただ漫然と時間に追われて生きている。
翻って、彼女たちはどうだろう。
大きな身体的ハンデを背負いながら、折れない心でこの舞台に登壇した。
まるで“泳ぐことが生きること”といわんばかりに、全身全霊を賭して表現する。

命とは何だろう。
それ即ち、輝きではなかろうか。
命が輝くには、命を喜ばせなければ叶わない。

たとえ五体満足でも、命が輝いていない者はごまんといる。
逆に、山田さんたちはあれだけのハンデがあっても、私には命が輝いて見えた。
それは、彼女たちが人生を懸けるに値する競泳という生き甲斐を見つけ、パラリンピックというステージに立つために努力を続けながら、時には嘆き悲しみ、またある時には笑い喜び、心を動かしながら生きてきたからではないか。
水や空気は流れていないと澱んでしまうように、人の心も同じである。
そして、心が動いているからこそ、命はくすむことなく輝くのだ。

山田美幸さんの泳ぎは人間にとって最も大切なことを教えてくれる、まこと尊きものだった。

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