東京パラリンピック競泳 ベテラン選手の快進撃




東京パラリンピック競泳2日目、鈴木孝幸が昨日の銅メダルに引き続き、男子100m自由形(運動機能障害S4)で金メダリストに輝いた。

また、男子400m自由形(視覚障害S11)では富田宇宙が銀メダルを獲得するなど、30代のベテラン勢が活躍する1日となった。

鈴木孝幸

鈴木孝幸は17歳で2004年アテネ大会に初出場を果たし、2008年北京大会では金メダルを獲得した。
それ以来、13年ぶりに金メダリストに返り咲いたのである。

前回のリオ大会ではメダルに届かなかったにもかかわらず、30歳の大台を超えての快進撃。
鈴木孝幸というアスリートは、この5年間に一体どれほどの修練を積んできたのだろう。

たしかに、若くして栄光を掴むことは大変な偉業である。
しかし、その地位を10年以上にわたり継続して守ることは、より困難なのではないか。

私は鈴木孝幸を見るにつけ、将棋の羽生善治が語った才能の定義を思い出す。

「私は以前、才能は一瞬のひらめきだと思っていた。しかし、今は10年・20年と同じ姿勢で同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。何かに挑戦した時、確実に報われるのであれば、誰でも挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続するのは非常に大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている」

パラリンピックに初出場してから17年、金メダリストになってから13年、倦まず弛まず精進を続ける鈴木孝幸は、まさに羽生善治の金言を実践する偉大なアスリートである。

富田宇宙

富田宇宙は今年32歳を迎えたが、パラリンピックは初出場である。
そんな中、男子400m自由形(視覚障害S11)で銀メダルを獲得した。
その快挙は、30代以上の多くの人々に勇気を与えたのではないだろうか。

富田は幼い頃から水泳に親しみつつも、名は体を表すの格言を地でいくように、宇宙飛行士を夢見る少年時代を過ごす。
そして、その夢を果たすべく、宇宙工学・航空工学の大学進学を見据えて勉学に打ち込んでいた。

ところが、富田宇宙に悲劇が襲う。
高校2年生の時に、進行性の網膜色素変性症を発症したのだ。
以来、急速に視力が低下し、ついには全盲となってしまう。

子どもの頃からの夢だった宇宙飛行士の道が断たれ、大学時代に始めた競技ダンスも視力を失っていく過程で断念した。

こうして、障害の進行により次々と目標を失っていく富田。
そんな文字通り闇の中で、富田を救ったのが原点ともいえる水泳だった。
一度は離れていた水泳にパラ競泳の選手として帰還した富田は、2019年の世界選手権で銀メダルを獲得するまでになる。
こうして臨んだ東京パラリンピックの舞台であったのだ。

視覚障害クラスの中でもS11は、最も重度な障害を持つ選手たちが集まる。
とはいえ、富田のような全盲選手もいれば、完全な全盲ではない選手もいるので公平を期すために、ブラックゴーグルという完全に光を遮断するゴーグルをつけて競う。
つまり、全ての選手が暗闇の中でレースを行うのだ。

私は、富田宇宙が出場した男子400m自由形(視覚障害S11)のレースを観て、他の競泳種目とは異質な競技だと感じた。
通常、競泳はライバルとの位置関係やレース展開を見極めながら、相手と駆け引きをしていく。
ところが、駆け引きどころか、全く光を通さない世界での泳ぎを強いられる本競技は、ひたすら己との戦いとなる。
相手との距離や自分のポジションが分かれば、疲労困憊になって心が折れそうになっても最後のひと踏ん張りがきく時もあるのだ。
対人競技において、これほど孤独な戦いを観たことがない。

金メダルのドルスマンが圧倒的な実力を誇示する中、富田宇宙は前半から積極的な泳ぎを見せ、3位の選手に3秒近い差をつけて銀メダリストに輝いた。
それも、ただの銀メダルではない。
自己ベストを更新しただけでなく、アジア新記録も打ち立てたのだ。
富田宇宙、会心の泳ぎだった。

まとめ

実は、私は富田宇宙の紹介インタビューを聞いて、少し違和感があった。
ほとんどのアスリートが落ち着いた口調で話す中、それとはやや趣を異にする調子で、障害者になった苦悩と絶望を語っていたのだ。

だが、レース後のコメントは胸に響いた。
アスリートは皆、自分を支えてくれた家族やコーチへの感謝を口にする。
いずれも、この舞台に立てた深い思いが凝縮する心からのコメントである。
富田宇宙の言葉も同じような内容なのだが、なぜかより刺さったのだ。

私には本当の意味で、障害を持つ人々の苦しみや絶望を理解することなど不可能である。
自分が同じ境遇にならなければ、分からないのが世の常だ。
いや、もしかすると、同じ障害を持ったとしてもその時に抱く気持ちは十人十色であり、本当のところは理解できないだろう。
それでも、先天性の障害を持つ方よりは、後天性障害者の気持ちの方が少しは想像しやすいのではないかと思う。

今まで当たり前だった日常が、ある人は少しずつ、またある人は突然前触れもなく失ってしまう絶望感。
生きる希望を失いながら、そこから立ち直り、新たな生きる希望を見出していく。
だが、その希望の光を見つけては視覚障害という現実の前に、幾度なく挫折を味わった富田宇宙。
その男にとって、パンドラの箱の最後の希望がパラ競泳だったのかもしれない。

「パラリンピックに出場する選手は、オリンピック選手よりも多くの人に支えられ、この舞台に立っている。それこそ、日常生活でさえ24時間お世話になって暮らしているのだ」

言葉では語り尽くせぬ苦難の人生に思いを馳せながら聴く、富田宇宙のインタビューはいつまでも深い余韻が残った。

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