東京パラリンピック 自らの限界を超えるパラアスリートたち




連日、日本列島の猛暑にも負けない熱戦が繰り広げられている東京パラリンピック。
水泳を中心に観戦している私だが、陸上競技でも印象に残る試合を目撃する。
この大会に5年間の思いをぶつける、パラアスリートの奮闘をお伝えする。

陸上

男子走幅跳(義足・機能障害T63)

本種目の決勝は、パラリンピックにとどまらずオリンピックを含めても、間違いなく歴史に残る名勝負といえるだろう。

ワグナーが1回目の試技から7m7㎝という大ジャンプを跳び、いきなり強烈な先制パンチをお見舞いする。
さらに同じく1回目、マーラングも7m2㎝という、7m越えの大ジャンプを見せるではないか。
俄然、ハイレベルな試合の予感が走る。

5回目の跳躍で、このクラスの世界記録保持者シェーファーが7m5㎝を跳び2位に浮上すると、最終6回目で7m12㎝のパラリンピック記録でトップに踊り出た。
この土壇場で勝負強さを見せるシェーファーの跳躍は、さすがといったところか。
多くの人が、ここで勝負ありと思ったことだろう。

ところが、野球だけでなくパラリンピックでも、筋書のないドラマが待っていた。
ここまで3位のマーラングが勇躍助走をとり、乾坤一擲の跳躍をみせると、7mを大きく超える会心のジャンプを見せた。
しばし緊迫の時を刻み、記録が発表される。

7m17㎝!世界新記録である。
見事なまでの逆転優勝であった。

私は素晴らしい戦いに感銘を受けるとともに、マーラングという選手に言葉にできないほどの感情が胸中をよぎった。
彼は両足とも義足なのだ!
本来は、2つ障害が重いクラスの選手なのである。

片足だけ義足でも7mを跳ぶことなど、想像もできない領域である。
それを2本とも義足で…。
山田美幸にも感じたことだが、人間の持つ可能性を感じずにはいられなかった。

そして、忘れてはならないのが山本篤である。
メダルには惜しくも届かなかったが、このハイレベルな戦いで4位入賞を果たす。
しかも、山本は39歳にして、自らが持つアジア記録を更新する6m75㎝を跳んだのだ。

ここでも年齢という壁を超越する、人間の可能性を感じずにはいられない。

トライアスロン男子(視覚障害)

トライアスロンという競技は、肉体の限界に挑むレースである。
パラ競技でもスイム750m、バイク20㎞、ラン5㎞というタフさを誇る。
健常者でも過酷を極める、まさに鉄人レースと呼ばれる所以だろう。

このトライアスロン男子(視覚障害)で、銅メダルを獲得したのが米岡聡である。
「一人では絶対にたどり着けなかった場所」と語る夢舞台で、あらん限りの力を振り絞った末の表彰台だった。

そして、ガイド役として米岡の目の代わりになったのが椿浩平だ。
選手はもちろん、ガイド役も一人で全種目をこなさなければならない。
椿は、トライアスロンのトップアスリートとして五輪も目指すほどの実力を持つ。
だからこそ、スペシャリストならではの的確なアドバイスも送れるのだ。

この競技は選手自身の実力に加えて、ガイド役の存在がいかに重要かを知った。
単なる目としての役割だけでなく、精神的支柱としても選手にとって必要不可欠なのである。
揺るぎなき信頼で結ばれた選手と伴走者が、文字通り二人三脚で勝ち取った銅メダルだった。

競泳

女子400m自由形(運動機能障害S7)

この競技で金メダリストに輝いたのは、マッケンジー・コーンである。
レースが始まると、コーンとテルツィが並走する形で展開する。
300mを過ぎると、実力で勝るコーンが前に出て押し切った。

前回のリオパラリンピックでも金メダルを3つ獲得するなど、S7クラスでは実力者として知られているマッケンジー・コーン。
だが、骨形成に難がある彼女は50回以上もの骨折を経験してきた。
長い人生で数回骨折するだけでも、大変だというのに…。
その苦難を乗り越えての栄冠なのである。

そして、本レースでは小池さくらも頑張った。
笑顔で手を振りながら入場した彼女は、5分34秒12で6位入賞を果たす。
しかも、従来の日本記録を6秒3も更新したのだ。

世界新記録は、とてつもない偉業である。
だが、自己ベストを更新することもまた、自分という世界の新記録なのだ。
それを、この大舞台で成し遂げる心の強さが素晴らしい。
たとえ100分の1秒といえども、昨日の自分を越えるのは大変なことである。
にもかかわらず、日本記録を一気に6秒以上縮めるなど、常識では考えられない。

小池さくらの泳ぎもまた、日本パラ競泳史に残る偉業と呼べるだろう。

男子100m平泳ぎ(SB14知的障害)

この種目には山口尚秀が登場した。
この山口。
まだ弱冠20歳にして、世界選手権チャンピオンと世界記録保持者の称号を持つ。

山口は抜群のスタートを決めると、スムーズな泳ぎで前半の50mを29秒22で折り返す。
これは自身のもつ世界記録を0.5秒以上も上回るハイペースだ。
だが、オーストラリアのミシェルもわずか0.1秒差でピタリとついてくる。

レース後半に入り、山口は追いすがるミシェルをなかなか離せない。
ラスト20m、ピッチを上げた山口がリードを広げ、ゴール板にタッチした。
自身初の1分3秒台となる、1分3秒77の世界新記録で金メダルを勝ちとった。
山口尚秀、渾身の泳ぎだった。

知的障害に加え自閉症も抱える山口にとって、コロナ禍による1年の開催延期は他の選手以上に戸惑いと苦悩に苛まれていたという。
そんな中で、支えとなったのは家族や関係者の存在だった。
この快挙は、決して彼一人では成し得なかったことだろう。

全ての関係者の努力が結実した、山口尚秀栄光の時だった。

まとめ

男子100m平泳ぎ(SB14知的障害)で、もうひとつ印象深かったことがある。
それは、山口と最後まで金メダルを争ったジェーク・ミシェルのスポーツマンシップだった。
ゴール直後、惜しくも敗れた悔しさが残る中、自ら山口に手を差し出し、固い握手を交わしたのだ。

このクラスは知的障害を持つ選手が集まっている。
そうしたハンディキャップを抱えながら、相手を称賛できる心を持つ彼は真のアスリートである。
見ていて、とても清々しい光景だった。

それは、山口尚秀も同じである。
表彰台での気持ちを聞かれたとき、「競い合ってきたライバル達と集まって、共にメダルをもらえたことがとても嬉しい」と語っていた。
このコメントからも、彼の人柄が伝わってくるのではないだろうか。

日頃から「水泳は健常者と障害者の垣根を越えるスポーツ」と話す山口尚秀。

本競技のアスリートたちから、人間にとって大切な原点を学ばせてもらった。

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