東京オリンピック名勝負⑨ ケーレブ・ドレセル 恩師への想いとともに




東京オリンピック大会9日目、競泳男子100mバタフライが行われ、ケーレブ・ドレセルが世界記録で優勝した。
400mリレー、100m自由形に続く、今大会3冠目となった。

そして、競泳競技最終日、50m自由形と400mメドレーリレーでも圧巻の泳ぎで勝利を飾る。
ケーレブ・ドレセルこそ、今大会の競泳種目の主役であった。 

ケーレブ・ドレセルとは

ケーレブ・ドレセルは、1996年8月16日にアメリカで生まれた競泳選手である。
バタフライと自由形の短距離を得意種目としており、かつて世界の競泳界を席巻したイアン・ソープやマイケル・フェルプスと比肩しうるスター選手との呼び声高い。

オリンピック初出場となったリオ五輪では、個人種目の100m自由形こそメダルに届かなかったが、400mリレーと400mメドレーリレーで金メダルを獲得した。

そして、彼の偉大さを物語るのが世界水泳での活躍である。
2017年ブダペスト大会で7個の金メダルをとると、2019年光州大会でも6個の金メダルを獲得し、ここまで合計13個も胸に提げてきたのだ。

ドレセルの戦い

最大の難関

まず400mリレーで勝利を収め、ドレセルは100m自由形に挑む。

実はドレセルにとって、この100m自由形が個人種目としては最大の難関であった。
18歳でリオ五輪を制したカイル・チャルマーズが、虎視眈々と2連覇を狙っていたのである。
そのチャルマーズ。
実はリオ五輪後、心臓疾患の手術を受けた末に、手にした今大会の出場なのだ。

決勝戦はドレセルが5レーン、チャルマーズが7レーンでスタートした。
ロケットスタートで先頭に立ったドレセルは快調に飛ばす。
前半の50mは世界記録から0.22秒遅れたが、トップで折り返した。
4レーンのコレスニコフが僅差で追っている。

レース後半に入り、ドレセルはリードを広げた。
すると、コレスニコフに代わってチャルマーズが上がってきた。
猛追するチャルマーズに、ドレセルは懸命に逃げ切りを図る。
残り数メートルで並びかけるチャルマーズ。

そして、フィニッシュ。
ゴール板を先にタッチしたのは…。
その差0.06秒という際どい戦いを制したのは、ドレセルだった。

オリンピック史に残る泳ぎ

ドレセルは100mバタフライで3つ目の金を狙う。
抜群のスタートを決め、トップに立つと50mのターンを22秒で折り返す。
世界記録から0.13秒遅れているが、ラスト15mを無呼吸で泳ぐドレセルには十分射程圏内といえるだろう。
後半にさしかかり、世界記録を上回ってきたではないか。
そして、ドレセルが手を伸ばしゴールすると、タイムは49.45秒。
世界新記録である!
午前中の体の動かない中、この偉業は凄いのひと言しかない。

だが、ドレセルの独壇場と予想されたレースを盛り上げた立役者がいる。
それは、200mバタフライで他を寄せ付けぬ泳ぎを見せつけたクリストフ・ミラークである。
ドレセルが独走態勢でゴールを迎えるかと思ったその時、強烈な追い込みをかけ、あわやという場面を演出したのだ。
あと数メートルあればという、惜しいレースだった。

競泳最終日、その日もドレセルは競技会場に登場する。

50m自由形では、世界一のスタートと浮き上がりの技術でリードし、さらに差を広げて圧勝する。
2位と0.48秒差をつける圧巻の強さだった。
これで個人種目3冠を達成した。

ロンドン五輪の金メダリスト・マナドゥも、3大会連続となる銀メダルを獲得した。
一旦競技を離れていたにもかかわらず、表彰台に三度上がった彼の姿には深い感慨を覚えてしまう。
こうした懐かしい選手の顔を見れるのも、オリンピックの醍醐味だろう。

そして、とうとうドレセルにとって、長かったオリンピックのオーラスを迎える。
400mメドレーリレー決勝である。
しかし、50m自由形決勝で五輪新記録をマークし、表彰式を出てからほとんど休む間もなく、第3泳者としてバタフライを泳ぐのだ。
何という過酷なスケジュールだろうか。

いよいよ、国の威信をかけた競泳最終種目、男子400mメドレーリレーが始まった。
アメリカは第2泳者までで3位と後れをとっており、先頭からは0.64秒の差をつけられている。

第3泳者ドレセルは、昨日100mで世界新記録を出したばかりであり、バタフライは絶好調である。
あっという間に差を詰め、折り返すと程なくしてトップに立つ。
アンカーに引き継いだ時には、逆に2位イギリスに0.6秒リードを奪っていた。
つまり、ドレセルは1.2秒以上も早く泳いだのだ。

アメリカはそのまま逃げ切り、世界新記録を大幅に上回ってゴールする。
その瞬間、ケーレブ・ドレセルの今大会5個目の金メダルが決まった。

生涯の恩師

ケーレブ・ドレセルは高校時代の一時期、競泳から離れていた。
競泳界のホープとして頭角を現していくうちに周囲が騒がしくなり、距離を置きたくなったという。

何もかもが嫌になったドレセルは、授業までエスケープするようになる。
そんな時、ありのままの自分を受け入れてくれ、心の安らぎを与えてくれたのが、生涯の恩師となる女性教師だった。

彼女の存在と励ましがあればこそ、ケーレブ・ドレセルはもう一度、競泳の世界に戻ることができたのである。

まとめ

ケーレブ・ドレセルは、いつも「青いバンダナ」を肌身離さず持っている。
それは、病床に伏す恩師から譲り受けたものだ。
2017年、生涯の恩師クレア・マックールは、乳がんの闘病の甲斐なく泉下の人となる。

ドレセルは語る。
「そのバンダナ以上に大切なものなど、僕にはない」

レース同様、表彰式も無観客で行われた。
いつもより少し寂しい雰囲気の中、ドレセルは表彰台の1番高い場所で「青いバンダナ」を握りしめ、星条旗を見つめてる。

だが、きっと彼の心の中は、うら寂しさではなく喜びに満ちていたことだろう。
今日も“恩師の形見”を携えてレースに臨み、その主とともに全身全霊をかけて勝ち獲った、金色のメダルを胸にかけているのだから。 

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