東京オリンピック名勝負⑬ 競泳日本代表 ~メダルよりも重きもの~





男子200mバタフライでは、本多灯が銀メダルと大健闘を見せる。

また、女子200m個人メドレーで大橋悠依が女子400m個人メドレーに続く金メダルを獲得し、日本女子としては競泳史上初の2冠に輝いた。

今大会の競泳日本は大橋の金メダル2個、本田の銀1個という結果となったが、他の選手たちにも心に残るシーンがあった。


男子200mバタフライ

本多灯(ともる)はまだ19歳だが、明るい性格から日本チームのムードメーカー的存在である。
名は体を表すというが、まさに言い得て妙であろう。

本多の持ち味は、スタミナを生かしたラスト50mの泳ぎにある。
事実、日本選手権でも瀬戸大也を終盤で逆転し、優勝を果たしていた。
オリンピック本番ではギリギリ8位に滑り込んでの決勝進出だが、世界記録保持者クリストフ・ミラーク以外は混戦模様であり十分期待ができる。

予想どおり、スタートからミラークが先頭を奪うが、本多も好スタートを決める。
最後のターン、本多は4位で折り返した。
後半型の本多にとっては、理想的な展開でレースを進めている。

残り50m、本多はぐんぐん追い上げ、メダル圏内に上がってきた。
ついに2位の選手を捉えると、そのままゴールする。
予選最下位・8レーンからの大逆襲、本多灯会心の泳ぎであった。
そして、何よりもこの大舞台で自己ベストを出したことが、素晴らしいではないか。

序盤から飛ばしていく選手が多い中、周りのペースに惑わされることなく、自分の泳ぎに終始したレース運びが光った。
レース後、明るい本多らしく笑顔の花が満開となる。
これで、本種目は日本チームとして5大会連続のメダル獲得となった。

もう一つ、印象に残ったことがある。
レース後のインタビューで、本多と銅メダルの選手に「2位を狙っていたのでは?」という質問が飛んだ。
すると、金メダリストに輝いたクリストフ・ミラークが「アスリートに対して失礼じゃないか」と怒りをあらわにした。

たしかに、ミラークはダントツの優勝候補であり、今大会も2秒以上もの差をつけて快勝した。
だが、アスリートがこの舞台に立つまでに、どれほどの血の滲むような研鑽を積み重ねてきたかを少しでも理解できれば、このようなぶしつけな質問などするはずもない。
誰よりもそのことを知るミラークだからこそ、許せなかったのだろう。
そもそもが、こんな言葉を投げかけること自体、アスリートへの敬意が無い証拠である。

まだ21歳という若さにもかかわらず、同じ競技で切磋琢磨する選手を代表して物申したクリストフ・ミラークという青年は、実力だけでなく真の意味で男子200mバタフライの第一人者といえるだろう。

女子200m個人メドレー

この競技の注目はなんといっても、大橋悠依が400m個人メドレーに続く2冠をとれるかだろう。
大橋はレースに臨むにあたり「400m個人メドレーで金をとれたからこそ気持ちの余裕があるので、思い切ったレースができればいいなと思います」と意気込みを語る。

大混戦が予想される中、決勝のレースが始まった。
世界の強豪たちは最後の自由形で勝負強さを発揮するため、大橋としては第3泳法の平泳ぎを終えた時点でトップに立っていたいところだ。

最初のバタフライを5位でターンした大橋だが、続く得意の背負泳ぎで一気に2位まで上がってきた。
しかも、トップとほとんど差のない絶好の位置につけている。
第3泳法の平泳ぎも快調に泳ぐ大橋は、0.07秒差の2位で折り返す。

ラストの自由形に入ると、戦前の予想どおり誰が勝つか分からない大混戦となった。
150mのターンをトップで折り返したウオルシュを捉えにかかる大橋。
そこに、自由形が得意な4レーンのダグラスも猛追してくる。
最後まで、つばぜり合いが続く中、接戦を制したのは大橋悠依だった。
日本競泳女子史上初の2冠達成を果たした瞬間であった。

2位ウオルシュとの差は、わずか0.13秒という際どい戦い。
世界の強豪相手に自由形での叩き合いを制した大橋は、まさに世界のトップスイマーとしての存在感を見せつけた。
そこには400mメドレーリレーの時に流した涙はなく、弾けるような笑顔があった。

振り返れば、大橋の競泳人生は必ずしも順調とはいえなかった。
大学時代に参加した日本選手権では、出場選手中最下位に終わるという辛酸も舐めさせられた。

また、大橋は昨年12月の日本選手権への出場を見送っている。
練習へのモチベーションが低下し調子が上がらない大橋を見かねて、平井コーチが出場辞退の英断を下したのだ。
オリンピック開催まで半年強しか時間がない中、この決断はさぞかし勇気がいったことだろう。
そして、オリンピック直前まで師弟で試行錯誤を重ねた末に、手にした金メダルだったのである。

興味深い二人のコメント

レース終了後、大橋と本多が一緒に受けたインタビューが興味深い。
それは、最後のターンを折り返した場面への質問だった。

大橋はラストの150mのターンを折り返した後、クロールの最初の息継ぎを敢えて右へ向いて行い、ライバルの位置を確認したというのだ。
冷静な状況判断に感心するとともに、すでに400mメドレーリレーで金を取っている余裕を感じさせる。

一方で本多は、ラスト50mは周りを見ることなく、全力で自分の泳ぎに邁進したという。
何とも19歳の若武者らしい、がむしゃらさが好感を持てる。

伸びしろ満点の初々しい本多灯と、国際大会の経験豊富な大橋悠依のレース運びの違いを知ることができ、なぜかとても新鮮に感じた。

金メダルよりも重きもの

女子200m個人メドレーリレーの表彰式終了後、観客席にいた平井コーチが大橋悠依のもとへと祝福に降りてくる。
そして、この場所へたどり着くまでに様々な困難を乗り越えたふたりは、固く抱き合った。
それは、大橋悠依と平井伯昌コーチの思いが結実した瞬間だった。
まさしく、二人三脚で掴んだ栄冠は師弟の絆の結晶といえるだろう。

実は、大橋悠依と本多灯のメダル以上に、私には心に残ったことがある。
それは、男子200m個人メドレーに出場した萩野公介の存在である。
5年前、萩野は右肘にメスを入れた影響で肘の可動域が狭まり、自分本来の泳ぎができなくなってしまう。
その長く苦しい道のりを越えて、リオ五輪で頂点に立った男が再びオリンピックの舞台に帰ってきた。

だが、もはや萩野には、かつての力はなかった。
そんな荻野が決勝進出を決めたのだ。
「本当にいろんなことがあったんですけど。こうしてまた、もう1本決勝いけるなんて。そして、大也と一緒にまた泳げるなんて…もう神様がくれた贈り物としか思えない。すごく今幸せです」
感無量の涙を流す荻野。

そして、迎えた決勝。
萩野公介は7レーン、瀬戸大也は3レーンからのスタートとなる。
萩野は最初のバタフライこそ最下位でターンしたが、得意の背負泳ぎで3番手まで上げてくる。
続く平泳ぎでは、この泳法を十八番とする瀬戸大也が追い上げ、一気にメダル圏内の3位に浮上する。

ラスト50mの自由形、萩野は6位でターンする。
一方、瀬戸は熾烈なメダル争いの真っ只中だ。
そして、ゴール板をタッチする…。
惜しくも0.05秒届かず、瀬戸は4位に終わった。
萩野は6位でゴールした。

レースを終えると、萩野公介は清々しい表情を浮かべ、瀬戸大也と抱擁を交わす。
平井コーチも立ち上がり、惜しみない拍手を送っている。
敗れたとはいえ、瀬戸大也も準決勝より0.6秒以上タイムを縮める渾身のレースを展開した。
なによりも、二人が一緒に決勝のレースを泳げたことが素晴らしかった。

水から上がり、萩野は会場に向かって笑顔で手を振りながら、インタビュアーへと歩いていく。
瀬戸と共にインタビューを受けると、全てをやり切った表情で言った。
「タイムは遅いかもしれないが、全力を出し切ったので、今の僕に悔いはない」
そして、言葉を継いだ。
「トップの8人に入れて(決勝のレースで)また争うことができ、競技者としてこれ以上の幸せはない」

オリンピックチャンピオンが、決勝のレースを戦えただけで至福の時を感じているのだ。
この萩野の言葉にどれほどの想いが詰まっているかなど、我々が知る由もない。
ただ、この言葉の重みだけは、我々凡人にも伝わってくる。
そして、かつて頂点を極めた男が全力を出し切り悔いはないと、言い切れるほどの完全燃焼。
これ以上、求めるものなど何もない。

メダルこそ届かなかったが、萩野公介にはもっと大切なことを教えられた。

最後に、このことに触れぬわけにはいかぬだろう。
不屈の闘志で白血病を克服し、オリンピックの舞台で泳ぐ池江璃花子の姿は、間違いなくメダル以上の価値があった。

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