東京オリンピック名勝負⑩ ゴルフ界の好漢 ザンダー・シャウフェレの戴冠




去る8月1日、東京オリンピック男子ゴルフの最終ラウンドが行われた。
上位にビッグネームがひしめき合う大混戦の中、勝利を収めたのはザンダー・シャウフェレであった。

また、松山英樹は最終日のバックナインまで優勝争いに絡み、銅メダルを懸けたプレーオフにも進出したが、惜しくもメダル獲得はならなかった。

酷暑の中、世界の名手たちが賞金ではなく、オリンピックのメダルという名誉のために戦う姿は、4大メジャーとは一味違う雰囲気を感じさせた。


ザンダー・シャウフェレとは

今大会を制したザンダー・シャウフェレは、1993年10月25日に生まれたアメリカのプロゴルファーである。

父親は十種競技の選手で、オリンピックを目指していた。
しかし、交通事故で夢を断たれてしまう。
また、母親は日本育ちの台湾人であり、祖父母は今でも日本に暮らしている。

そして、ザンダー・シャウフェレは素晴らしい人柄でも知られている。
今年のマスターズでは、松山英樹と最終組を回っていたが、惜しくも敗れてしまう。
特に、前半のアウトではスコアを落とし、苦しいゴルフを強いられていた。
だが、そんな中でも、シャウフェレは松山が良いショットを打つ度に、「ナイスショット!」と声をかけていたのだ。
世界最高峰のタイトルを争っているライバル相手に、しかも自分が苦境に立たされているにもかかわらず、こうした態度をとれる選手はなかなかいない。

まさにザンダー・シャウフェレは、「ゴルフこそ紳士のスポーツである」という言葉に恥じぬ尊敬すべきゴルファーなのである。

熾烈な優勝争い

3日目の最終ホール、シャウフェレはピンをデッドで攻めるスーパーショットを放ち、14アンダーで最終日を迎える。
それを13アンダーの松山英樹が単独2位で追いかけ、マスターズと同じく最終組で回ることとなった。

最終日、最終組がスタートすると、まずはシャウフェレが好調な滑り出しを見せる。
1番、2番と連続バーディを奪ったシャウフェレは、前半の9ホールだけで4ストローク伸ばし、首位を快走する。

一方の松山は、なかなか波に乗ることができない。
他の選手たちがスコアを伸ばす中、ショートパットを外すなど苦しいゴルフが続く。

だが、さすがマスターズチャンピオンだけあって、松山英樹はタフである。
最も難易度の高い9番ホールでバーディを奪うと、11、12番と連続バーディで首位シャウフェレに2打差に迫ってきた。
これで2位タイに浮上する。
もちろん狙うは優勝であるが、通常のツアーとは異なりオリンピックはメダル争いも重要となる。

この二人に割って入り、一気に優勝争いに加わってきたのがスロバキアのロリー・サバティーニである。
14番ホールまでに、9ストローク伸ばす猛チャージで肉薄する。
その後も、16番のpar3こそボギーを叩くが、17番でバーディを取り返し、最終18番でも執念でバーディパットを捩じ込んだ。
今日だけで10アンダーの61で回り、通算17アンダーとする。
結局、1打届かず銀メダルに終わったが、参加選手の中で最年長となる45歳のサバティーニのプレーは、ベテラン健在ぶりを見せつけた。

サンデーバックナインに入り、徐々に風が強まる霞ヶ関CC。
こうなると、これまでのようにスコアを伸ばすのが難しい。

松山にとって痛恨だったのは、13番で約2mのパーパットを決められず、15番でもショートパットを外したことだろう。
残りホールが少なくなる中、さすがに致命的となった。

だが、松山英樹の頑張りがあればこそ、大会がここまで盛り上がった事実は見逃せない。
松山は不運にも新型コロナに感染し、今年最後のメジャー・全英オープンの欠場を余儀なくされた。
一時は、オリンピックの出場も危ぶまれたほどである。
実戦から遠ざかり、体力的にも厳しい中での優勝争いは、改めて彼の実力の高さを証明した。

優勝したとはいえ、シャウフェレも後半は苦しみながらの勝利であった。
最大のピンチは14番だった。
ティーショットが大きく曲がり、ラフを突き抜けブッシュに入ってしまったのだ。
とても打てる状況にないため、1打ペナルティでドロップするなど厳しいプレーが続く。
やっと5打目でグリーンに乗せ、何とか微妙な距離のパットを入れ、ボギーでまとめたのはナイスリカバリーといえるだろう。
1打落としたとはいえ、サバティーニと首位タイに踏みとどまった。

そして、勝負どころの17番、ほぼ同じ距離のバーディパットを残すシャウフェレと松山。
先に打つ松山が外したのとは対象的に、シャウフェレは完璧にラインを読んで決める。
18アンダーで単独トップに立った瞬間だった。

最終ホール、シャウフェレはティーショットをミスするが、緊張感漂う第3打をピンにピタリとつけるスーパーショットを放って勝負を決めた。
痺れる場面でのこのショット。
ザンダー・シャウフェレの精神力には脱帽である。

戦いの余韻が残る中、ザンダー・シャウフェレから笑みがこぼれる。
人柄が滲み出る素晴らしい笑顔だった。
終始、感情をコントロールした冷静沈着なプレーぶりが光った。

父の夢を受け継ぎ、母のゆかりの地でオリンピックチャンピオンに輝いたザンダー・シャウフェレ。
「父のために、私はどうしてもオリンピックで勝ちたかった。この勝利が他の何よりも欲しかった」
万感の思いを込めたコメントが心に響く。

好漢ザンダー・シャウフェレの優勝には、心から拍手を送りたい。

まとめ

7人にも及ぶプレーオフで勝利し、銅メダルに輝いたのは台湾の潘政琮(パン・チェンツン)である。
最後は全英オープン王者コリン・モリカワとの一騎打ちを制し、4ホールに及ぶ激戦を勝ち抜いた。

テレビ中継が途中で終了したこともあって、後から潘政琮が銅メダルを獲得したことを知り、私は祝福の気持ちでいっぱいになった。
それは、プレーオフの最中、彼の人間性が垣間見えたシーンを目撃したからである。

プレーオフ最初のホール。
ティーショットを打ち終えた潘政琮は、セカンドショット地点へと歩き出す。
よく見ると、その手にゴルフクラブを数本持っているではないか。
酷暑の中で重いゴルフバッグを担ぐ、キャディーの負担を少しでも軽くしようとしたのである。

このような光景は初めて見た。
耐え難い暑さに加え、オリンピックの銅メダルがかかった大事な場面である。
少しでも体力を温存し、自分のプレーに集中したいところだろう。
彼の思いやりにあふれた行動に、爽やかな一陣の風が吹き抜けたような気がした。

大混戦の大会は終わってみれば、台湾人の母をもつザンダー・シャウフェレが金メダルを、台湾出身の潘政琮が銅メダルを獲得した。
まさしく、台湾をルーツとする“素晴らしき”ゴルファーたちが輝く大会となった。 

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