スペインのリーガ・エスパニョーラが誇るビッグチームといえば、レアル・マドリードと共にFCバルセロナが挙げられる。
この2大チームはスペインにとどまらず、世界のクラブチームを代表する名門といえるだろう。
そんなバルサ(FCバルセロナの愛称)には、世界中から馳せ参じたスーパースター達が名を連ねている。
ここ最近の選手だけでも、メッシ、イニエスタ、シャビ、ロナウジーニョなど、枚挙に暇がない。
だが、そんなビッグネーム達をよそに、90年代のヨハン・クライフ率いるドリームチームのアイコンであり続けたジョゼップ・グアルディオラと並び、バルサの永遠のシンボルと謳われる選手がいる。
その男こそ、“魂の闘将”カルレス・プジョルである。
カルレス・プジョルとは
独特のカーリーヘアの長髪。
そして、シュレックの異名が示すように、決して色男とはいえない風貌。
彼を最初に見た時、私はアンドレ・ザ・ジャイアントか渋谷のモヤイ像かと思ったほどである。
ルックスだけでなくプレースタイルも、美しくスペクタクルなフットボールを御旗に掲げるバルサにあって、どこまでも泥臭く汗と埃の匂いがした。
だが、プジョルの場合、その埃が誇りを彷彿とさせるのだ。
プジョルは178㎝しかなく、海外のDFの中では小柄な部類に入る。
しかし、「岩壁」と称されるヘラクレスの如き鍛え上げられた屈強な肉体は、リーガの精鋭揃いのストライカー相手にも一歩も引けをとらない。
そのうえ、的確な読みに裏打ちされた献身的な闘志溢れるプレーは、世界最高のセンターバッグとの呼び声も高かった。
バルサの歴代監督達はもれなく「プジョルがいたからこそ、バルサの攻撃サッカーが成立した」と厚い信頼を寄せていた。
プジョルの代名詞である身を呈したプレーといえば、こんな場面を思い出す。
ゴール前、ロベルト・カルロスがフリーになり、左足を思い切り振り抜いた。
誰もが、ゴールが決まったと思った瞬間、プジョルがゴールポストの前に仁王立ちし、顔面でシュートを弾き出した。
ロベルト・カルロスの左足は“悪魔の左足”と恐れられ、フリーキックの際に壁を作る選手も逃げ出すほど、驚異的なスピードと破壊力を持っていた。
ところが、プジョルは僅か数メートルの距離から飛んで来る弾丸シュートに全く怯むことなく、顔面を投げ出して防いだのだ。
私は、カルレス・プジョルの勇気に心から感動した。
そして、プジョルの武器のひとつにヘディングの強さがある。
前述したように上背こそ決して高くはないが、当たり負けしない体の強さとジャンプ力を活かし、ディフエンスだけでなく攻撃の際にも大きく貢献した。
その象徴的シーンといえるのが、2010年ワールドカップ準決勝・ドイツ戦での決勝ゴールであろう。
終始押し気味に試合を進めていたスペインだが、後一歩のところで得点には至らない。
そんな重苦しいムードが漂う中、後半27分、スペインはコーナーキックのチャンスを迎える。
キッカーのシャビの右足から放たれたボールはゴール前に抜群の精度で上がると、そこにプジョルが飛び込みヘディングシュートを決めたのだ。
これこそ、プジョルの真骨頂ともいえる“魂のヘッド”であった。
真のキャプテン
プジョルの代名詞といえば、闘志を前面に打ち出した熱き魂がほとばしる全力プレーであろう。
まさに闘将と呼ぶにふさわしい、キャプテンシーの塊であった。
かつて、プジョル同様に闘将と呼ばれたキャプテンは数多存在した。
一例を挙げれば、ドイツ代表のゴールキーパーを務めたオリバー・カーンや、アイルランドのロイ・キーンなどである。
彼らは闘争心の権化ともいうべき存在であり、その迫力には敵チームはもちろん、チームメイトすらも震え上がった。
だが、プジョルは一味違う。
時にはチームメイトに厳しく接することはあっても、その根底にあるのは相手への敬意と理性的な言動である。
怒りや感情に身を任せることなく、あくまでも己を厳しく律し、ことにあたるのだ。
何よりも、彼は優しい心を持つ好漢なのである。
また、プジョルはどんな苦況でも決して試合を捨てず、逆に勝利が疑いようのない場面でも最後まで油断せず、全力投球でプレーし続けた。
それは、同僚の証言からも窺える。
「後半のロスタイムを迎え3対0で勝っていても、プジョルは全力でプレーし、変わらぬモチベーションで前線に指示を飛ばしていた」
こうした姿勢があればこそ「バルサの心臓」と讃えられ、チーム、ファンからの絶対的信頼を勝ち取ったのである。
カルレス・プジョルこそ、真のキャプテンとは何かを教えてくれる稀有な存在である。
素晴らしきフェアプレー精神
プジョルの長所を語り出すときりがない。
だが、彼の数ある美徳の中でも最も素晴らしいのは、フェアプレー精神と心の広さではないだろうか。
サッカー史において、プジョルのような激しいチャージを持ち味とするDFは、それこそ星の数ほど存在した。
その中で少なくない選手は、ボールに直接アタックするだけでなく、時には相手の選手生命を脅かすような危険極まりないラフプレイに身を投じる者もいた。
ところが、プジョルはあれだけの闘将でありながら卑劣なプレーを嫌い、正々堂々と尋常の勝負を挑む騎士道精神を持ち合わせていた。
恥ずかしながら、私は初めてプジョルのディフエンスを見て、激しいプレーと汚く卑怯なプレーの違いを理解できたといっても過言でない。
プジョルのスライディングは相手の足を狙わず、必ずボールに向かっていくのである。
数あるプジョルの称賛に値すべき振る舞いの中でも、特に忘れることができないシーンがある。
それは、興奮した敵の選手がプジョルの顔面を殴打した時だった。
その暴挙に、怒り心頭のロナウジーニョが相手に詰め寄った。
すると、プジョルは自分を殴った相手にではなく、一目散にロナウジーニョに駆け寄り、落ち着くように宥めたのである。
ピッチ上では、サッカー選手はやるかやられるかという極限状態で戦っており、いつ戦闘モードにスイッチが入ってもおかしくない。
だからこそ、あれだけのプレッシャーを背負いながら、逃げず・臆せずプレーできるのである。
そんな精神状態の中で、自分の顔を殴られて冷静でいられることなど有り得ない。
だがプジョルは、自分が殴られたことなど一顧だにせず、ロナウジーニョを止めに入ったのだ。
人一倍、闘志満々のプジョルであればこそ、より一層驚きを禁じ得ない。
そして、プジョルという男の本質を見た場面は他にもある。
ゴールを決めた後、チームメイトの数名が相手を侮辱するような踊りを始めた。
そこに矢のように現れたプジョルは、チームメイトを諭し、すぐさま止めさせる。
たとえ敵に対しても、相手の名誉や尊厳を踏みにじる行為を良しとしない、プジョルらしい行動である。
プジョルの高潔な精神を感じずにはいられない。
そんなプジョルのフェアプレー精神は、敵味方関係なく敬意を払われた。
それは、父親を不慮の事故で亡くすという、プジョルにとってあまりにも痛ましい出来事に直面した際のことだった。
リーグ戦において、対戦相手のエスパニョーラの選手達がプジョルを励ますために、メッセージ入りのTシャツを着て入場したのだ。
私は、エスパニョーラの選手達の心ある行動に深い感銘を覚えた。
そして、本来は敵である相手チームの選手がこのような行動をとることからも、プジョルへの深い敬意が伝わってくる思いがした。
バルサ・コンプレックス “ドリームチーム”から“FCメッシ”までの栄光と凋落 (footballista)
まとめ
2014年5月15日、FCバルセロナの本拠地カンプノウでプジョルは引退会見を行い、現役生活を終える。
それは、クラブ関係者をはじめ、共に汗と涙を流し一時代を築いたトップチームの選手達に見送られた、プジョルの人柄を偲ばせる素晴らしいセレモニーだった。
引退を受け、最も喜んだのは母親だったという。
いついかなる時も危険を顧みず、チームのために体を張っていたプジョルの肉体は限界を越え、満身創痍であった。
これで息子の心配をせずに、安心して眠れるという親心である。
現役を退いたプジョルは、いかにも彼らしい言葉を残してピッチを去った。
「バルサとフットボールのために全てを出し切った。クラブのために全力を尽くした男として、記憶してもらえるのであれば嬉しい」
カンプノウのピッチをトレードマークのカーリーヘアを振り乱し、全身全霊で駆け抜けたカルレス・プジョル。
その雄姿と熱き魂は、いつまでもバルセロニスタの心に生き続ける。