名将 ジョゼップ・グアルディオラ ~クライフイズム最後の継承者~





世界のサッカーシーンを沸かせた名将たち。

古くは“トータルフットボールの開祖”リヌス・ミケルスに、“空飛ぶオランダ人”ヨハン・クライフ。
さらに、マンチェスターユナイテッドの親分アレックス・ファーガソン、日本でもなじみ深いアーセン・ベンゲル、“ちょい悪オヤジ風”ジョゼ・モウリーニョらも名将の名をほしいままにした。

そんな数多いる名監督の中で、現代フットボールのインテリジェンスにして最高の指揮官を挙げるならば、ジョゼップ・グアルディオラとなるだろう。
現役時代もFCバルセロナとスペイン代表の柱石を担い、サッカーの神髄を知り尽くしたグアルディオラほど、知将の名にふさわしき者はいない。

ジョゼップ・グアルディオラとは

“ペップ”の愛称を持つジョゼップ・グアルディオラは、スペインのカタルーニャ州で1971年1月18日に生を受ける。
世界的クラブ・FCバルセロナの象徴的存在として崇められ、スペイン代表でも主軸として活躍した名プレーヤーだった。

カンテラ(FCバルセロナの下部組織)時代のグアルディオラ少年は、線が細くフィジカルが脆弱だったため、幾度となく解雇のピンチに立たされる。
そのたびに、師と慕う恩人に庇ってもらい、かろうじて選手を続けていた。

そんな中、グアルディオラに転機が訪れる。
バルサ(FCバルセロナの略称)の監督に就任した、ヨハン・クライフの目にとまったのだ。
クライフ自身、10代の頃はガリガリで必ずしもフィジカルに恵まれていなかった。
このような自らの経験により、フィジカルよりもテクニックに重きを置くクライフの慧眼は、若きグアルディオラの才能を見逃さなかった。

1990年にトップチームに昇格し、バルサのリーガ4連覇に大きく貢献する。
この時のバルサは“ドリームチーム”と呼ばれ、世界のフットボーラーが憧憬の念を抱いていた。
そして、ロマーリオ、ストイチコフ、ラウドロップなど綺羅星の如きスーパースターたちがクライフのカリスマ性に惹かれ、バルサに馳せ参じたのである。

しかし、豪華絢爛のスタープレヤーが顔をそろえる中、バルサのうるさ型のソシオたちから絶対的な信頼を勝ち取り、チームのアイコンとして牽引し続けたのがジョゼップ・グアルディオラだった。


グアルディオラ総論

現役時代

クライフイズムの源泉は、1970年代前半にヨーロッパのサッカー界を席巻し、1974年の西ドイツワールドカップで結実したトータルフットボールにある。
この革命的戦術をバックボーンとするクライフの哲学を、ピッチ上で展開した往時のFCバルセロナ。
当然、戦術を理解するためにはインテリジェンスが必要となり、その中心を担ったのが高い技術と戦術眼を持つ“ペップ”グアルディオラだった。

スペインでは、伝統的にセンターサークル付近のポジションをメディオセントロと呼び、重要視されてきた。
当時、リーガに君臨していた“ドリームチーム”において、その中盤のポジションを統べていたのが、ジョゼップ・グアルディオラである。
彼の背番号にちなみ、「4番といえばグアルディオラ。グラルディオラといえばメディオセントロ。メディオセントロといえば4番」と謳われていた。

グラルディオラは、オランダの“闘犬”ダーヴィッツのように豊富な運動量やボール奪取に秀でていたわけでもなく、それほど足が速いわけでもなかった。
もちろん、フィジカルが強いわけでもない。
彼の優れた能力は、視野の広さと正確無比なパスによるゲームメイクを特徴とする。
中盤の底から自在に繰り出される長短織り交ぜた多彩なパスは、これぞレジスタの真骨頂というべきものであり、足元から送られた1本のパスで何度決定機が生まれたことか分からない。

また、こんなエピソードもある。
バルサの本拠地「カンプノウスタジアム」の記者席からはピッチ全体を俯瞰して見ることができ、プレー中の選手たちよりもスペースを発見しやすい。
だが、グアルディオラは、恵まれた環境で観戦する記者たちでさえ気付かないピンポイントのスペースへ、針の穴を通すようにパスを供給していた。
この匠の技が何度観る者を唸らせたことか。

さらに、現役時代のグアルディオラを称し、「バルサの攻撃は前線にダイレクトパスを出すよりも、グアルディオラを経由する方が迅速に敵陣へボールが届く」と言わしめた。
まさに、グアルディオラの名言「パスより速いドリブルはない」を具現化していたのである。

このような“ペップ”の上品で優雅なプレースタイルは、一家言あるソシオたちを魅了し、幸福なひとときをもたらした。

監督として

“ペップ”グアルディオラは、監督して比類なき栄光に浴している。
最初に監督を務めたFCバルセロナでは、チームにかつてないほどのタイトルをもたらした。
続く、バイエルン・ミュンヘンでも成功を収め、ブンデスリーグでも通用することを証明した。
現在は、プレミアリーグのマンチェスター・シティを指揮しており、就任してから6年で4度のリーグ制覇を果たしている。

現役時代から有していた高い戦術眼が、監督としても成功した要因になったことは間違いない。
そして、「ゼロトップ」「偽サイドバック」などを編み出したグアルディオラの先駆的戦術は、今なお進化し続けている。

そんな名将の礎となっているのは、やはり「トータルフットボール」を源流とするクライフイズムである。
ポジションチェンジを繰り返し、チームに流動性を生み出していく。
高い技術と相まって圧倒的なボール支配率を可能とし、流れるようなパスを繋いでいく。
その攻撃的で美しいサッカーは、クライフが目指していた理想を体現する。
まさに、ジョゼップ・グアルディオラこそ“トータルフットボール最後の伝道師”と呼べるだろう。

そして、あるバルサファンの言葉ほど、グアルディオラを端的に表したものはない。

「グアルディオラの言動は、かつて我々の祖父母が家で教育してきたことと同じである。努力や自己犠牲の精神、与えられた仕事への献身の大切さ。こういう当たり前のことを実践しているにすぎない」

もちろん、グアルディオラはサッカーに対する深い知見や卓越した指導力でチームを栄光に導いた。
しかし、特別なメソッドを用いて指導したというよりは、むしろ普遍的な常識や美徳を行動規範とする彼自身がメソッドといえるのではないか。

「私は特別な何かを持っているわけではない。私が持っているのは、最高の選手たちだけだ」

確信に満ちた表情でそう語る指揮官に、選手が信頼を寄せない道理はない。

現役時代、バルサのアイコンとして活躍したグアルディオラであるが、晩年はイタリア、カタール、メキシコでプレーした。
とりわけ、バルサからイタリアのブレシアに移籍した時はバルサファンのみならず、スペイン中に衝撃が走った。
さらに、イタリアに渡った彼の姿が追い打ちをかける。
あの知的で謹厳実直な“ペップ”がイタリア文化に染まり、以前の姿からは想像だにできぬ軽薄なファッションに身を包んでいたのである。
そして、その似合わなさがスペイン国民の悲しみを増幅させた。

しかし、そうした経験が“ペップ”を監督として成功に導くのだから、人生は分からない。
様々な国でのプレーにより異文化との接点を持ち、その体験が異文化の混在するバルサという巨大な多国籍軍をまとめ上げる原動力になったのである。

また、“ペップ”は只の温厚篤実なインテリジェンスの塊ではない。
監督に就任早々、ロナウジーニョとデコというチームの中心に君臨し、アンタッチャブルな存在と化していた二人のクビを切ったのだ。
前任のライカールト政権時代に規律を守らず、チームに悪影響を及ぼしていたためである。
批判を恐れず厳格な決断を下すのも、名監督の条件であろう。

実は、ヨハン・クライフに加えてもう一人、“ペップ”には師と呼べる人物がいた。
それは16歳で監督となった経験を持つ、ファン・マヌエル・リージョなるスペイン人である。
プロとしての経歴を持たない異色の彼こそが、グアルディオラに多大なる影響を与えた。
その交流は1996年に初対戦した試合終了後、グアルディオラがリージョを訪ねた時から始まった。
それ以来、敵味方に分かれていたにもかかわらず、戦術やサッカーの未来について意見を交換していくうち、互いに尊敬の念を深めていく。

リージョは語る。

「選手時代の“ペップ”と話し、彼のサッカー観を理解して私は確信した。彼は必ず監督として成功すると」

そして、自らのサッカー観にも言及した。

「リスクを冒さないプレーが、実は最も危険な行為なのだ。だから、私はリスクを冒す」

素晴らしい見識に目からウロコが落ちるのは、私だけだろうか。
この世の真理を穿つリージョだからこそ、グアルディオラほどの人物が師と仰ぐに違いない。

まとめ

サッカー界の“ジーザス”ことヨハン・クライフ最後の愛弟子ジョゼップ・グアルディオラ。
バルサの監督時代、恩師クライフをラファエロに喩えてこう言った。

「現在のバルセロナのサッカーの原案は、クライフが監督を務めていた時代の“ドリームチーム”と呼ばれたバルセロナである。したがって、自分はそれに色を施して作品を作り上げたラファエロの弟子にすぎない」

知性と謙虚さが垣間見える、いかにも“ペップ”グアルディオラらしい言葉である。

そして、続けた。

「クライフが現代サッカーの基礎を作りあげた。それを発展させるのが続く指導者たちの役割である」

リヌス・ミケルスが考案し、ヨハン・クライフが体現したトータルフットボールは“ドリームチーム”を介して、ジョゼップ・グアルディオラにエッセンスが継承された。
そして、“ペップ”グアルディオラが、リオネル・メッシら稀代の才能と邂逅を果たすことにより、さらなる進化を遂げる。

とかく勝利至上主義が跋扈する今の時代、観客を魅了するスペクタクルなフットボールを展開することは難しい。
そんな世の中なればこそ、ジョゼップ・グアルディオラに続く、新たな“トータルフットボールの伝道師”が現れることを切に願う。


ペップ・シティ スーパーチームの設計図