柔道最終日、混合団体が行われた。
日本は東京大会で準優勝に終わり、今大会での復権を目指す。
結果は土俵際までフランスを追い詰めたものの、武運つたなく会場のシャン・ド・マルス・アリーナで散った。
しかし、強豪フランスに互角以上に渡り合った日本チームには称賛の言葉しか見当たらない。
戦前予想
メンバーを見た限り、多くの方が日本とフランスの決勝が濃厚だと思ったに違いない。
だが、日本は東京大会に比べると女子重量級での素根輝の離脱など、戦力ダウンが否めない。
かくいう私もフランス代表のメンバーを改めて確認し、絶望的な気分に陥った。
明らかに東京大会よりも、日本とフランスの戦力差が開いているような気がしたからだ。
エース・リネール擁するフランスはどの階級も穴がなく、むしろ金メダル級の実力者がひしめき合っている。
このように日本は苦しい戦いが予想された。
2回戦
日本は2回戦からの登場し、スペインと対戦する。
阿部詩が順調に勝つなど、3勝1敗と王手をかける。
しかし、そこから重量級で連敗し、いきなり代表戦までもつれ込む苦戦を強いられるが、最後は髙市未来が代表戦を制し薄氷の勝利を収めた。
やはり、日本は男女とも重量級の戦いが鍵になる。
そんな中、個人戦で見たかった好カードが実現した。
男子90キロで激突した“令和の三四郎”村尾三四郎とモサクリシビリの対戦だ。
モサクリシビリは、準決勝で優勝したベカウリと名勝負を演じたほどの猛者である。
元ジョージア出身の選手らしいパワー柔道は侮れない。
開始早々、モサクリシビリの強烈な内股を村尾は何とか堪える。
やはり接近戦から引きつけられると危険極まりない。
今度は村尾がお返しとばかり、大内刈りから小外刈りの連絡技であと一歩まで追い詰めた。
さすが90kg級屈指の実力者同士である。
そして開始2分、村尾の大外刈りが決まり技ありを先取する。
その後、モサクリシビリがフィジカルの強さを生かし猛攻を仕掛けたが、村尾がきっちり捌き優勢勝ちを収めた。
準々決勝・準決勝
準々決勝はセルビアに4勝1敗、準決勝もドイツ相手に4連勝で決勝に駒を進めた。
私は準々決勝における永瀬貴規の試合が印象に残る。
永瀬は男子90キロで登場し、90kg級でも有数の実力者マイドフと対戦する。
実はその永瀬。
個人戦では81kg級に出場した。
つまり1階級下の選手であり、柔道は1階級変わるだけでパワーと体格が全く違ってくる。
さすがの永瀬も苦戦が予想された。
ところがどうだ。
永瀬はいつもどおりの戦いで真っ向勝負を挑んでいく。
そして試合が進むうち、得意の組手で圧倒した。
90kg級でも有力なメダル候補だったマイドフが、何もさせてもらえず指導を重ねていく。
結局、ゴールデンスコアに入った戦いは、マイドフが技を出せず指導3回で反則負けとなる。
1階級上の世界ランキング2位の強豪を横綱相撲で完封した永瀬。
我々一般人に強さが伝わりにくい永瀬には、この言葉を送りたい。
「力とは力が見えぬことなり。強さとは強さが見えぬことなり」
大野将平が常々語っていた「永瀬最強説」が、いよいよ現実味を帯びてきた。
決勝
決勝戦、最初の試合は男子90キロである。
“日本のエース”村尾三四郎の登場だ。
対戦カードからも、ここを落とすと非常に厳しくなる。
絶対に負けられない重圧が双肩にかかっているはずなのに、村尾の安定感と落ち着きは頼もしい。
完全アウェイの中、得意の足技を果敢に仕掛け、最後は大内刈りで討ち取った。
見事な一本勝ちに日本は勢いづく。
続く女子70キロ超級、なんと高山莉加がディコを破ったのである。
1階級上のディコは最重量級でも最強クラスの選手であり、高山との体格差も相まって最も勝機が薄い一戦と感じていた。
素根輝の不在を嘆く私の前で早々と指導2回で追い込まれながらも、ワンチャンスをものにして技ありを奪い、そのままディコの猛追を凌ぎ切る。
大内刈りでディコの巨体が仰向けになったとき、我々は間違いなく奇跡の瞬間を目撃した。
そんな高山莉加の魂の柔道に、私は心の中でそっと謝罪する。
男子90キロ超級でリネールが斉藤立を屠り、2勝1敗で迎えた女子57キロで我々は再び興奮の坩堝に呑み込まれた。
57㎏級のシジクに対し、48㎏級の角田夏実という2階級異なるふたり。
しかも、シジクは57kg級で最強の一角を占めており、通常なら下の階級の選手では相手にならない。
角田は序盤から素早い動きで迫るシジクに何度も巴投げを試みる。
そこは、さすがシジクである。
余裕を持って受け止めた。
しかし、角田は技を掛けながらポイントを修正し、徐々に自分の型に嵌めていく。
そして開始2分過ぎ、ついに伝家の宝刀が一閃する。
シジクの体が宙を舞いながら弧を描き、パリの畳に仰向けに投げられた。
もちろん文句なしの一本である。
今夜2度目の奇跡の訪れに鳥肌が立ったが、この勝利は実力なのかもしれない。
それほどまでに、角田の巴投げは一撃必殺の威力を秘めている。
さあ、舞台は整った。
次戦、男子73キロには阿部一二三が登場する。
だが、再三再四にわたり惜しい攻撃を繰り出すも、1階級上の銀メダリスト・ギャバを仕留めきれない。
大熱戦のまま、試合はゴールデンスコアに突入する。
すでに指導2回を受けているギャバだが、阿部の攻めに防戦一方となる。
本来なら、とっくに3回目の指導が来ていいはずなのだが…。
徳俵に足がかかったギャバが見せた意表の奇襲に、阿部の背中は無情にも畳につく。
そして最終戦、女子70キロで髙市未来とクラリス・アグベニューが相まみえた。
王手をかけた日本だが、私は本日3度目の暗澹たる気持ちに陥った。
このアグベニュー。
私見だが、ここ最近の女子柔道界でパウンドフォーパウンドに位置するのが彼女だからである。
高い身体能力に裏打ちされた驚異のスピードとパワー、そして技のキレ。
その破壊力をもってして東京大会の団体戦では、1階級上の金メダリスト新井千鶴に完勝した。
同じ階級の髙市がアグベニューを投げるシーンが浮かばない。
ところが、個人戦の悔しさを晴らすように髙市は前に出る。
思えば、最強柔道家アグベニューも東京五輪後に出産し、年齢も30の大台に乗った。
全盛期に比べると、衰えを感じる場面も増えてきた。
しかし、優勢に試合を進める髙市に、アグベニューの勝負強さが炸裂する。
アグベニューの気持ちの強さ、そして意地を見た気がした。
最後は代表戦となり、リネールが斉藤立を下し、熱戦にピリオドが打たれた。
所感
柔道混合団体は今回のオリンピックで、最も複雑な気持ちを抱く競技となった。
とにかく、日本チームの予想を上回る善戦は目を見張る。
決勝のカードを見たとき、正直勝てそうなのは男子90キロの村尾三四郎と、男子73キロの阿部一二三しかないと感じた。
ところが、高山莉加と角田夏実が下馬評を覆してくれたのだ。
特に重量級のエース素根輝の不在を埋めた、高山の頑張りには頭が下がる。
明暗を分けたのは、5回戦の阿部一二三とギャバの試合だろう。
私は客観的に見て、阿部の優勢勝ちだったと思う。
延長戦に入り、攻め続けた阿部に対し、ギャバは全く技が出ない。
あれで指導が入らないのならば、ルールブックから除外すべきだろう。
とはいえ、個人戦以上に白熱する団体決勝の、それも優勝決定の場面で地元フランスに反則負けを宣告することはないと思っていた。
シドニー五輪で誤審に泣いた篠原信一とドゥイエが戦った世界選手権の事例があるからだ。
それはパリで開催された95㎏超級の試合に起こった。
積極的に攻めた篠原がなぜか指導を受け、最後は不可解極まりない反則負けの憂き目に遭う。
明らかなホームタウンデシジョンに、何とも後味の悪い結末となる。
さらに、歯に衣着せぬ解説に定評のある穴井隆将が苦言を呈すどころか「かなり効いているので3つめの指導という思いもあるんですけど、なかなか審判も出せないかな」と言っていた。
この発言で、私は完全に反則勝ちを諦めた。
いくら阿部一二三とはいえ、審判に守られた1階級上のメダリスト相手では難しい。
代表戦の抽選結果は半ば予想していたが、現実に起こった瞬間、苦笑いが止まらない。
ここまで出来過ぎたストーリーがあるのかと…。
だが、プレッシャーを跳ねのけ、勝ち切ったリネールは称賛に値する。
勝てるとは思わなかったが、ここまでリネールと斉藤に差があったとは。
正直、斉藤がリネールを投げる姿が想像できなかったのは、私だけだろうか。
それにしても、日本チームは本当に良く戦った。
胸を張って帰って来て欲しい。
まとめ
決勝戦に加え、3位決定戦の2試合も代表戦にもつれ込んだ柔道混合団体。
東京大会より参加国も増え、盛況のまま幕を閉じた。
日本にとっては残念な結果に終わる中、私はふと東京五輪後の井上康生の言葉を思い出す。
「これまで個人戦で負けることはあっても、総力戦で負けることは絶対にありませんでした。逆にいえば、柔道がこれだけ国際的なスポーツ競技になったんだなと。嘉納治五郎先生をはじめとする先人たちも喜ばれているんじゃないかなと思います。柔道を通じて世界の人々と友好を深め、切磋琢磨していきながらレベルアップを図っていく。また、世界の国々に大きな夢や希望、感動を与えていく。これこそが、我々の理想とするものだと思います」
柔道の精神「自他共栄」の意義を語った箴言に、私は深く首肯した。
世界に広まることにより、柔道が“JUDOへと変化していく様に一抹の寂しさが残ることも事実だろう。
しかし、日本の柔道家が“柔の精神”を体現し、その素晴らしさを世界の人々が享受する。
そんな「日本柔道」を、私はこれからも観ていきたい。