忘れ得ぬオリンピック名勝負の記憶①
ダン・ジャンセン ー女神が微笑んだ奇跡の瞬間ー  





オリンピックの表彰台で、国旗掲揚と共に何度アメリカ国歌が流れたことだろう。

しかし、その数多の光景の中で、私には今も瞼に焼き付いて離れない思い出のシーンがある。
私はこの時ほど、心に沁みるアメリカ国歌を聞いたことがない。

それは、1994年に開催されたリレハンメルオリンピックでの奇跡の瞬間だった。

悲運の王者

ダン・ジャンセンは、アメリカ合衆国に生まれたスピードスケートの短距離選手である。
1984年に開催されたサラエボオリンピックには19歳で出場し、500mで4位入賞を果たす。

順調にキャリアを重ね、4年後のカルガリーオリンピックでは500mと1000mの2種目で最も金メダルに近い存在といわれていた。
そんなジャンセンに悲劇が襲う。
500mのレース直前、仲睦まじかった最愛の姉が闘病の末、白血病でこの世を去ったのだ。
その悲報を聞いたダン・ジャンセンは、第1コーナーで転倒してしまう。
たとえレース前でも、必ず姉の逝去を報告するよう頼んではいたものの、やはり心の動揺を抑えることが出来なかったのだろう。

そして、1000mでは序盤から快走を続け、600mの通過タイムでは世界記録を上回るラップを叩き出していたが、最後の直線でまさかの転倒を喫してしまう。
リンクの上を這いながら、茫然自失となるジャンセンの姿が痛ましい。

続く1992年のアルベールビル大会で雪辱を期すダン・ジャンセン。
オリンピックのわずか3週間前に世界記録を出すなど絶好調が伝えられ、否が応でも金メダルへの期待が高まっていく。
だが、またもや得意の500mで失速し4位に終わる。
1000mにいたっては出だしこそロケットスタートを見せるが、玉砕覚悟のオーバーペースが祟り惨敗した。

温かいファンの励まし

ダン・ジャンセンは、常日頃から「人よりいい記録を出したいとは思わない。自分の記録を伸ばすことだけを考えている」と語っていた。

アルベールビルオリンピックの後、失意に暮れるジャンセンのもとに全米中から沢山の手紙が届く。
その中に、ファンの子どもから送られてきた1通の手紙があった。
そこには、「金メダルでなくとも、ベストを尽くすことが大事です」と書かれている。
ジャンセンはこの手紙を見ながら、子ども達に自らが大切にしてきた精神が伝わっていると喜びを隠しきれない。
「でも、手紙の続きに『金メダルを取ってね』と書いてあるんだ」と笑いながら話すジャンセン。

こうしたファンの温かい励ましに笑顔が戻り、気持ちが徐々に前向きになっていく。
そして、次期開催のリレハンメルオリンピックに向けて、再び快進撃を始めるのであった。



最後のオリンピック

冬季オリンピックの開催を夏季オリンピックとずらすため、リレハンメルオリンピックは2年後の1994年に行われた。
すでに29歳となり、ベテランに差し掛かっていたジャンセンにとって、これは幸運といえるだろう。

ダン・ジャンセンは、このオリンピックを競技人生の集大成とするべく悲壮な決意で臨んでいた。
直前のワールドカップにおいて、500mでは連戦連勝で向かうところ敵なしの様相を呈していたことに加え、史上初の35秒台という前人未到の領域に足を踏み入れていた。
まさしくジャンセンこそ、氷上では人類最速にして、唯一無二の存在だったのである。

そんな王者に勝負の時が訪れる。
男子500mのスタートラインに立つダン・ジャンセン。
ピストルの号砲が鳴るとスタートダッシュを決め、スピードに乗るジャンセンの滑り。
しかし、第2カーブでバランスを崩し、手をついてしまう。
コンマ何秒を争う世界で、このミスは致命的となった。
結局、8位に沈む。

なぜ、ジャンセンは、オリンピックでは結果を出せないのだろう。
そして、なぜ勝利の女神は、ダン・ジャンセンという心優しき男に微笑まないのだろう。
優しすぎるがゆえに、4年に1度の檜舞台、それも一発勝負という厳しい戦いでは力を発揮できないのかもしれない。
優しさは、時として弱さにつながってしまうからだ。

それにしても、10年近くに渡りトップに君臨し続け、4度のオリンピックに出場しながら金メダルはおろかメダルを一つも獲得できないことなどあるのだろうか。

とうとう、最後のオリンピックの、最後のレース当日を迎えた。
その種目とは男子1000mである。
オリンピックシーズンを迎え、500mでは他を寄せ付けない圧倒的な強さを見せつけてきたジャンセンだが、1000mでは今ひとつ調子の波に乗れずにいた。
こうしたことも手伝い、ダン・ジャンセンが悲願の金メダルを手に入れることは、誰しもが無理だと諦めていた。

しかし、唯一人、ダン・ジャンセンだけは下を向くことなく、最後のレースに覚悟を決めて挑んでいた。

「お前はいつだって速かったじゃないか。さあ、滑ってこい!」

人生最後のレースを目前にして自らに叱咤激励の言葉を投げかけ、己の心を鼓舞する“最速の男”ダン・ジャンセン。

そして、スターターの合図を皮切りにレースが始まった。
今シーズン、あれほど精彩を欠いていた1000mにもかかわらず、最速のラップを刻み続ける。

日本人選手が同走しているというのに、テレビ中継の解説者も我を忘れて“悲運の王者”を応援している。
いや、世界中のファンが一つになって、エールを送っていたに違いない。

残り400mの地点で、なんと!トップのタイムを上回ってきたではないか。
ラスト1周に入り、さらに歓声が湧きあがる。
もはや、ダン・ジャンセンへの声援しか聞こえない。

しかし、またもやコーナーでよろめき手をついた。
500mの悪夢が甦る…。
一気に、リレハンメルの会場は悲鳴に包まれた。

バランスを崩しながらも、ダン・ジャンセンは必死に前へと進む。
だが、最終コーナーを回り、完全に腰が上がってしまった。
その滑走を見た私は、ダン・ジャンセンの金メダルを完全に諦めた。
通常、スピードスケートでは重心を低くして滑ることが何よりも肝要であり、腰が上がると失速してしまう。
そもそも腰が浮いてしまうということは、抑えが効かなくなっている証拠であり、疲れ切って余力がないということなのだ。

ところが、どうだ!
直線に入っても全くスピードが落ちず、加速しているように見えるではないか。
両手を懸命に振りながらゴールラインを駆け抜けると、速報タイムの横に“WR”という世界新記録の表示が躍っているではないか!

オリンピックの夢舞台では一度も振り向くことがなかった勝利の女神が、最後の最後で“悲運の王者”に祝福の微笑みを送った瞬間だったに違いない。
そして、その女神とは亡き姉ジェーンなのではないだろうか。

何度もガッツポーズを取り、感無量の表情を浮かべるダン・ジャンセン。
そして、観客席で喜びを爆発させ、号泣する妻。
誰よりも家族を大切にするジャンセンらしい、感動的な光景だった。

アメリカ国歌の美しい旋律が流れる中、表彰台の1番高い場所から星条旗を仰ぎ見る、青い瞳に光るものがあった。
そして、天に向かって亡き姉に感謝を捧げるダン・ジャンセン。
長かった道程の末に悲願を達成し、言葉では語り尽くせぬ思いを噛みしめるジャンセンの姿に、格別の趣きを感じたのは私だけではないはずだ。

セレモニーが終わり、ダン・ジャンセンは家族と喜びを分かち合う。
その胸には金色に輝くメダルがかけられ、そして腕には、金メダルよりも大切な姉と同じ名を持つ最愛の娘が抱きしめられていた。