日本将棋連盟会長にして永世七冠資格保持者の羽生善治が最終戦に敗れ、B級1組からの陥落が決定した。
私にとって羽生善治という棋士は棋界の枠を超え、最も尊敬できる人物のひとりである。
常に自分のことより将棋界の発展のために尽力してきたその姿には、只々尊敬の念を禁じ得ない。
それだけに、今回の出来事には未だ心の整理が追いつかない。
いや、私だけでなく多くの将棋ファンも同様なのではないだろうか。
大山十五世名人の威容
羽生善治永世七冠の記録を更新し、史上最強棋士として名を残す有力候補といえば藤井聡太七冠をおいて他にいまい。
いくら羽生ファンの私でも、藤井七冠の実力は認めざるを得ない。
そして、もうひとり忘れてならないのは「将棋界の巨人」大山康晴十五世名人である。
歴代の通算記録こそ次々と羽生さんに抜かれたが、棋界の覇者としての存在感は決して引けを取らないように思う。
A級連続在位44期(名人18期を含む)に加え、69歳まで生涯A級を全うした威容には言葉もない。
しかも50代以降でのタイトル獲得11期も、これまた俄には信じ難い。
こうした記録面のみならず、大山十五世名人の凄味はその内容にある。
68歳でガンの手術を受けたのちA級順位戦に復帰すると、疼くような痛みに耐えながら残り3戦を全勝し名人挑戦のプレーオフに進出する。
しかも倒した相手が米長邦雄・高橋道雄・谷川浩司という、当時のA級きっての実力者だったのだ。
結局、プレーオフでは終盤に失着があり高橋道雄に敗れてしまったが、この偉業には魂が震えたことを覚えている。
その直後ガンが再発し、半年も経たず永眠したとなれば尚更だ。
大山十五世名人に感じるのは単に将棋の実力だけでなく、その驚異的な精神力、そして決して折れることなき人間力である。
さすがの大山も還暦を過ぎた頃からは度々A級陥落の危機に瀕しながら、幾度となく土俵際で凌いでいった。
A級陥落時点での引退を公言していたこともあり、そのプレーシャーは察するに余りある。
それをおくびにも出さずに巌のような頑健さで、対戦相手を圧倒する姿はまさに威容としか言い表せない。
私が現在の羽生さんに一抹の寂しさを隠せないのは、こうした大山康晴十五世名人の二枚腰を見てきたからかもしれない。
A級陥落のときもだが、今期の順位戦も勝負どころの対局をあっさりと落としてしまった印象がある。
年齢のこともあり、往年の羽生将棋を観ることが難しいことは理解している。
さらに会長職の激務も双肩に担っている。
だが、大山十五世名人も会長でありながら、驚異の実績を残し続けてきた。
大山の時代とは違いAIが隆盛を極め、研究の有無が勝敗に直結する、厳しさを増す昨今の将棋界。
おそらく羽生会長には研究に割く時間は、ほとんどないのかもしれない。
それでも前時代の覇者として、81マスの無限の宇宙に人生を賭した将棋指しとして、大山康晴十五世名人のような底力を見せて欲しかったと思うのは私だけだろうか。
最後に
貧しき時代に生を受け、数多の尊い命を失った戦禍を潜り抜け、あまつさえ名人の座に居ながら香落ち戦で敗れるという屈辱を喫した大山康晴十五世名人は、どんな苦境にも決して心折れることなく乗り越えてきた。
そんな不世出の巨星と、平和な時代に生まれた現代の棋士を比べること自体、ナンセンスなのかもしれない。
ましてや現代は情報が生命線であり、研究に費やす時間の多寡が勝敗に直結する時代なのだから。
私は一つ大きな勘違いをしていた。
今回の順位戦陥落で、現役引退になるかもしれないと。
そもそもが順位戦から退場したとしても、フリークラス転出という道があるのをすっかり失念していた。
羽生善治永世七冠は余人に代えがたき存在であり、その類まれな善性は今もなお多くのファンの心を掴んで離さない。
B級2組で戦うにしろフリークラスに転出するにせよ現役を続け、対局姿を見せていただければ幸いに思う。