3月11・12日に行われた王将戦第6局。
藤井聡太王将が挑戦者の羽生善治永世七冠に88手で勝利を収め、4勝2敗でタイトルを防衛した。
羽生永世七冠は、惜しくもタイトル通算100期獲得はならなかった。
今回の第6局は、両者ともに厳しいスケジュールの中での対局となる。
藤井王将は3月に入り、棋王戦第3局と順位戦を2局こなしている。
特に、広瀬章人八段とのA級順位戦プレーオフは3月8日に深夜まで行われ、本局は中2日で臨むこととなった。
一方、羽生挑戦者は3月9日にB級1組順位戦最終局を戦い、中1日での対局である。
しかも、翌日の3月10日には対局場検分などがあり、佐賀県「大幸園」まで休む間もなく移動した。
藤井王将もだが、52歳の羽生永世七冠にはとりわけ厳しく感じる。
無理は承知だが、できればあと数日でよいので間隔を空けてもらえれば…そう思わずにはいられなかった。
藤井聡太王将
終わってみれば、やはり藤井王将は強かった。
これでタイトル戦初登場以来、負けなしの12連覇である。
弱冠20歳にして、タイトル獲得12期は十八世名人の有資格者・森内俊之と並んだ。
第6局は50手目に放った7四角が印象に残る。
攻めては角成りを見せつつ、受けては飛車成りと7四の桂頭のキズを消す一石三鳥とも言うべき攻防の妙手である。
自ら好きな駒に挙げる角が、タイトル防衛の原動力となった。
思えば、スマホカンニング疑惑で世間を騒がせた将棋界を救ったのが藤井聡太だった。
わずか14歳2ヵ月でプロ入りすると、デビューから破竹の29連勝を飾るなど華々しい活躍を見せる。
そして、史上最年少記録のタイトル獲得をはじめとし、様々な記録を更新し続けていることは周知のとおりである。
我々将棋ファンからすれば、まさに神様、仏様、藤井様といえるだろう。
永世名人の至言
王将戦が盛り上がりを見せる中、永世名人たちの藤井王将への至言も素晴らしく感じる。
谷川浩司十七世名人は自著でも触れるなど、折に触れ藤井五冠に言及してきた。
谷川は苦笑交じりに言う。
「みんなで寄ってたかって藤井王将を強くしている」
今回の羽生挑戦者もだが、一流棋士たちが打倒藤井に心血を注ぎ、創意工夫を凝らして向かってくる。
だが、藤井五冠は羽生永世七冠と同様に、ライバル達が磨きをかけた得意戦法から逃げることなく堂々と迎え撃つ。
そうした積み重ねが、藤井聡太をより高みへと誘うのである。
谷川浩司の発言は、藤井聡太のそうした姿勢を高く評価すればこそなのだ。
将棋の真理を探究し、時代の覇者として王道を歩む藤井聡太五冠。
一体どこまで強くなるのだろうか…楽しみでもあり少し怖くもある。
そして、中原誠十六世名人が語った藤井五冠への労いの言葉である。
「大好きな電車にでも乗って、ぼんやりする時間を作って欲しい」
王将戦終了後も棋王戦や名人戦など、大一番が続く若き天才への眼差しがとても優しく感じる。
若くして棋界の頂点に立った中原もまた、言葉では語り尽くせぬ苦労や重圧があったことだろう。
そんな“棋界の太陽”中原誠なればこそ、藤井聡太の置かれた立場を誰よりも慮れるに違いない。
大名人のあたたかき至言が心に響いた。
羽生善治挑戦者
前時代の覇者として、タイトル戦できちんとバトンを渡す大役を務めたことは立派である。
そして、なによりも今期の王将戦をここまで盛り上げた立役者、それが羽生善治永世七冠といえるだろう。
勝利した第2局と第4局には、とても感動した。
将棋観戦で、ここまで高揚したのは久しぶりのことだった。
しかし、それ以上に、印象深いのは第5局である。
たしかに、その対局は残念ながら敗れてしまった。
だが、あの藤井五冠相手に1日目で不利になり、2日目の昼前には完全に藤井曲線が描かれる中、一時は態勢を入れ替えたのである。
おそらくタイトル戦で、こうした事態は初めてではなかったか…。
評価値で約80%藤井王将に傾き、多くの人が諦めそうになってから次々と繰り出す勝負手。
その変幻自在の指し回しに、さすがの藤井王将も間違えてしまう。
AIでは計れない羽生マジックが、藤井五冠にも通用することを証明した瞬間だった。
全盛期の羽生さんならば、勝敗の行方は分からなかったことだろう。
今回の王将戦で感じたことがある。
それは、単なる読みの精度や深さを超えるものの存在だ。
古武術でも見られる筋力や破壊力だけでない、形容しがたい力である。
かつて、中原誠名人が語った言葉がある。
「タイトル戦などの大きな勝負を経験することにより、独特の大局観が養われる」
羽生挑戦者の奮闘に、その言葉が思い浮かぶ。
それは“名人に定石なし”という境地にも通じるのかもしれない。
純粋な棋力だけならば、渡辺名人や豊島九段、永瀬王座の方が現在の羽生永世七冠よりも上回っているだろう。
だが、タイトル戦の常連である彼らも藤井五冠には圧倒されている。
翻って、羽生さんは今回の王将戦で藤井五冠をかつてないほど苦しめた。
まさしく、達人を思わせる戦いぶりだった。
こんな将棋は、大山康晴十五世名人以来ではないだろうか。
「強さとは強さが見えぬものなり」
「力とは力が見えぬものなり」
これらの言葉を具現化する、パワーでも瞬発力でもない無形の力。
そうした目には見えない、数値化できない強さを、羽生善治永世七冠は纏っていたような気がした。
まとめ
第72期王将戦は疑いようもなく、歴史に残るタイトル戦となった。
羽生ファンの私にとっては残念な結果となったが、勝敗を超越した名勝負を堪能させてもらい、感謝の言葉しか見当たらない。
史上2人目の七冠を射程圏内に入れた藤井聡太五冠王。
52歳にして新時代の王者と伍して渡り合った羽生善治永世七冠。
両雄が奏でた清涼なる駒音は、棋界の明るい未来を予感させた。