来月、カタールで開幕するサッカーワールドカップ。
ワールドカップといえば、私には今も忘れられないチームがある。
1998年のフランスワールドカップに出場したオランダ代表である。
オレンジに輝くユニフォームを身に纏い、トータルフットボールの流れを汲む美しくもスペクタルなプレーの数々。
それはサッカーというよりも、フットボールと呼ぶべき精神が宿りしものである。
20年以上の時を経た今でも、あの光景は昨日のことのように目に浮かぶ。
そして、その記憶は決して忘却の彼方に消え去ることはないだろう。
オランダイズムへの憧憬
初めて予選から、じっくりと観戦したフランスワールドカップ。
この大会は、これまでで最も思い出深きものとなる。
なぜならば、デニス・ベルカンプを中心とするオランダ代表に、サッカーの楽しさと素晴らしさを教えてもらったからである。
私はそれまで、あまり得点が入らないサッカーという競技に、さほど興味を覚えなかった。
ところが、オランダサッカーを見た瞬間、一発でファンになる。
オランダの選手が繰り出す流れるようなパスワークに柔らかいボールタッチ。
彼らのプレーを見ていると、点を取ることだけがサッカーの魅力でないことに気づかされた。
そして何より、たとえリードを許し劣勢に立たされても、己がサッカーを貫くオランダイズムに感銘を受けたのである。
オレンジの衝撃
まず、オランダ代表に衝撃を受けたのが、“アジアの虎”韓国との予選である。
そのプレーぶりは、まさに“アグレッシブマシーン”であった。
メディア等の下馬評では勝つまではいかなくても、韓国は善戦可能と見られていたのだが、試合が始まると淡い期待は無残に打ち砕かれる。
スピードに定評がある韓国の攻撃が全く通用しないではないか。
そもそもが、オランダのテクニックの前に手も足も出ない。
5対0というスコアが物語るように、改めてヨーロッパとアジアのレベルの差を見せつけられる結果となった。
そして、オランダへの評価が揺るぎなきものとなったのが、決勝トーナメント1回戦・対ユーゴスラビア戦である。
実は今大会、私は“妖精”ドラガン・ストイコビッチや“天才”デヤン・サビチェビッチ、そして“悪魔の左足”シニシャ・ミハイロビッチ擁するユーゴスラビアを応援していた。
凄惨な民族紛争により1992年の欧州選手権の出場を直前に取り消され、代替出場のデンマークが優勝を飾るという辛酸を舐めた、“東欧のブラジル”に雪辱を果たして欲しいと願っていたからである。
さらに、主力選手が精神と肉体が融合し完成期を迎える20代後半に差し掛かり、初優勝も狙えた1994年のワールドカップでも参加資格を奪われていたことも、私の気持ちに拍車をかけていた。
ホイッスルが鳴ると、またもや驚愕した。
あのテクニシャン揃いのユーゴスラビアが、全くボールを支配できないのである。
大会前、ストイコビッチが語っていた言葉を思い出す。
「我々は自信がある。ただし、オランダと対戦しなければ…世界最強は間違いなくオランダだ」
だが、ユーゴスラビアも反撃し、白熱した好ゲームとなっていく。
結果は、フランク・デブールのロングフィードをベルカンプがDFと競りながら決めた先制点と、ダーヴィッツの決勝ゴールにより2対1でオランダが勝利した。
ユーゴスラビアにもチャンスはあったが、ミヤトビッチのPK失敗が何とも痛く、大会を去ることとなった。
ユーゴスラビアの敗戦は残念だが、試合内容はオランダが圧倒しており、正当な結果に思えた。
そして、気が付くとオランダの攻撃サッカーに惹きつけられる自分がいた。
準々決勝 アルゼンチン戦
強豪ユーゴスラビアを下したオランダの次なる相手は、予選で日本を破った優勝候補アルゼンチンである。
先制点は前半の12分、オランダだ。
ドリブル突破したロナルド・デブールのパスをベルカンプがヘディングで流し、パトリック・クライファートが右足で決める。
オランダらしい、美しいパス交換からのゴールだった。
だが、アルゼンチンも負けじと、クラウディオ・ロペスのシュートで追いついた。
優勝候補に名を連ねる両チームの戦いは、俄然熱を帯びていく。
試合の趨勢を眺めるうち、私は改めてオランダの強さと彼らが展開する素晴らしいサッカーに感動した。
ユーゴスラビア同様、タレント揃いのアルゼンチンがボールをなかなか支配できずにいる。
オランダ代表の卓越したテクニックとプレッシングの厳しさに苦戦する様子を観ていると、ストイコビッチが言うように、間違いなく大会No.1はオランダだと確信した。
そもそもが、クラウディオ・ロペスの同点ゴールも、オランダのオフサイドトラップの掛け損ないによりフリーにしてしまったからである。
延長突入かと思われた後半44分、ワールドカップ史上に燦然と輝くゴールが生まれた。
フランク・デブールの約50mの超ロングフィードを、ゴール前に駆け込むベルカンプがジャンプしながら右足でトラップする。
すると、魔法のようなタッチにボールが吸い込まれ、慣性の法則など無かったようにピタリと止まる。
そこに、アルゼンチンが誇る世界屈指のDFロベルト・アジャラが激しくチャージした刹那、ワンタッチで躱すと“アイスマン”の異名どおりの冷静さで、右足からアウトサイドにシュートが放たれた。
オランダの偉大な画家・レンブラントの筆さばきになぞられた匠の技を前に、ゴールキーパーは一歩も動けない。
デニス・ベルカンプの人智を超えた3タッチをもってして、アルゼンチンを奈落の底に突き落としたオランダが準決勝に進出した。
準決勝 ブラジル戦
オランダの決勝進出をかけた相手はブラジルである。
準々決勝で、世界No.1ゴールキーパーと誉れ高いピーター・シュマイケル率いるデンマークを退けての勝ち上がりだった。
実は、この両チームは前回大会の準々決勝でも対戦しており、その時は3-2でブラジルが勝利を収めている。
大一番を目前にして、オランダ代表に心酔する私の耳に誇らしいニュースが飛び込んで来た。
ブラジルがオランダ戦では守備的な戦術で臨むというのである。
まともにオランダと撃ち合っては分が悪いと判断したらしい。
あの“王国”ブラジルがワールドカップ史上、相手の実力に脱帽し、守備的に戦うことなどあっただろうか。
しかも、当時のブラジルは世界一のストライカー“怪物”ロナウドを擁し、下馬評では圧倒的優勝候補に挙がっていたのである。
そんな上機嫌の私に、今度はショッキングなニュースが襲う。
欧州随一の突破力を誇るオランダのウインガー、マルク・オーフェルマルスが練習中に負傷し、準決勝に出場できなくなったのだ!
オランダの攻撃は、中央のベルカンプとクライファート、そして左サイドのオーフェルマルスが軸となり、連動性を持って相手を切り崩していく。
あまりの痛事に、私は思わず天を仰いだ。
1998年7月7日マルセイユの地で、ついに事実上の決勝戦の幕が切って落とされた。
ブラジルは主力選手のカフーの出場停止もあり、やはりというべきか守備的な布陣で構えカウンター狙いのようである。
前半は何回か訪れたチャンスをオランダがものにできず、0-0で折り返す。
最初に均衡を破ったのはブラジルだった。
後半開始直後、リバウドのスルーパスを受けたロナウドが、抜群の瞬発力を見せゴールを決める。
リズムを取り戻したブラジルは、再びロナウドが決定的なチャンスを迎える。
だが、“闘犬”エドガー・ダーヴィッツ渾身のデフェンスに阻まれ追加点を奪えない。
何とか首の皮一枚で凌ぐ“オレンジ軍団”。
オランダにとって苦しい試合展開が続く中、私は今大会1番の感動に包まれていた。
通常、リードされているチームは残り時間が少なくなるとゴール前にロングボールを上げ、なりふり構わずパワープレーで点を取りに行く。
高身長の選手が揃う、オランダ代表にはうってつけだろう。
しかし、オランダはあくまでもパスを繋ぎ、正攻法での突破を試みる。
自分達のサッカー、そしてオレンジの美学に殉じる覚悟である。
その流れるようなパスワークの美しさが胸を打つ。
劣勢でも揺らぐことなきオランダイズムを目に焼き付け、敗北もやむなしと肚を決めた後半42分、クライファートの起死回生のヘディングシュートでオランダが土壇場で追いついた。
だが、ひねくれ者の私は、再三再四にわたり気持ちの入っていないプレーでゴールを外したクライファートを手放しで称賛する気にはなれなかった。
その代わり、この重圧のかかる場面で渾身の、そしてピンポイントのセンターリングを上げたロナルド・デブールに深い感銘を受けていた。
この1本のセンターリングを上げるため、彼はどれほどの研鑽を積んできたのであろうか。
結局、この激闘は延長戦でも決着がつかず、PK戦にもつれ込む。
オランダ代表の4人目、殊勲のロナルド・デブールのキックをブラジルのGKタファレルが止めた瞬間、ブラジルに凱歌が上がった…。
まとめ
4年後、韓国をベスト4に導いた名将フース・ヒディンクの下に集いし“オランダイズムを貫いた戦士達”。
大会で最も魅力的なチームと謳われたオランダ代表のスペクタクルで、格調高いフットボールを観戦できたことは、終生色褪せぬ思い出となった。
監督 フース・ヒディンク
GK エドウィン・ファンデルサール
DF ヤープ・スタム
フランク・デブール
ミハエル・ライジハー
アーサー・ヌマン
MF フィリップ・コクー
エドガー・ダーヴィッツ
マルク・オーフェルマルス
ロナルド・デブール
FW デニス・ベルカンプ
パトリック・クライファート
指揮官と、私が選ぶ“オレンジ軍団”のベストイレブン達。
そんな彼らにかける言葉はただ一つ。
「素晴らしいプレーをありがとう!」