村田諒太vsゲンナジー・ゴロフキン ~拳で語り合った勇敢な戦士達~





ボクシング「ミドル級」。
私にとって、その階級は特別な意味が存在する。

かつて「黄金のミドル」と呼ばれた階級には、伝説の4人のボクサーが集った。
シュガーレイ・レナード、ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズ、そしてマービン・ハグラーである。

中でも、“マーベラス”の異名をとったマービン・ハグラーは12回連続防衛を果たすなど、ミドル級史上屈指のチャンピオンでとして名を馳せた。
“歴史に残るチャンピオン”ハグラーが、「ミドル級に権威を取り戻してくれた」と称賛したのがゲンナジー・ゴロフキンである。

そのゴロフキンと村田諒太が世界王座統一を争うことが決まり、私は深い感慨を覚えた。
当日の戦い、そして試合後の振る舞いを見るにつけ、「さすが、ハグラーが絶賛したチャンピオンに偽りなし!」と感銘を受けるのであった。

人格者ふたり

村田諒太

やんちゃだった中学時代、村田諒太はボクシングを始める。
だが、あまりの辛さにわずか2週間で逃げ出した。

再びボクシングを始めると、南京都高校に進学し高校5冠を達成する。
その後、2008年の北京五輪の出場権を逃し一度は現役を引退するが、翌年に現役復帰し、2012年のロンドン五輪で見事金メダルを獲得した。
プロ転向後は、世界王座を戴冠したが一度は陥落し、2019年に王座カムバックを果たす。

今回は、2019年12月にWBA王座を防衛して以来の試合となった。

私にとって村田諒太は、尊敬できる数少ないボクサーである。
ハングリー精神を求められるボクシングでは、どうしても腕力にものを言わせ拳一つでのし上がってきたタイプのボクサーが多く、必ずしも人として尊敬できる人物が多いとは言えない。
だが、村田諒太はリングを離れると哲学書を愛読するなど、言葉の端々に知性と品格を感じさせる。

氷上の哲学者が小平奈緒ならば、リング上の哲学者と呼ぶべき存在が村田諒太なのである。


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ゲンナジー・ゴロフキン

GGG(トリプルジー)と呼ばれる、ミドル級史上屈指のチャンピオンがゲンナジー・ゴロフキンである。
ちなみに、なぜGGGかというと、彼の本名がゲンナジー・ゲンナジーヴィッチ・ゴロフキンと全てGで始まるからだ。
村田との一戦は、IBF世界王者としてリングに上がる。

ゴロフキンはカザフスタン出身で1982年4月8日に生まれ、村田戦の前日に40歳の誕生日を迎えた。
だが、その肉体や戦いぶりは、とても不惑とは思えない。

ゴロフキンこそ、村田諒太が憧れ続けたボクサーであり、世界が認めるクリーンで尊敬に値する真のチャンピオンである。
リングを降りても、気さくにサインに応じるなど、ファンサービスも率先して行う紳士としても知られている。

成績は42勝1敗1分けで、37ものKO勝利が示すように当階級屈指のハードパンチャーだ。
その1敗と引き分けは、いずれもサウル・アルバレス戦であったが、ゴロフキンが優勢だったと見る向きもあるほど僅差の内容であった。

決戦

2022年4月9日、戦いの火ぶたが落とされた。

「1ラウンドから前に出て、プレッシャーをかけていきたい」と村田自身が語っていたように、序盤から積極的に前に出てパンチを打っていく。
ゴロフキンも重いジャブを放って牽制するが、プラン通りの戦いを進める村田。
1ラウンド終了のゴングが鳴ると、一礼しながら互いのグローブを合わせる両雄。
人格者のふたりに相応しい光景である。

2ラウンドに入ると、村田の強烈な左ボディブローを被弾し、タフなゴロフキンが思わず後退する。
そして、右ストレートもボディを捉え、さすがのゴロフキンも嫌がる素振りを見せた。

3ラウンドに入っても、村田の右ストレートと左ボディは冴え渡り、そこに時折右アッパーも交えゴロフキンを押しているではないか!
序盤は、完全に村田ペースといえるだろう。

ところが、ラウンドの中盤を迎えると、ゴロフキンがコンビネーションジャンプで盛り返す。
村田のボディやワンツーも素晴らしいと感じたが、それ以上にゴロフキンの多彩なパンチには目を見張る。
左ジャブ、左右のショートアッパー、右ストレート、ボディブローを間断なく打ってくる。

だが、最も驚かされたのが、変幻自在の左フックである。
頭の上から鋭角に打ち下ろして来るかと思えば、通常よりもさらに弧を描き、ガードの外から耳周辺を殴打する。
かといって、その防御に神経がいくと、正面からグローブの隙間を狙ったストレートやジャブが飛んでくる。

6ラウンド以降は村田の手数が減っていき、完全にゴロフキンがペースを握った。
村田は、ゴロフキンの左、右、左と強弱の緩急を織り交ぜた連打を被弾する。
だが、それでも村田の闘志は衰えない。
鋭い眼光はそのままに、打たれても打たれても、気迫でパンチを打ち返す。
一方的な展開になってもおかしくない状況にもかかわらず、村田諒太の頑張りには頭が下がる思いがした。

そして、ついに9ラウンドに決着の時が訪れる。
開始早々、ゴロフキンの猛攻撃に虫の息の村田。
だが、そこを執念でしのぎ、村田コールに後押しされるようラウンド中盤に反撃に転じた。
村田諒太の魂の戦いに、私はただ只管に胸が熱くなる。

残り1分を切り、なおも村田が前に出る刹那、ゴロフキンの右フックが顔面を捉えた。
すると、村田はキャンバスに手をつきダウンする。
その瞬間、陣営からタオルが投げ込まれた…。

私はこの試合を観て、かつて同階級のタイトルマッチで戦ったハグラーvsムガビを思い出す。
その戦いも、序盤は挑戦者のムガビが強打を武器に優勢に試合を運んでいたが、中盤以降、経験と総合力に勝るハグラーが徐々に主導権を奪い返していった。
そして、11ラウンドに王者ハグラーが挑戦者をKOでねじ伏せた。

試合後、ゴロフキンが語っていたように、ギリギリの戦いだったと思う。
最後は、百戦錬磨のテクニックで上回ったゲンナジー・ゴロフキンに凱歌が上がった。

それにしても、ゴロフキンは当然のこと、村田諒太も素晴らしかった。
苦しいラウンドが続く中、最後まで諦めず、戦い抜いたスピリッツ。
だからこそ、試合後にゴロフキンが自らのガウンを贈るなど、最大級の敬意を払ったに違いない。



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まとめ

村田諒太は語る。
「ずっと強さを証明したかった。それは、他の誰にでもなく自分自身にだ」

中学時代、始めたばかりのボクシングからすぐに逃げ出した。
高校時代、自分自身の心の弱さに負けて、実力を出せずに終わった全日本選手権。
そんな不甲斐ない経験を経た後、己を律して恐怖に立ち向かい、困難を乗り越えていくことを目標に歩んできた。
ゴロフキンに敗れたとはいえ、村田諒太は間違いなく“リアルディール”と呼ぶにふさわしい存在へと昇華し、自身が目指してきた強さを証明した。

誰よりも強敵で、誰よりも憧れ続けた“GGG”ことゲンナジー・ゴロフキン。
最高の舞台で最高の相手と全力で戦えた村田諒太は、ある意味最高に幸せなボクサーだったのかもしれない。

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