禁止薬物の陽性反応が出たワリエワがオリンピックの舞台に立つことに、元選手やコーチ、今大会に出場している選手からも批判が噴出している。
当然なのではないか。
ドーピング違反というジャッジが下りながら、出場停止にならないのなら規定など何の意味も持たないからだ。
今回の判断に影響したのが、15歳という年齢らしいが、全くもって意味が分からない。
年齢に関係なく勝利を収めれば金メダルを獲得し、アスリートとしてこの上ない栄誉に浴する権利は担保して、負の側面が明るみに出たときのみ年齢を盾に見逃され、責任を取るという義務を放棄する。
これでは、まさに最恵国待遇ではないか。
部外者の分際で厳しく断罪する私だが、一方で、カミラ・ワリエワのことを思うと気の毒でならない。
もちろん、今大会への出場は慎むべきだったと思う。
だが、15歳の身空で世界中に知れ渡るスキャンダルの当事者となった、彼女の今後の人生は一体どうなってしまうのだろうか。
私は以前、ドーピングに関するドキュメンタリー番組を見たことがある。
主に、冷戦下におけるソ連と旧東欧諸国にまつわる、国ぐるみの唾棄すべき実態であった。
これらの国は社会主義体制の下で国民を管理するため、我々日本国民のような自由や人権などは存在しない。
なので、コーチや組織主導でドーピングを推し進め、選手の中には全く事実を知らぬまま、ある日ドーピング検査で発覚することもあった。
その手口も様々でドリンクに混入させたり、ビタミン剤と称して投与されたりすることもあったという。
もっとも、自由主義国でも、このようなことは起きていないとは言い切れないが…。
そもそもが、ソビエト連邦が崩壊して現在のロシアという国家が成立した。
といっても、アメリカと世界を二分する大国であったソ連時代に比べ影響力こそ劣るものの、相も変わらず社会主義体制は維持され、その本質はほとんど変わらない。
旧態依然の体質が現在も息づくことは、ソチオリンピックでの国ぐるみのドーピング違反を見れば明らかであろう。
翻って、カミラ・ワリエワである。
周知のように彼女の国籍は、その“おそロシア”なのである。
15歳の少女が陽性反応を示したトリメタジジンの効能を熟知し、自らの競技能力向上のために摂取するなど、ナンセンスに感じるのは私だけではないはずだ。
しかも、他にも複数の薬剤が検出されている報道もされている。
祖父のコップを共有したときに体内に入ったなどと、茶番としか言いようがない稚拙な言い訳を宣う大人たちには、羞恥心が欠如しているとしか思えない。
あるフィギュアスケート関係者がワリエワに同情し、彼女の周りでほくそ笑む大人たちを糾弾していた。
私も全く同感である。
ワリエワからすれば、行くも地獄、退くも地獄に違いない。
そもそもが、彼女の意向が尊重されるかも怪しい。
なにしろ彼女のコーチは、10代の少女を次々と使い捨てていく“鉄の女”なのだから。
ワリエワが矢面に立たされたとき、知らぬ存ぜぬを押し通し沈黙を守るエテリ・トゥトベリーゼに対し、さすがのロシアマスコミからも激しい批判が巻き起こる。
当然である。
選手が窮地に陥った時に、身を挺して守ってやるのがコーチの役目なのだから。
ましてや、ワリエワは15歳の少女なのだ。
もし、ネイサン・チェンのコーチ、ラファエル・アルトゥニアンだったならば…。
あるいは、ソチオリンピックのショートで失意に沈んだ浅田真央に「何かあったら助けに行くから」と言って、フリーの演技へと送り出した佐藤信夫ならば…。
私が最も敬愛する指導者は、阪急と近鉄で監督を務めた西本幸雄である。
頑固おやじを絵に描いたような西本だが、厳しさの中にある選手への愛情は、それはそれは海よりも深かった。
どんなときも選手を守り、選手の代わりに物申す監督だった。
だからこそ、雷を落とされながらも、愛弟子たちが西本へ向ける表情には揺るぎない信頼感が満ちていた。
退いても地獄と言ったが、今回強行出場することにより、ワリエワの選手としての尊厳が地に堕ちてしまうのではないか。
たとえ金メダルを手にしても、母国以外からは批判の声しか届かないというのに…。
これまで私が観た女子選手の中で、史上最高の演技をするのがカミラ・ワリエワである。
たとえドーピングにより血流を良くし、心肺機能を向上させたとしても、誰があの完璧ともいえるジャンプ、スピン、ステップをリンクで再現できるというのだろう。
リンクの上で流した汗と努力を全て否定されてしまうのは、ワリエワ自身が一番無念に違いない。
だからこそ、彼女の周りの大人たちには少しでも彼女の将来に思いを馳せ、彼女の尊厳を守る決断をして欲しかった。
また一から出直し、クリーンな選手として再び演技を見せて欲しかった。
だが、欲望に絡め取られ、今しか興味がないエテリ陣営に、それを望むのは無理筋なのだろう。
そして、何よりも今回出場するフィギュアスケーターたちが納得できる形をとることが、最も肝要だったのではないか。
氷上の華・女子フィギュアスケート。
まさか…ワリエワにあれほどの“絶望”が待っていようとは…。